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「永遠」になぜ人は心を動かされるのか


永遠はあるのだろうかと考えたことは誰にでもあるはず。


人の命の終わりがあるんだということを考えたら眠れなくなったことがある経験は誰にでもあるはずです。

少なくとも私はあります。


少しずつそれを受け入れてこれたような気がしますが、今でもそれを考え続けると眠れなくなると想います。

それでも長く生きていると身近な人や大切な人の死と向き合うケースは増えていきます。


その”死”を少しずつ受け入れていくことが生きるということなのかもしれません。

死というものは誰にでも終わりが来るということを教えてくれます。


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つまり生きるとは終わりに向かっていくということ。

山は登るために登るのではなく下りるために登るのだという言葉は私が好きな小説「クライマーズハイ」の一節です。



終わりに向けて始めるということ。

死ぬために生まれるということ。

そう考えると生きている中で失っていくものの多さに気づくはずです。


宇多田ヒカルさんがエヴァンゲリオンの庵野秀明監督と対談している動画の中で、彼女の曲のテーマは「喪失をどう受け入れていくか」であるという言葉を聞いて、胸に迫ってきたことがあります。

そして庵野監督もまさにそれがエヴァンゲリオンのテーマであると答えていました。


人は生きていく中で別れを数多く経験し、それが喪失、心の傷となってそれを受け入れながら生きていくんだと想います。

その喪失の悲しみを知っているからこそ、今が輝いてくるし、失うことを知っていくから歳を重ねるたびに”青春”が美しく輝き出す。


この永遠というテーマを今回、考察するにあたり、青春という言葉がすぐに浮かびます。

青春の輝きは一瞬のものです。


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この時の感情と重ねながらそれ以上でありたいと追い求めながらきっと人は青春の輝きを一生越えられない。

それが青春というものなんだと想います。


だから歌手、アーティストがいくつになっても青春がテーマになっているんだと想います。


そして青春の燃焼で描かれたその曲を超える曲を生み出すことは出来ない。

だからずっとその青春を描いた曲であるのだと想います。


終わりを意識しながら人は生きる。

それを死生観と呼ぶのであればその死生観を持つアーティストに魅力を感じます。


今、支持を得ている「藤井風さん」など強い死生観を持ったアーティストなのではないかなと想います。

もちろん「宇多田ヒカルさん」はもちろん。



終わることを認識、意識するからこそ輝かしい瞬間がより輝くのだと想います。

そしてその瞬間が永遠であってほしいと人は願うのだと想います。


そんな”永遠”であるからこそ、その瞬間にだけ宿るもの、それが永遠なのだと思います。

永遠を歌った曲がこんなに多くそして人を感動させる所以はまさにそれですね。



“永遠”がテーマの宇多田ヒカルさんのこの曲も是非聴いてみてください↓



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