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『「介護時間」の光景』(129)「消防署員」。10.17.

 いつも読んでいただいている方は、ありがとうございます。
 そのおかげで、こうして書き続けることができています。

 初めて、読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的なことで、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2002年10月17日」のことです。終盤に、今日、「2022年10月17日」のことを書いています。


(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)

2002年の頃

 個人的なことですが、1999年から母親の介護を始めて、その途中で、私自身も心臓発作を起こしたこともあり、仕事をやめ、義母の介護も始まりつつあり、2000年の夏には母親に入院してもらいました。

 私は、毎日のように2時間ほどかけて、母の病室へ通っていました。帰ってきてから義母の介護をする日々でした。ただ、それだけを続けていました。

 自分が、母の病院に通っても、医学的にプラスかどうかは分かりませんでした。でも、通わなくなって、二度とコミュニケーションが取れなくなったままになったら、と思うと、怖さもあって、通い続けていました。

 この病院に来る前、別の病院の医療関係者にかなりの負担をかけられていたこともあり、やや大げさに言えば、白衣に、怖さすら感じていました。

 そういう気持ちは、新しい病院に移り、1年半経って、少しずつ病院を信頼するように変わっていたのかもしれません。そのため、微妙ですが、気持ちに余裕ができたせいか、病院に行く頻度が少し減っていました。

 そのころの記録です。

2002年10月17日

『午後4時30分頃、病院に着く。
 2日、空いてしまった。

 母が布団に横になっていた。

 切花と、鉢の花も持っていった。

 エレベーターで、病棟の内科医に会った。

 「今は、落ち着いていますね」
 いつもお世話になっていて、お礼も言った。
 「いつも来るから、心強いんでしょう」

 そんなことを初めて医療関係者に言われた。

 昔の病院では、私がそばにいすぎて、かえって不安定しているではないか。といった根拠のない推測を、母の症状を見落とした内科医に言われて、すごく嫌な思いと暗い怒りが湧いたことがあった。

 だから、余計に嬉しかった。

 持ってきた花についても、少しほめられ、その後に、介護の専門家にも、好意的なことを言われ、やっぱりうれしかった。

 夕食は45分。

 医師と相談をして、しょうゆをかけてもいいと許可を得たので、小さい醤油差しを持ってきて、それを使えるようになった。

 母は、醤油は嬉しい、と改めて言ってくれた。

 夕食後、病室のテレビで、毎週、見ているクイズ番組が始まって、いつも「ファイナルアンサー」と呼んでいるので、最初に「クイズミリオネア」と言うタイトルが出てきて、「番組名変わっちゃったの?」と聴いてくる。

 この辺りは、仕方がないので、なんとなくあいまいに「変わってないけど」と話す。

 午後7時に病院を出る。

 最近、夜4時くらいまで眠れない。

 また眠れなくなるなってくるのか、と微妙に不安になる』。

消防署員

 夜の帰りの送迎バス。
 
 出発してからすぐそばに消防署がある。赤い消防車が止まっている車庫の前は、ゆるやかな短い下り坂のようになっていて、そこにタオルをしいて、背筋運動をしている消防署員がいた。

 坂を利用して負荷を増やしている、という事のようだった。ヒーローものの映像みたいだ。
                  (2002年10月17日)


 この生活は続き、本当に永遠に終わらないのではないか、と感じたこともあったのだけど、2004年に母はガンになり、手術もし、一時期は落ち着いていたが、翌年に再発してしまった。そして、2007年に母が病院で亡くなり、「通い介護」が終わった。

 義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。


2022年10月17日

 何ヶ月も気になっていた、いくつかのことが、なんとか無事にすんだので、ホッとした時もあったのに、それから、妙に気持ちの余裕がなくなり、また、何もしていない気持ちも強くなり、肩こりもひどくなった。

 一時期は、空になった2リットルのペットボトルに水を入れ、それを一つずつ手に持って、上に持ち上げる動きをすることで、少し肩が楽になっていたのに、その運動にも体が慣れてしまったのか、また肩こりの程度が強くなりつつある。

洗濯

 天気はそれほど安定して晴れているわけではないけれど、昨日、洗ったものは乾いているだろうから、今日も洗濯を始める。

 洗濯が終わって、干そうかと思っている頃、外を歩く人がカサをさしているのを見て、雨が降り始めたことに気づき、室内干しに切り替える。

 この季節は晴れたら、気持ちがいいはずなのに、当たり前だけど、天候はどうしようもない。

柿の実

 洗濯をするときに、空を見上げると、柿の葉っぱの方が視界を広くふさぐ。

 実がたくさんなってきていて、この前は、一部を枝を切ったり、柿の実を取ったりもしたのだけど、それでもまだ多く残っていて、そして、だいだい色になってきている。

 柿の実の色は、穏やかなだいだい色で、秋の空気感と晴れた秋空にあっている気はする。

 これから、もう少し色が濃くなってきて、今は青い実も、色づいていくのだと思う。

増加傾向

 1日が過ぎていき、いろいろとやることはあるのだけど、まだ大事なことを、何もしていない気持ちになる。だけど、コロナ感染がまた増加傾向になっているので、いろいろなことができにくい生活が続いてしまう。

 そんな暗い思いにもなった。





(他にも、いろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。

 


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越智誠  臨床心理士/公認心理師  『家族介護者支援note』
 この記事を読んでくださり、ありがとうございました。もし、お役に立ったり、面白いと感じたりしたとき、よろしかったら、無理のない範囲でサポートをしていただければ、と思っています。この『家族介護者支援note』を書き続けるための力になります。  よろしくお願いいたします。

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