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自分の物語を面白くするのは自分(フィリピンルーツJさん)
こんにちは!カタリバRootsのせなです。
カタリバRootsプロジェクト(外国ルーツの高校生支援)の進路体験記シリーズ(2022年版)では、多様性あふれる卒業生たちの歩みと、彼らが自分のことばで語る成長と学びを、インタビュー形式*でご紹介しています。
*2022年5月時点(インタビューは3月実施)の情報です。
#4は、フィリピンルーツのJさんのストーリーです。
Jさんのプロフィール
フィリピンでは、マニラと地方を行き来して育ちました。幼少期を日本で過ごしたためタガログ語があまりできなかったことや、家庭の事情で精神的に疲弊していたこと、持病で身体的な制限が多かったことなどが重なり、不安や辛い気持ちを多く抱えた小学校時代でした。
2017年の春に日本にもどってきたJさんは、不安もありつつ、環境が変わるのがうれしく、色々なことにチャレンジしようという気持ちがわいたとのこと。日本語の会話は少し覚えていましたが、読み書きを学んだことはなかったため、2年間通った夜間中学校で1から学びました。その後、定時制高校に進学。
高校2年生
幼少期からの日本語の土台があったこともあり、日本語の日常会話・学習はスムーズにできるようになっていました。生徒会長として、コロナ渦の対応や新入生の受け入れを責任を持ってリードしたり、多言語部の部長として、外国にルーツがある後輩やクラスメイトを中心に、居場所づくりに取り組みました。
高校3年生
自分の興味や得意とすること、実現したいキャリア像に向き合い、好きな言語の読み書きと、英語と日本語の知識を活かして翻訳者を目指す決断をしました。秋頃には専門学校に合格。学費の捻出のためチャレンジした特待生試験に1度目は落ちてしまいましたが、面接と科目試験の結果を振り返り、2度目の挑戦で合格できました。自身の受験に向き合いながら生徒会長および多言語部の部長の責任を最後まで果たすため、周囲の協力を得ながら、文化祭や代の引き継ぎ、卒業式の送辞の作成なども行いました。
卒業後は、幼い頃から好きだった言語学習をキャリアに転換するため、日本外国語専門学校で学んでいます。
みんなが参加できる場が心地よくて、自分の周りにもつくっていきたいと思った
せな:
卒業おめでとうございます!Jさんとは、2年生のときに学校の授業で会って、3年生になってからオンラインでも話すようになりましたね。なぜ、カタリバとつながろうと思ってくれたんですか?
Jさん:
2年生のときのカタリバの授業で「この人たちがやろうとしていることは、いいな」「もっとこの人たちと話してみたい」と思いました。
せな:
そうだったんですね!(照)
(コーディネートしてくださった先生方、ありがとうございます・・・)
授業のどういうところが「いいな」と思ってくれたの?
Jさん:
普段、授業に興味がなさそうなクラスメイトたちも授業に巻き込んでいたところです。
様々なバックグラウンドの人がいて、自分にとっても話しやすかったです。私は日本語でもまあまあ話せるし自分のことを伝えられるけど、日本語で話しづらいクラスメイトもいます。そんなクラスメイトたちが、授業に参加して自分の声を届けられていたことに、びっくりしました。
せな:
Jさんは他のクラスメイトのことを気にかけて、みんなが参加できる授業をいいなと思ってくれたんですね。
Jさん:
みんなが考えをシェアしたり、お互いのことを知って1人じゃないと感じられる場になっていたから、自分にとっても心地よい授業だと思いました。
誰も苦しくなくて、みんなが参加できる環境は安心します。私は高校で日本語も上達したし、生徒会長としても学校に自分の場を作れた方だと思うんです。そうじゃない生徒がいるのもわかっていて、そんな人たちがどこかで安心できる場があったらいいなと思っていました。
特に外国の生徒は、進路などに関しても不安が多いと思います。自分もそうでした。ここ数年は世界全体が不安定な時期で、その中で孤立しているのは辛いから、カタリバにはあまり人とつながれない生徒とも関わってほしいと思います。そういう生徒がカタリバの人と話せていると、私も「よかったね」と思います。
せな:
人とつながれないクラスメイトは、どういう状態だったと思いますか?
