noteでの人との距離感について今も考える~ルールは人それぞれだよね~
noteを始めた頃、「誰かのために書いている」と思っていた。うっすら、そう記憶している。
探してみると5年半ほど前。
今より文がひどくて読むに堪えない。楽しんで書いているよって伝えたかったのかな。全部読んでも結局、過去の自分がどう思っているのかよくわからなかった。
ここ何年も私は、特定の誰かに向けて批判や反論を書くようなことはない。
わざわざ書いているのは、最近ショックなことがあって。自分のルールや自分の書く文、発する言葉が、改めて「誰か」に読まれていて、誰かの嫌悪感を誘うこともあるんだなと自分を省みる意味もこめて、まとめておきたい。
【書く内容について】
映画などコンテンツについての感想の時もあるし、自分の感じたことや体験、思い出話についても多い。
何かについての考えを書くこともある。
自分の考えが表れる時。少し気持ちが強く出ると、その分反発する方もおられるのだろうなとは思う。
以前は「書いて載せてしまったらそれは自分の手を離れて、読み手のものになってしまう」と思っていたし今もその思いはある。気質がら「申し訳ない」の気持ちはどうしても拭えない。それは湧いてきてしまう気持ちなので、抗うのは難しくてね。
たとえばどなたかの文を読んで、何か刺激を受ける。それについて考えをめぐらせるのは楽しい作業。
その後、自分の考えを書く機会があると、それは読んだ文に影響があったからかもしれない。ただ私は特定の誰かに反論する気持ちは書かないようにしているので、もし「自分のこと」と思われたら、申し訳なくてたまらない。誰かになんてことないのだけどね。
ただ全然関係のないところで書き始めても、書いているうちに、ふと「こう書くとあの人と考えがちがう」とかすめることがあるので。
以前、「私への反対意見を書いたでしょ! そんなの直接伝えてほしい」と強く責められたことが起きてしまい、すごく怖いと思った。
その時も自分の考えを書いた部分があったけど、書きながら「あっこれはあの人の考えとはちがうなあ」とふとかすめはした。それでも私の考えとしては大切にしたいところだったので表しておきたかった。
そして、かすめた人は、「私への反対意見を~」と伝えてきた人ではなかった。
だから「誰がどう読んでいるか、どう受け取るかなんてわからないものなのだな」とその時も心に刻んだ。
特定の誰かに向けて書くとしたら、賛成している内容や考えさせられる内容で、その人にわかるようにしたい。特に「わかるー!」「そうそう!」って気持ちが強い時は引用もしたい。ただうまくまとまらなかったら結局載せない選択をすることもあるけれど。
そうじゃなく、考えや意見がちがったとしても、私はこう思う。こうする。アナタはそう思うし、そうする。で良いよね。ってすごく思っている。
ただこうやって書くことで、「私への反対意見を~」って言った人にメッセージを送っているように見えるかもしれなくて、こういったことを書くのはためらっていた。私の文から離れて長いのでもう大丈夫かなと思って書いている。わからないけど。
いずれにしても、自分の意見や考えをここで書いて、それを読んでもらえるのはうれしいけれど、特定の誰かを批判したくない気持ちは強い。
でも批判そのものだって、それがダメだとか言いたいのではなくて。
私はこう思うと書いているだけで、同じように思ってくれというんじゃない。
できるだけ対立したくないし、ある部分での考えがちがったとしてもまた読みたいなあと思う文だってたくさんある。
【スキやフォローについて】
常々書いているけど、人によって基準がちがいすぎるので、自分に当てはめて考えない方が良いと思っている。
TOMOさんのnoteで、これこそ「そうそう!」と共感した記事。
どんな風にnoteとお付き合いしているかなんて人それぞれだから、自由だよね。
そう考えて続けていれば、自分の言動が誰かをイヤな気持ちにさせることもあるだろう。
今は自分のフォローのページにすぐ行けるけど、そうはできない時期も長かった。
最初のころに、「困ったなって人には、一時的にブロックして、後からブロックを外しておけば、その人が自分の記事を読む機会が減るのでは」と教わってそのようにしていた。
ブロックだなんて強い気持ちなのではと抵抗がありそうなものの、noteを始めてから間もなく親しくしていた方に聞いてすごく気軽にしていた。ただ外し忘れてやしないかとか、タイミング悪くて不快な思いをさせたのではないかとか、今も思い出しては頭を抱えたくなることもある。
