読書記録「タタール人の砂漠」
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
今回読んだのは、ブッツァーティ 脇 功訳「タタール人の砂漠」岩波書店 (2013) です!
・あらすじ
士官学校を卒業し、将校に任官したばかりのジョヴァンニ・ドローゴ。20代の彼にとって、これからの日々は輝かしいものになると思っていた。
だが赴任先の「バスティアニーニ砦」に到着して、早くもドローゴは幻滅することになる。北の国との国境近く、町から隔離されたこの場所は、砦と言うよりは牢獄に近しかった。
彼らの任務は国境線の警護。目の前に広がる広大な砂漠は、かつて「タタール人」と呼ばれる異国の軍勢と争った歴史があるらしい。
しかし、今となっては一体誰が侵略するのだろうか? 俺はいつまでここで見張りを続けねばならないのだろうか。
……だが、それを考えるにはまだ俺は若い。20代の自分にとって、10年、20年後なんて遙か先のことなのだから。
昇格すればこの砦を離れて都市部に配属されるかもしれない。それとも、本当にタタール人が攻め込んでくるかもしれない。まだ焦ることはない……。
だが、それを嘆く頃には、月日はあまりにも早く過ぎ去り、もはや自らの意思で動けなってしまうのだった。
東京読書倶楽部の読書会にて、開口一番「無駄なこと(仕事)を続ける必要があるだろうか?」という紹介の引きの強さに惹かれて紐解いた次第。
訳者解説に書いてあるが、この作品の主人公は人生というもの自体であり、ドローゴという人物は人生そのものを具象化したものだという。
私は転職した身だから分かるけれども、新卒で入社した会社に勤めて5年もしたら、「この先20年、30年と同じ仕事を続けるのだろうか?」と疑問に思ったことはないだろうか。
私の場合、父親が転職反対派だった。当時は知名度のある会社だったし、「何年も働けばいつか本社勤務になるんだろう?」の一点張りで転職を反対していた。
でも、当時の会社に勤め続けることに魅力を感じてなかった(会社に感謝はしている)、本社勤務したいという気持ちもなかった。
リサイクル工場の現場作業員として、毎日同じ工程を続ける。その様子は、さらがら毎日来るかもわからない敵を見張り続けるドローゴと重なるところがある。
もちろん、もし当時の会社に勤め続けたら今頃どうなったらろうかと、思わなくもない。
会社の運営方法が大きく変わるとか、巨額の設備投資がされるとか、会社として大変動が起きたかもしれない。
あるいは、配属先が変わっているかもしれない。父親の言う通りに、都内の本社でスーツを着て仕事をしていたかもしれない。
だが私が思うに、おそらく今でもリサイクル工場の現場作業員のままだと思う。役職は上がっているかもしれないが、仕事内容は大きく変わらないと。
それでいて、転職しないまま当時の会社に勤め続けただろうと。
もちろん、転職をしないことが悪いことではない。
仕事の適性やワークライフバランスもあるだろうし、最初に入社した会社で定年まで働き続けたいと思えるのならば、素晴らしいことである。
ただ恐ろしいのは、自分の人生はまだ始まったばかりなのだと思い込み、本当は自分がやりたいことがあるのに、そこから動けずにいることだ。
今でさえ、Webライターとして働いているけれども、この仕事に就くまで紆余曲折あって、道端で溺れながらも転職を繰り返したからだ。
20代後半でリサイクル工場の現場作業員の経歴と資格しかなかったから、書類選考の時点で落とされるのが大半だし、紹介される会社も現場作業や生産管理なわけで。
まぁある意味、私は運が良かった方だと思う。好きなことを仕事にしているし、何だかんだ地に足がついた生活はできている。
当時の私がエイヤって、動き出せたおかげだと思う。タタール人の砂漠を見続けることなく、今こうして仕事をしているのだと。
もし今後、人生が単調で味気なく感じた時に、また読み返すことになるだろうなと思う作品でした。それではまた次回!
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