仕事中にどれくらい褒められているか。褒めているか
「仕事では褒められてはならないし、褒めてはならない。仕事は仕事なので、そのような個人的感情よりもきちんとした成果を出すべきである。つまり、褒められることや褒めることが目的になってしまっては、本来あるべき成果を出すということを無視してしまいかねないので、仕事としては不適当な態度である」
ここまでではないにせよ、少なくとも多くの人々の頭の中にあるビジネス感の1つには以上のようなものがある。「褒められる」ことに関して、なんだかとてもストイックなのだ。褒められることが嫌いな人はきっといないはずなのに、仕事という場においてはどこかそれが置き去りになってしまう。褒めても、褒められても、何かそれが恐縮するような、下手すれば悪いことのように後ろめたく思えるのはどうしてなのだろうか。
それは多分、「仕事=嬉しくないこと」だからだ。要するに仕事をしている状況では、自分達は喜びの感情を持ってはならない。そういうのは不真面目だという考えにとらわれているからである。仕事をするということは、自我を持たずにその目的のために身を粉にしなければならないという精神が、深く深く刻まれている。それゆえに、仕事で嬉しいと思えるようなことを、あまつさえ他人に働きかけられたり、働きかけたりするなんてことはタブーになる。
それから、褒められることが当たり前でない理由のもう1つには、仕事には「できて当たり前」がまん延しているからである。たとえ無茶な目標設定であったとしても、仕事は当然にできるものなのだ。それが役割というものである。それが生きるということである。他の人もやっていて常識なのだ。自身に課せられた仕事を達成することに、特別なすごさなど何もない。だから、褒められるなどあり得ない、と。
このような、「真面目であれ」「当たり前であれ」という無意識とも言える強制感が、仕事に「褒められる」「褒める」を失くす。結果、仕事はなんにも楽しいものではなくなって、いつしかイヤイヤやるようになるのだ。でも、それが望んだことである。真面目で当たり前なこと。機械のように、淡々と結果を出し続けること。それを目的としているのだから、これはなにも不思議なことではない。
ただ、1つの間違いは、というよりも気づかないようにしているだけかもしれないが、真面目であっても楽しくないわけではない。そして当たり前というのは幻で、それぞれ個性というものがある。だから土台、これは無理な話なのだ。仕事が楽しくないというのは。すべての人にあてはまる働き方や評価の仕方というのは。
本当は、仕事の中で褒められることは珍しいことではない。変なことでも、恐縮することでもなく、それが毎日であってもいいものだ。1つ何かできるたびに、どんな些細なことでも褒められたいものだ。いちいち喜んでたって、不真面目などと誰が言えるだろうか。笑って仕事ができるのならそれがいい。むしろ、そうでなければ仕事というのは続かない。楽しくないことなど、いつまでもできるものではないだろう。
仕事は楽しくあってはならないと、呪縛のように思い続けるのではなく、仕事では褒められ、そして褒めようとすることが健康的である。
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