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読書や教養は何の役に立つ?
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
去年、東京読書倶楽部の読書会でお会いした人の話である。
会社の同僚と趣味について話していた際に、その人は「趣味は読書」だと話したら、どんな本を読んでいるのか聞かれたそうで。
その人は「小説が多い」と答えると、「小説なんて役に立たない本読んで、何の意味があるの?」と言われたらしい。
なんてやつだ、生かしておけぬ。自称読書家は単純な男である。
しかし、読書に対して様々な価値観があるのは事実。
私も若かりし頃は、「FIREを目指す」「億を稼ぐ」的な本を読んでいたのだから。
「仕事やビジネスで勝ち残るために」、「お偉いさんの話についていけるために」本を読むのも、読書の価値の1つである。
中には、勝間和代さんの「勝間式 金持ちになる読書法」宝島社 のような、ど直球なタイトルの本もあるのだから。
私も普段は小説ばかり読んでいるのだが、時には真面目にビジネス書や自己啓発系の本も読みたくなることがあるのです。
そんな中、会社のお偉いさんが推奨している本に、レジーさんの「ファスト教養」集英社 (2022) があり、紐解いた次第。
「歴史や哲学、文学などの教養は、仕事やビジネスで生き残るのに役立つ」という思想が浸透しつつある現代社会。
1冊の本を読む、1本の映画を観るよりも、内容の大枠を効率よく(コスパよく)理解できる動画や要約サイトが台頭している。
教養を学ぶことに価値を置きすぎるあまり、何のために学ぶのかという目的が欠如しないかについて、警鐘を鳴らしている。
二時間じっくり映画を楽しんでも必ずしもお金を稼ぐことにはつながらない。単に話を合わせる(その作品を知っていると表明する)ことが目的であれば、最初からあらすじと結論だけを知ろうとするほうがコスパが良い。
そもそも、読書や教養が稼げるのかという話だが、実際に稼いでいる経営者や実業家は、教養に精通している人が多く見受けられる。
(もっとも私が知っているのは、堀江貴文さんや西村博之さんなど表舞台で目立つタイプであり、実際はどうなのかは疑問である)。
そんな方々が、稼ぐためには教養を学ぶ必要があると語るゆえに、社会で生き残るのは教養を身につける必要がある、と解釈する。
同著書の中でも語られるが、「教養としての〜〜」や「はじめての〜〜教室」など、あたかも一般教養かのように見せる本は多い。
もちろん、知らないことを1から学ぶこと自体に意味がある。
しかし、その先には「ビジネスの役に立つか」という前提がなきにしもあらず。
ファスト教養に染まったビジネスパーソンが「ビジネスに役立つか」でしか書籍や文化をジャッジできなくなるように、チャートハックが目的化したファンの活動には表現そのものへの関心が生まれる余裕がないと言えるかもしれない。
ふと私自身の言葉に引っかかる。この「知らないことを1から学ぶこと自体に意味がある」って、本当だろうか?
自分の言葉に言うのも何だけれども、結構綺麗事な気がする。
なぜなら、何かを学ぶからには、何らかの目的や意図があるものだと個人的には思う。
例えば、急に私がギターを始めるとしたら、最初は一人で演奏するだけで充分かもしれないが、いずれは誰かとバンドを組みたいと思うかもしれない。
自分の腕前を動画サイトに投稿して、ギターヒーローとして有名になってチヤホヤされて再生数だけで稼げるようになってゆくゆくは学校を中退して不労所得で生活できるかもしれない(「ぼっち・ざ・ろっく!」より)。
話が逸れたが、何か1から学ぶためには、何かしら思い描くものがある。
またそれは、現在進行系で自分が好きなこと・趣味にも該当する。
読書でも、時代を超えて長く読まれる古典・名作があり、「死ぬまでに読みたい100冊」を果たすために本を読むこともしばしば。
読書会の主催者としても、書店で話題の本には目を通しておきたいと思いつつ、でも名作を読みたいという気持ちもありつつ。
そう思うと、学ぶことに何かしら目的や意図があるって、普通なんだと気づく。
だとしたら、「何のために学ぶのか」が、しっかり軸になっている方が良い。
単に成長を志向するだけでなく、「そもそも自分にとって成長とは?」といった問いを育てることが、自らの仕事や人生を見直すきっかけになり、ひいてはファスト教養に抗うための出発点になるだろう。
結局は、誰かのためではなく、自分のために役に立つかということが、一番大事なんじゃないかと思う。
読書や教養が、ビジネスに通じているか、はたまた、精神的な豊かさにつながっているかは、目指すところの大きな枠でしかない。
自分にとっての幸せや成功が異なるように、自分が読書や教養を深める理由もまた、人それぞれである。
私の場合、一言でいうと「カタルシス」。
心揺さぶる作品を読むことが、心の滋養の役に立っている。
そんなふうに、人により目的が異なると分かれば、「小説なんて役に立たない」なんて、同僚ならばなおさら言わないだろうなと。
自称読書家は思うんだ。それではまた次回!
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