フォローを大量に外すという申し訳ないことも何度かあった。皆で盛り上がらなくてはいけない、皆と同じようにしなければいけないと強迫的に思って勝手に追い詰められて、勝手に人をイヤな気分にさせてしまった。
たくさんのことをやらかしてしまっているから、余計に思う。人それぞれ自由にnoteとお付き合いしたらいいんだよって。
noteを始めた頃。すごく好きな方がいらして、年上のその方とずいぶんやり取りをさせていただいた。文がとても上手で、いつも感心していた。読むと自分の力のなさを痛感するのが怖くて時々ためらうほどに。それでもその方の文が好きで、やり取りが楽しくて。
その方が「初めてスキをつけてくれたら、その人の、最初の投稿を探して読みに行くの。面白いよ!」と教えてくれたことがあった。
多分それが今も私の頭にある。
最近の記事が自分と合わなさそうだなあと思うと、ずーっとさかのぼってできるだけ過去の記事を見てみる。面白かったら好奇心にかられて幾つも読んでしまう。
気持ち悪いと思う人もいるみたい。
私はスキをつけられたらなるべく読みに行きたい。
そんな風にできるほどのフォロー数にもしている。たくさんの人をフォローできない気質についても申し訳なく思ってしまうのだけど、できるだけ色々な人のを読みたいから少なめにしているのもあるのだ。
初めて読みに行くと、プロフィールに目を通す。プロフィールがない時は最近の記事のタイトルを見る。自分の読みたいものが見つからないと、初期の記事を読みに行く。読んでくれた人の雰囲気を感じ取りたい。よくわからないなあと思えばそのままその場を去る時もある。のぞく余裕のない時だってあるし。
タイムラインに上がっているものも、すべては読めない。その時の気分や、余裕のあるなしで。後で読もうと思ってそのままになっていて、突然思い出してだいぶ後になって読む時もある。そんなだから読めていないままのものもあるだろうなと思う。読めていないなあと気づいてもやっぱりその時も余裕がなくてそのままになることも。
全部をしっかり読むのは大変。そうも思っているから、なるべく自分のタイムラインのページをさかのぼらないようにしている。その時その時のを優先的に、なるべく読みたいから。キリがないと思ってね。目をつぶっちゃっている。
長く続ければ続けるほど、スキのつけ方、コメントの仕方、フォローに関して、自分の楽しみ方を大事にしないと疲れてしまう。
それと同じように、他の人も他の楽しみ方で良いものね。
投稿している内容や雰囲気で、合わないと、相性が良くないなと思うけれど、別に誰かや私が悪いわけではない。不安になったりストレスになったりするくらいなら距離を置いておけば良い。その人それぞれの考え方があるだろうから。
私のやり方、つけたスキ、自分の書いたことなどでイヤな思いをさせてしまったら本当に申し訳なくて仕方ない。と思ってね。
時々自分を振り返らなくちゃの意味もこめて書いたけれど、今回のことを書いたのは、他にもきっかけがある。
ちょっと前に気づいた。noteを始めた頃に親切にしてくれた、文の上手な彼女が、とうとういなくなった。彼女のページがごっそり、存在すらなくなっていて。
それでも来なくなってからも長年、居続けてくれてありがとうと思った。別に私のためじゃないだろうけど、当時来なくなっただけで、その頃のショックは強かったので。
仲良くしていただいていた。色んなことを教えていただいた。愚痴も不安もたくさん聞いてもらって、たくさん励ましてもらってずいぶん元気づけられていた。noteに対する考え方の土台は彼女でできていると言って良いくらい。
色々と思うところがあったのだろう。私が嫌われちゃったのかもしれない。でもイヤな言葉を向けずにいてくれた。
何年も前、彼女への自分の思いを引きはがすのに時間がかかったけど、書くのが好きでどうにか続けられている。
noteを始めてあと3か月で6年が経つ。
文について、ここでのコミュニケーションについて、気づくことはまだまだたくさんある。
自分なりのやり方で、傷ついてしまったり、イヤな思いをさせてしまっているかもしれないと自戒もしながら、お付き合いを続けていけたらと思う。
特に羽ばたいていく若い方たちをまぶしく見守っている。若いったって、私より10歳若ければ、私にとっては充分若い。キラキラまぶしいよ。
アナタと私は考えがちがうかもしれない。意見が反対だとしても、アナタや私が離れたとしても、それぞれの場所で居心地良く過ごしていれば良いなと思って応援している。ほんとだよ。