Jさん:
議論や場に参加できないときは、「部外者」のように感じると思います。
自分も、前はそう感じることがあったけど、そこから脱出したと思います。
小さい頃、フィリピンと日本を行き来する中で、学校で無視されたり、そこにいない”おばけ”みたいに扱われて、辛かったことがありました。小学校に通っていたのに、誰も私を覚えていない学年もあります。
1人でも、自分を知ろうとしてくれる人や、認めてくれる人がいると安心します。そんな環境を、この人たちは創ろうとしていると感じました。
せな:
そうだったんですね・・・!
授業の外で、クラスメイトたちが変わったと思うことはありましたか?
Jさん:
私たちの学年は、カタリバがいないときも、会話や、発言や、お互いに協力することが増えました。結果として、お互いへの信頼も増えたと思います。
2年生からコロナ下の分散登校などがはじまって、あまり集まれなかったこともあり、グループが固定化してしまいました。これまでほとんど話したことがなかったクラスメイトたちと、授業の中で話したり、意見をきく機会があって、うれしかったです。
前は授業でグループ作業をするときなども、普段あまり話さない人と話すのは、ちょっと恥ずかしかったり気まずかったりして、なんとなく距離を取ったり、目立たないように日本語だけで話そうとしていました。
でも今は、「伝えよう・関わろうとするのが大事」「日本語以外のことばで、お互いヘルプしてもいい」と思い、クラスメイトどうし、色々な方法で関わるハードルが下がりました。
せな:
そう言ってもらえて、とてもうれしいです。授業の外で、色々な話や経験をしてみた結果は、どうでしたか?
Jさん:
私はオンラインで人と話すのが苦手で、最初は少し渋りました(笑)。
自分が何をしたいのか、はっきり自覚がなかったんですが、話すうちにやりたいことがたくさん出てきて、メンターと一緒に、どうやってそれを実現できるか考えました。
自分のことをもっと知ること・もっと生産的になること・他の人と繋がる方法を知ること などです。
全部、実現できたと思います。面白くて、楽しかった。
せな:
それは良かったです。他に、不安などはなかったですか?
Jさん:
中学生の自分だったら、やらなかったかも。自分はプライベートな人間(プライベートにあまり踏み込まれたくない)なので、これまでは人に自分のことをシェアするのは心地よくないと思っていました。今も少しそう感じることもあるけど、一人で抱えるのをやめました。
みんながシェアする授業が心地よくて、人の意見を聞くのも面白かったので、「もし、私の考えを人とシェアしたらどうなる?自分にも、周りの人にもインパクトがあるんじゃないか?」と思ったんです。それで、この人たちといっしょなら、授業の中でファシリテートしてくれたみたいに、もっと周りとシェアできるようになると思いました。
カタリバは、私のリフレクションの壁打ち相手や、感情の表現ができる相手になってくれました。自分はあまり外交的じゃないけど、そうやって話していると、気持ちが軽くなることに気づきました。また、実際に私が外に出たり、人とつながることを応援してもらいました。
これらの経験を通して、学校でも、先生たちや周囲のサポートに自覚的になれたと思います。
たくさんのチャレンジをして忙しかったり大変でも、不安に引っ張られなかったのは、周りの励ましで気分が上がったことが大きかったと思います。いろいろな人の応援を受けて、チャレンジし続けようと思いました。クラスメイトも、日々元気をくれて、それに気づくことができました。
自分が人の影響を受けていて、ポジティブな感情や、関わりによって元気が出ること。それらをシェアして、周りとはげまし合うこと。これが、高校時代に学んだことです。
挑戦の中で、「責任感」という自分の強みを自覚した
せな:
Jさんが行動して、自分や周りの人に向き合ったから、学ぶことができたんですね。Jさんが、高校生活で1番自分を褒めたい「選択」はなんですか?
