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就労支援日記㉙~「〈あたりまえ〉の不思議」~


今回はワークショップ形式です


この会合(ひきこもり・不登校の当事者、家族、支援者の会)でお話させていただくのも、今年で3回目となりました。お呼びいただきまして、本当にありがとうございます。
毎年一回というペースでお話させていただいて、最初のテーマは「家族の役割」、昨年は「生きる意味への問い」でした。
それで今年ですけど、今回はワークショップ形式で行ってみます。

テーマは、「〈あたりまえ〉の不思議」。

初めて僕の話を聞いた方はナンダ?という表情をされていますけど、何度かお聞きいただいた方は、相変わらずだなぁと、ややあきらめ顔で笑っております(笑)。
ちょっと初めにカタい話をさせていただきますね。

ハイデガーというドイツの哲学者をご存じの方はおられますか?
あ、お一人おられますね。


ハイデガーで日々の暮らしを見つめ直す



〈ご家族Aさん〉
 本は読んだことはありませんけど、解説本で読んだことはあります。それでも内容は難しかったと思うのですが…。え、まさか今日はそれをやるんですか?”

いえいえ、そんな難しいことはしません。
ただ彼がどんなことをもんだいにしていたのかということを理解すると、けっこういまこうして生きている自分たちの日々の暮らし方を見つめ直すひとつのきっかけになるんじゃないかと思いまして。


〈ご家族Aさん〉 ちょっとかんがえもつきませんが…。

〈支援者Bさん〉 あまり難しいことはやめてくださいね。頭から本当に煙を吹きますんで(笑)。

はいはい。
それで、ハイデガーですけど、有名な著作が『存在と時間』です。
この本は「20世紀最高の哲学書」と言われているんですけど、じゃあなにが言われているかというと、これがいまひとつよくわからないというシロモノです。
今日は別にハイデガーの解説するわけではなくて、彼がそもそも何をいったい問うていたのか、というところに着目して、それを自分たちで経験的に学ぶことができないかなと思います。
うまくいけばいいんですけど、うまくいかなかったら、ごめんなさい(笑)。

モノとはなにか?



まずいきなりですけど、バックの中でも、自動車の中でもどこからでもいいので、これかなと思ったモノを、なんでもいいから手元に持ってきてください。


〈当事者Cさん〉 なんでもいいですか?


手元に持ってきて、もんだいがないモノであれば、なんでもいいです。


(ボールペンや水筒、ペンケースなどなど、いろいろなモノが置かれる)


最初の問いにいきます。
“これはなんですか?”。 英語では“What is this?”ですね。3名ほど順番でご返答、お願いします。

 

〈支援者Dさん〉 ペンケースの説明をすればいいのかな。このペンケースは、まずはいろいろなペンをいれて、持ち運ぶケースです。これすぐそこのお店で売っていたのですが、安かったんです。一目で気に入って買いました。

 

〈当事者Cさん〉 スマホです。携帯電話の発展した(?)形式です。いまはこれがないと生きていけません(笑)。


なくなったらどうなりそうですか?


〈当事者Cさん〉 いやだから、もう、無理です(笑)。


〈ご家族Eさん〉 私は手帳です。これは、その日のあったことや、これからやるべきことなどを書いておくためのモノです。私のように忘れっぽい人には、なくてはならないモノです。


ありがとうございます。
この問いは、わかりやすいですよね。
科学的思考の基本だし、僕らが日常生活をおくっているときでも、少し不可思議なことがあれば、この問いの形式でかんがえていると思います。

このモノがあるとはどういうことか?


じつはハイデガーは、モノに対して二つの問い方をしています。
モノのことを「存在者」と言っていて、存在者を問うときは、これは何だ?という問い方になる。
いま、みなさんにやっていただいた問いですね。

ハイデガーは、モノ(存在者)にはもう一つの問い方があるんだと言っています。
それは存在者の「存在」、その「存在」そのものへを問いなんだよ、と。
「存在」とは何かと言えば、モノがあるという、この「ある」の部分。
つまり、何かが「ある」とはどういうことなのかを問うやり方があるんだと、言っています。

そこで二つ目の問いになります。

“このモノがあるとは、いったいどういうことなのか?”

英語だと、これもいろんな表現があるんですが、“What is being?”が近いかなと思います。


〈支援者Dさん〉 なんかわからないのですが…。
さっきの問いと、どこが違うのですか?


先ほどの問いは、ペンケースとは何か?と尋ねましたよね。
そうすると答えはペンケースとは○○です、という答えになる。
今度の問いは、ペンケースがここにあるということは、そもそもどういうことなのか?という、いわばその存在の意味を問うということになるんです。

ハイデガーによると、この問い方には独特の意味合いがあるという。

モノがあるということの迷宮へ


ちょっと具体的に話してみます。
支援者Dさんが持ってこられたこのペンケースですけど、このペンケースがここになければならない理由って、何かありますか?


