『「介護時間」の光景』(110)「鏡」。5.23.
いつも読んでくださる方、ありがとうございます。
そのおかげで、こうして書き続けることができています。
初めて、読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
「介護時間」の光景
この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。
それは、とても個人的なことで、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。
今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2007年5月23日」のことです。終盤に、今日、2022年5月23日のことを書いています。
(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況を書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)
2007年の頃
私は、元々、家族介護者でした。
1999年から介護が始まり、2000年に、母は転院したのですが、私は病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けていました。
様々な葛藤がありながらも病院に通い続けて、何年かたった頃、母の症状は安定し、病院への信頼が高まってしばらく経った、2004年の頃、母はガンになりました。手術もしてもらい、一時期は症状も落ち着いていたのですが、2005年に再発し、もう積極的な治療もできなくなりました。
その後は、外出も増やし、旅行へも行きました。
2007年の春頃は、明らかに体調が下がってきていました。
覚悟をしなくてはいけないようなことを病院のスタッフから言われるようになってから、また時間が経ちました。
そして、5月14日に母は亡くなりました。
そうした頃の記録ですが、それまでと比べると、記録する文章量が圧倒的に少なくなりました。
2007年5月23日
「5月14日に母は病院で亡くなった。
葬儀なども終わって、ちょっと空白のように時間ができた。
妻のお姉さんご夫妻のお宅に行くことになった。
いろいろと気にかけてくれているので、そのお礼も言わないと、と思って、出かける。
あたたかく迎えてくれたおかげで、のんびりできた。
ずっと頭の中にあったものが、外へ出ていくような感じ。そのために、ずっと体の中にあった黒いものがなくなっている感覚になった。
本当に久しぶりに、どなたかのお宅にお邪魔したこともあって、疲れもあったけれど、楽しかった。
ありがたかった」。
鏡
ものすごく久しぶりに妻の姉の家へお邪魔した。
かなり変わった名前のバス停で降りて、そこに迎えに来てもらって、少し歩く。
階段を登ったアパートの2階。
部屋に通され、座って、くつろいでいると、窓から道路の角にある大きなミラーの上半分が見える。
そこに歩いている人や自転車が変形した姿で映り、曲がるような姿になり、そして、すぐにその鏡の中から去っていく。
(2007年5月23日)
母の死後、様々な手続きもあり、そのことに追われる日々が続いた。その後、もしかしたら、義母の介護はあるものの、自分の仕事が再開できるかもしれない、と思った、ごく短い時間があった。
だが、義母の介護負担は増えつつあり、このままだと妻が過労死してしまう可能性もあると思い、やはり、二人で介護に専念しようと考えた。同時に、介護者支援に自分でも関わりたいと以前から思っていたので、臨床心理士になるため、大学院入学を目指し、勉強を始めた。
2010年に、大学院に入学し、2014年に臨床心理士の資格を取得できた。同じ年に、幸いにも、仕事として、個別な心理的支援としての「介護者相談」も始められた。義母の介護は続いたが、2018年の末に103歳で義母は亡くなり、介護も突然終わった。
2019年に公認心理師の資格も取れたものの、午前5時就寝の昼夜逆転の生活を立て直すために思ったよりも時間がかかり、なんとか体調が回復した頃には、コロナ禍になっていた。
2022年5月23日
天気は微妙だった。
気温は高めだった。
洗濯をして、干している時に、近所の高校生が下校していく大勢の姿が目に入って、まだ午前中なのに、と思って、少し考えたら、この時期は、もしかしたら「中間テスト」なのだろうかと考え、勝手に自分だけで納得していた。
今日は、月に1度の「介護者相談」のボランティアの日だった。
介護者相談のボランティア
月に1度、「介護相談」のボランティア。これは、基本的には、家族介護者に対して心理的支援をするための相談として始めた。
大学院を修了し、臨床心理試験を受ける前、就職活動をしていた2013年から始めている。
最初は、「介護カフェを開きます」というブログを見つけ、その開店を待ち、直接来店して「ここで介護者相談のボランティアをさせてもらえませんか」と、カフェのオーナーにお願いをした。
オーナー自身が、その当時は現役の家族介護者で、そのこともあって話を理解してくれて、快く承諾してもらったのは、今から考えても、とても有り難いことだと思っている。
当初は、チラシを置かせてもらい、問い合わせがあった時だけ「介護者相談」のボランティアをする方法をとっていたのだけど、途中から月に1度、一定の時間、カフェにいさせてもらうことになった。
そうなると、予約がなくても、その日に必要な人に相談を提供できる、と思ったが、特に始めて最初の頃は、誰も来ないで、ただ、カフェのイスに座り、小さい「介護相談」のフダのようなものをテーブルに立てて、待っているだけで時間が過ぎる日も少なくなかった。
その時は、持って行った本を読んでいた。
このカフェのオーナーが、興味を持ってくれたお客さんに説明してくれたおかげもあって、そのうちに、チラシを見たケアマネージャーの方が来てくれて、私と話をした後に、利用者のご家族を連れてきてくれるようになった。
9年間
そんなこともあって、そんなに頻繁ではないのだけど、利用してくれる家族介護者の方や、たまにケアマネージャーの方が、この「介護相談」に来てくれるようになった。
人が途絶えた時には、カフェのオーナーの提案で、平日ではなく、休日に介護に関する講座を開いた。近くの住宅街に、そのためのチラシのポスティングをしたら、少人数だけど人が来てくれた。
それから、9年が過ぎようとしていて、今も利用してくれる人がいる。
いろいろな変化もあったけれど、現在も、カフェのオーナーのご好意で、こうして介護者の相談のボランティアを続けることが出来ている。
それは、気がついたら、こんなに年月が経っていることに自分でも少し驚いたりもするが、でも、続けられたのは有り難い気持ちがある。
予定変更
何か急なことがあって、カフェを休みにするときは、オーナーの方から連絡が来る。
前日に電話があり、今日は都合により、カフェは休みにします、と伝えられたのだけど、今日、利用を希望している人がいらっしゃって、連絡を取れたので、場所を変えることも可能なことを伝えたら、それで臨時の介護者相談をすることになった。
いつものカフェとは違うけれど、それでもカフェのような場所で、相談をすることになって、いつものように出かける。
違う場所で、相談の時間は過ぎて、そして、夜になって家まで戻ってきた。
介護者支援
これはボランティアだけど、自分の住んでいる行政地区で、個別な心理的支援を目的とした「介護者相談」を始めたら、このボランティアをやめようと思っていたのだけど、9年経っても、まだ始まっていないはずだ。
介護者支援について、その必要性が社会に浸透していないし、それは、すでに微力とはいえ、自分にも責任があるので、まだきちんと情報を広められていないことを反省する気持ちにもなる。
コロナ禍になって、また新しい不安や負担が増えて、それでも介護は続いていることを、家族介護者の話を聞くたびに、改めて思う。
次の「介護相談」は、来月の6月27日の月曜日の予定になっている。
(他にも、いろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
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