Jさん:
高校の生徒会長に立候補して、就任して、やり遂げたことです。
1年生のとき、先生にすすめられて立候補したんですが、他の立候補者がたくさんいて、2年生も2人いたんです。私はまだ日本語もそんなにうまくなかったし、1年生で、恥ずかしくて諦めようと思ったけど、先生に「1年生だからこそ、これから学校をつくっていけるんじゃない?」「あなたならできる」と言ってもらって、勇気が出たのを覚えています。「私だからできることがある」ということには価値を感じたし、できるかはやってみないとわからないと思って、残ることに決めました。
生徒会長になってからも、いろいろな先生たちが頑張ったことをほめてくれて、はげましてくれたのが助かりました。
せな:
本当におつかれさまでした!私たちが会ったときのJさんは、すでに生徒会長として活躍していたけど、諦めたいと思ったこともあったんだね。諦めずにチャレンジして、どうなりましたか?
Jさん:
選ばれるまでの期間で、すでに色々学んで、やってみる覚悟が決まりました。自分の強みだと思う「責任感」「will(意志)がある」に気づいて「私ならできるかもしれない」と思ったんです。
立候補したあとに、候補者のミーティングを何回かやって、生徒会長としての仕事について知ったり、候補者どうし議論する期間がありました。そこに来なかったり、議論に参加しない候補者もいたけれど、私は、参加した場ではベストを尽くしたいと思いました。他の候補者をジャッジするわけではないけど、自分の姿勢や行動は当たり前じゃないことに気づきました。
せな:
進路を決める中でも、自覚している強みについて話してくれましたね。生徒会長になってからも大変なことがあったと思うけど、その中でも強みを発揮することができましたか?
Jさん:
そう思います。いろいろな壁があったけど、諦めずにやり遂げられました。
私が生徒会長になったタイミングで、コロナが始まったんです。急に授業がオンラインになったり、それに対応して決めないといけなかったこともあり、とても大変でした。生徒会長や生徒会がすることは、大体毎年決まっていたけど、コロナの対応はみんなが初めてだったので...
新入生の歓迎会をオフラインで予定していたけど、どうやってオンラインに変えようか?など、みんなで考えました。その中で、他の生徒会のメンバーが休んだときや、周りの生徒の協力が得られなかったときなどにも、自分はいつもその場にいて、リードしないといけなかったです。
自分を知って発信することで、自分も周りも強くなる
せな:
Jさんの強みの「責任感」や「行動力」は、どこから来たと思いますか?
Jさん:
意志力だと思います。私は、よく“Where there is a will, there is a way”(意志あるところに道あり)というフレーズを思い出します。自分が動かないといろいろな経験ができないので、体調や気分のアップダウンはあっても、それで挑戦をやめることはない、と決めています。
私は、育つ過程で、持病や環境の変化を乗り越えてきました。
フィリピンと日本を行き来したり、その中でとてもしんどいことがたくさんあった。今もあまり語りたくないような時期もあります。でも、そのときに無力に感じたり、活き活きといられなかったことを思い出すと、今はずいぶん元気になって、環境にも恵まれていると思います。当時はやってみたいことがあってもできなかったけど、今はどんどん行動できる状態にあるので、動かないともったいない!と思います。
過去の自分と比べて、今の自分ができるようになったことに気づくために、高校時代は、振り返りをたくさんしていましたね。中学時代にも、少しずつ挑戦を始めていてその種はあったけれど、高校でさらに経験とリフレクションをくりかえして、強くなったと思います。
せな:
たしかに、Jさんは私たちにも「振り返りをしたい」と言って、よくシェアしてくれたよね。振り返りをはじめたきっかけはありましたか?
