精神科医、進路指導する。(後編)
【精神科医、進路指導する】
十二月、師走。
師走の「師」とは僧侶を意味するそうだが、この時期は医師も忙しい。
寒くなると感染症が増え小児科・内科・耳鼻科は受診者で溢れかえり、救急外来は心筋梗塞や脳梗塞など循環器系疾患の患者が間断なく運び込まれる。
精神科においては「メンタルは春先に悪くなる」というイメージがあるかも知れないが、他科ほどではないにせよこの時期は忙しくなる。
その理由は"冬季うつ病"もあるが、最近では"クリスマスうつ"や"年末うつ(晦日鬱)"のように、孤独感を感じて精神科を相談するケースも多いためだ。
びっしり書き込まれた予約簿にかろうじて空欄を見つけ、精神科医はテトリスのように玲奈の氏名を嵌め込んだ。
玲奈は紹介された外部医療機関の通院に加え、定期的に保健管理センターで精神科医の診察を受けることに同意したのだ。
彼女のキッチリした性格を裏打ちするかのように、2回目の診察には予約時間の10分前に受付に現れた。
「通院先では漢方薬と睡眠薬をもらっています。抗うつ剤を投与するには”若すぎる"って言われました」
「確かに若い人に抗うつ剤を投与すると焦燥感が増し、かえって悪い結果をもたらすことがあるからね」
2004年米国食品医薬品局(FDA)は25歳未満のうつ病患者への抗うつ剤投与が自殺念慮・行動のリスクを高める可能性を示唆した。
以来、若年者への抗うつ剤投与は慎重論が優勢になっている。
このため玲奈の主治医の治療方針は消極的というよりはむしろ無難に見えた。
「...先生、私はこのまま大学を休んでいて良いのでしょうか?」
何度目かの診察の時であろうか。
玲奈はいつもように姿勢良く座っていたが、はにかむ様な表情を浮かべながら唐突に質問した。
「今は休むほかないと思うな…」
「ははは…、そうですよね…」
がっかりした様子を一生懸命隠そうとしているのは分かるが、口調は弱々しい。
「君が考えている事を当ててみようか?...ひょっとして、このままでいることが申し訳ないと思っているのかな?例えば学費を無駄にしているとか、親の期待に応えられないとか...」
精神科医の言葉に 驚き、目を丸くさせた玲奈は大きく二度頷いた。
「何でわかったんですか!?」
「図星だろ?君みたいな”タイプ"の人はだいたい同じような事を考えるものさ」
精神科医は右手を顎に添え、ニンマリと笑った。
「タイプ…?私って、どういうタイプなんでしょうか?」
「そうだな…。ひと言で言えば、真面目人間。玲奈さんって、周囲の雰囲気をとにかく大切にするよね?こういうタイプの人って、自分よりも他人やルールを大切にして自分を犠牲にしちゃうんだ。こういう性格を”メランコリー親和型"っていうんだよ」
「メランコリー新和型?」
精神科医は、小首を傾げる玲奈に、メランコリー親和型の特徴、そしてこの性格の持ち主はうつ病になりやすいことについて簡単に説明した。
すると玲奈は“腑に落ちた”とでも言いたそうな表情を見せ「当たっている」とつぶやいた。
「メランコリー新和型…おっしゃる通りです。このまま何もせず自宅で過ごしていると家族に申し訳ないし、 大学の先生にもご迷惑をかけていると思ってしまいます…。頭では早く大学に戻らなきゃって分かっているんです。でも、いくら休んでも私が看護師になりたいと言う気持ちはとても起きないと思うんです...」
珍しく力説する玲奈に、精神科医は少したじろいだ。
「…、なるほど。 こうして休んでいること自体が無駄のように思えるんだね」
「 はい、そうです。そこでお聞きしたいのですが、私のような”メランコリー新和型”の人間は、一体どんな仕事が合うのでしょうか?」
唐突な就職相談に、精神科医は若干困惑した。
「 うーん...、難しい質問だなぁ。医師は普通、進路のことまで口出しはしないからね…。 冷たい言い方かもしれないけど、将来の事は最終的に自分で決めなきゃいけないよ」
「そうですか…。では、参考までにお伺いしたいのですが、他の学部の学生さんは、自分の将来に行き詰まったらどうやって自分の就職先を決めるんですか?」
食い下がる玲奈に、精神科医は些か気圧された。
「うーん …、 それも難しい質問だね。ただ…、まぁ、あくまで参考程度の話だけど…、例えば理系の学生さんは、どうしても就職先が見つからなかったらとりあえず大学院に進学するね…。それから文系の学生は教員免許をとって教師になるか…、あるいはとりあえず公務員になることが多いかな...」
「 公務員ですか !?」
「 そう、公務員。今の世の中、公務員になれば将来安泰だからね」
精神科医は、なぜか得意げに話していた。
「 ひょっとして、私のようなタイプって、公務員に向いているのではないでしょうか?」
目を輝かせながら玲奈は身を乗り出した。
「 …うん、確かに君のように真面目なタイプは、きっちり仕事をこなす公務員が向いてるかもしれないな… 」
「 私、公務員についてもうちょっと調べてみます!」
「えっ?」
「 先生ありがとうございます、進路指導していただいて!なんだか自分の新しい目標ができたみたいです」
「 えぇ..?」
精神科医は、はからずも進路指導をしたようだ。
【精神科医、余計なことを語る】
玲奈は2週間毎に保健管理センターを受診した。
すっかり公務員になることを目標にした玲奈は、診察ごとに公務員試験の勉強・日程等について進捗を報告するようになった。
「 私、来年度は休学して、その間に公務員試験を受けようかと思ってます」
「なるほど、そうなんだね。準備は大切だね」
「実家のある●●市と、その隣のxx市の試験を受けようと思っています」
「なるほど、そうなんだね。家から近い方がいいよね」
「両親も”玲奈がそうしたいのなら"って賛成してくれました」
「なるほど、そうなんだね。ご両親が理解してくれてよかったね」
玲奈の表情は診察毎に明るくなっていった。
新たな目標を得た玲奈は、生まれて初めて自らが手繰り寄せる未来に心を躍らせていた。
「(なんだかうまくっているな…。まぁ結果オーライかな?)」
通常は行わない進路指導に責任を感じていた精神科医は、玲奈が元気になっていく様子を見て胸を撫で下ろした。
一月、睦月。
正月に家族や親戚が集まり、睦み合う(仲良くする)ことが睦月の由来だそうだ。
玲奈の話では、毎年正月は祖母の家で親戚一同が会するとのこと。
「いやだなぁ…、おばあちゃんの家に行くのは…」
その年最後の診察時、玲奈は憂鬱な表情を隠そうともしなかった。
無理もない。
家族だけでなく親族にも医療従事者が多く、玲奈の学業について話が及ぶことは避けられないだろう。
「そんなに嫌なら、今年の正月は自宅で留守番をしたらどうだい?」
「えっ? でも…」
「"でも、毎年会ってるから…?”、あるいは”おばあちゃんに悪いから...?"って言うんだろ?今は療養中なんだから、自分の気持ちを最優先してね。…そうだな、両親には"ドクターストップが出たから、留守番する"って説明してごらん」
精神科医の提案に玲奈は明るく「はい」と返事をした。
しかし、事件は起こった。
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