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ゆるく書き続けること。

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

久々にnoteの連続投稿日数を確認したら、かれこれ880日ほど書き続けている。

あれだけ遠く思えた1000日連続投稿も、なんだか目指せないところでもない気がしてきた。

ライターとして記事を書き、プライベートでも毎日noteを更新している。休日も「記事のネタ探し」に、悶々とする日もなくはない。

実際に先日も、会社の先輩から「仕事終わりにも記事を書いて、疲れないんですか?」と聞かれたばかり。

結論、疲れはするけれども、noteを書いている間は、むしろ気分が良い。

その大きな要因は、自分のnoteでは、気楽に自由に書けることだと思う。

仕事で記事を書くとなると、どうしてもトンマナとか、PREP法(結論・理由・事例・結論)を意識しろとか、何かと制限が多い。

私のライターとして「書くことが好き、考えるのが苦手」で生きている。

その書くことに対して制限を掛けられると、妙にイラつくことに気づく今日この頃。

まぁ、未だにそれで指摘を受けること自体、まだまだ改善の余地があるわけなのだが。

もちろんnoteでも、「この気持ちをどう表現しようか」「改めて言葉にすると何だろう」と、悩むことはある。

好きなように言葉を紡ぐとは言え、読み手が不快になる表現はないか、コンプライアンスや社会通念に反していないかも、一応気にしている。

だけど、noteではトンマナを守らなかろうが、文調が突然変わろうが、それで咎められることはない。

むしろ、私の記事には、あまり格式張った口調の語り部は求められていない気がする。

最近の記事だと、その場の気分で書き上げた「パンと読書って、なんて相性が良いのでしょう」とか、「心温まる作品が好き」などの記事のほうが、結構読まれている。

個人的には「会心の出来場!」と思っていても、読む側からしたら、文体がかっちりし過ぎていると思われているのかもしれない。

つまり何が言いたいのかと言うと、書き続けるのに大切なことは、一種の「ゆるさ」である。

会社の図書スペースにて妙に目を引いたタイトル、三浦紘樹さんの「やる気がなさそうなのに なぜかうまく人がやっている人」飛鳥新社にも、こう述べられていた。

ゆるく「はじめ」て、ゆるく「続ける」ことが肝心です。大事なのは、やる気を出すことより「続ける」ことです。

同著 142頁より抜粋

あくまでも、物事を始める(続ける)ための仕組みとして、という章であるが、個人的にはこの「ゆるく」が大事だと思う。

私自身、最初はかっちりした文体・内容の記事が多かった。

たまに投稿初期の記事に「スキ」がつくと、「なにゆえに?」という気持ちと、「何このやる気に満ちた男の文章……」と、少々恥ずかしくなる。

だけど、「珈琲と読書と、オールドファッション」という記事を書いた頃から、書く内容に「ゆとり」が出てきた気がする。

あれね。「ほー いいじゃないか。こういうのでいいんだよ こういうので」ってやつね。それではまた次回!

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川口 竜也 / 川口市出身の自称読書家
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