〈支援者Dさん〉 え、ありますよ。欲しくて買ったんですから。


それはわかります(笑)。
ここで確認したいのは、このペンケースじゃなければならないのか、ということです。
形も値段も同じものであれば、ほかのモノでもよかったわけですよね。


〈支援者Dさん〉 ええ、そうですね。同じならかまいません。


ということは、どうしてもこのペンケースじゃなければならない理由はない、ということになります。
形と値段が同じなら、かまわないわけですから。


〈支援者Dさん〉 はい。


ここから、ハイデガー的な存在の意味を問う質問になってきます。
つまりこのペンケースじゃなくてもよかった。
ところがこのペンケースがいまここにある。これはいったいどういうことなんだ、ということです。


〈支援者Dさん〉 えっ…。


違った側面から、同じことを言ってみます。
これと同じ形のペンケースって、おそらく1年間だけでも、想像できないくらいものすごい数が出荷されていると思います。
工場から出荷されたペンケースは、北は北海道から南は沖縄まで、関東、関西、四国、北陸…、日本中に張り巡らされた物流ネットワークで隅々まで行き渡る。
そうしたじつに無数のペンケースの中から、このペンケースが佐野に来て、そして支援者Dさんがお店を訪れた、まさにそのときに店頭にあった。
この確率って、どれくらいだと思いますか。

もっと言えば、このペンケースは、そもそもなくてもよかった。それが存在した。
それだけでもすごいことなのに、それがなんと佐野に来て、そして支援者Dさんがお店を訪れたまさにそのとき店頭にあった。

しかし、そのときもそもそも支援者Dさんが、ペンケースの陳列コーナーに寄らなかったら買うこともなかったし、寄ったとしてもペンケースをどこかで買ったばかりだったらこのペンケースを買うことはまずなかった。

そして、いま何かモノを手元に持ってきてくださいと僕が言ったとき、もしかしたらバックを持ってきたかもしれないし、メガネを手元に置いたかもしれない。
しかしそれにも関わらず、このペンケースをここに手元に置いた。
ここまでの確率って、いったいどうなっていると思います?

そうかんがえていくと、いま目の前にこのペンケースがあるということは、ものすごいことなんじゃないかと思えてこないだろうか?


〈支援者Dさん〉 なんか話が大きくなりすぎて、頭が追いつきません…。


〈当事者Cさん〉 あ、でも、なんかこう、何かが変わるような気がする。


“偶然”と“仕方なし”と“祝福”


では、ご家族Aさん、2番目の問い、答えられそうですか?


〈ご家族Aさん〉 はい…。えーと、“出会った偶然”。と思ったのですが、いろいろとかんがえていくうちに、これは偶然じゃなくて必然なんじゃないか…、とも。ちなみにモノは、この栞です。


偶然だと思ったけど、後々かんがえてみれば、何かに導かれた必然だと。


〈ご家族Aさん〉 導かれたかどうかはわかりませんけど、必然なのかも。


面白いですねぇ。支援者Bさんはいかがですか?


〈支援者Bさん〉 私は水筒なんですけど、自分でもどうしてこれなのか、わからないんですよ…。
それで答えですけど、“気が付いたら手がこれをつかんでいたから”(笑)。


あ、それいいですね。別にこれをとろうと思って、つかんだんじゃない。もしかしたら、水筒につかまされていたのかもしれない(笑)。


〈支援者Bさん〉 しょうがいないですよ。
そうとしか言いようがないんですから。


わかります。
ハイデガーが「存在の明け開け」と言ったのも、そんな感じのことだと思うんです。
私がモノをつかむ、というよりも、そのモノが「つかむ」という存在の在り方を開示する、みたいなね。
ややこしい、話はやめましょう(笑)。
では最後に当事者Cさん。


〈当事者Cさん〉 “祝福”。


祝福?


〈当事者Cさん〉 そう、“祝福”。以上(笑)。


そうですね。祝福、です。

うん、これ以上は必要ありませんね。

時間が来たので、この辺で終わりにしますけど、何か感想はございますか?


心に風が吹くとき



〈当事者Cさん〉
 あの…、最初、「あたりまえの不思議」と聞いたとき、ひきこもりとか不登校に関係するようなテーマじゃないから、あれ、今日は来るんじゃなかったなって、正直思いました。
あまり、難しいことは得意じゃないし、哲学とか聞いたときは、もう無理だと…。

でも、2番目の問い、あってもなくてもいいようなモノがここにあって、ここで出会っている。
そういう自分だって、いてもいなくてもいいような人間と思えば、そう言えば、そうだし。
あってもなくてもいいモノといてもいなくてもいい私が、ここでこうして出会っている。

そう思ったとき、ああって。
なんとも言えない、心の中を風が吹いたような気がした。
もしかしたら、これ、祝福っていうのかなって。
誰が誰を祝うというんじゃなくて、ここに出会っているということ、そのことを祝う。
自分がまさかこんな気分になるとは思っていなかったので、本当に不思議な気分になりました。
終わり!


はい。
ではこれで、終わりとさせていただきます。
お忙しい中ご参加くださいまして、ありがとうございました。

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