Jさん:
MBTI(Myers–Briggs Type Indicator、マイヤーズ=ブリッグス・タイプ指標)の、性格タイプ診断について知ったことをきっかけに、自分の個性について考えるようになったことです。
人と比べて、違いすぎて自信がなかった自分の性質を、受け入れられるようになった。私は昔から、自分のことをクレイジーで変な人だと思っているんです(笑)。前は、周りと違うことが嫌で、合わせようとしていましたが、MBTIで出てきた診断結果を読んで、はじめて「私のことだ」「こういう人が他にもいるし、いていいんだ」と思えるようになりました。
あと、「私のことだ!」と思った自分に対して、“How do I know?” (なぜそうわかる?)と思った。つまり、本当はすでに、自分は自分のことを知っているんじゃないか、と気づいたんです。受け入れられなかっただけで。
カタリバといっしょに行った強み診断のワークショップでも、人と自分の強みについて話したりする機会もあって、1人で考えるのと違う視点が得られました。自分を受け入れるだけじゃなく、周りの人ともお互いに受け入れ合いたいという気持ちが強くなりました。
自分を知ったことで、自分に必要なことは全部持っていると思っています。「あー良かった。自分はずっと自分だった」という感じ。
今は、前より自信があって、幸せです。
クレイジーな自分が好きと思えます。
せな:
とっても素敵ですね!自分を受け入れられなかったときの話は、初めて聞きました。
Jさん:
育つ過程で、環境がたくさん変わったことも、なんだか自分のことがわからなかった理由かもしれません。周りばかり見ていて、自分のパーソナリティやふるまいを合わせて変えないといけないと思っていて、辛かったです。元々、人と関わることや共感することが得意なので、何が本当の自分かわからなくなってしまって、自分を探すことがむずかしかったです。
でも、今はリフレクションを通して、自分の情報を集めています。
自分のことを知っていて、どんどん、もっと自分になっていく。
人のためでなく、自分のために自分を変えることができます。
せな:
これからのJさんは、どうなりたいですか?
Jさん:
人が、ポジティブな変化を自分で起こせるように、エンパワーできる人になりたいです。
さっき話したように、自分が精神的に辛い思いをしたことがたくさんあったけど、昔はそれを周りに相談したりできなかった。メンタルヘルスの問題は、母国のフィリピンも日本も含めて、アジアでは話しづらいのかな、と思います。相談したり、周りと話すようになって、元気になることができました。
周りの人の話を聞くことも、人を気にかけることも、いつでもできる。
それに加えて、私自身が自分らしくいること、自分をありのままシェアすることで、他の人も自分らしくいていいんだよ、ということを伝えたいです。
人生は物語だと思います。そして、自分の物語を面白くするのは自分です。
これからも、周りからの影響を選びながら、人と受け入れ合って、自分を変えていくのが楽しみです。
せな:
私たちも、Jさんのこれからをとても楽しみにしています。どんな物語になるんだろうね!インタビューありがとうございました。
〜編集後記〜
多様なバックグラウンドや難しさを持つクラスメイトに対するJさんの想いを改めてきき、Jさん自身のマイノリティとしての視点や温かいパーソナリティが反映されたリーダーシップは、他の生徒にも安心感があったのではないかと思いました。ごく自然に、マジョリティとマイノリティの架け橋のような役割を果たしてくれたのかもしれません。
マジョリティ側の期待を押し付けたり、機会を制限することなく、より多様な人が色々な立場で参画できる学びの場を作るには - 周囲はどのようなマインドセットを持って、応援したり、機会をひろげていけるだろう?という問いが浮かびました。
■伴走内容(週1・60分)
伴走期間:高校3年生の10月~1月
(高2の7月~高3の1月まで、約月1のペースで学校の連携授業)
・学校と連携した放課後学習会の運営
Jさんが立ち上げた放課後の学びの場の運営サポート。今度は自分が誰かに機会や居場所を提供したいと、同じく海外にルーツをもつ後輩への学習サポートや相談対応をしていました。また、本来はルーツ関係なく学び合いたいと、日本の生徒も誘ったイベントの企画にもチャレンジしました。
・進路決定後の準備サポート(高3年)
「生徒会長として忙しい中で、心身の健康を保ちつつ、進学に向けた準備を効率的にすすめたい」という本人の希望に沿って、タスクの整理や、学習・行動計画および戦略の作成を、本人が中心になって行い、メンターがフィードバックや進捗確認を行いました。また、進学後に本人が1人で生活リズムや学習習慣を整えたり改善する方略を身につけるため、進捗確認の中で、Jさんの気持ち・体調的な課題や状況の振り返りに対しても、フィードバックや相談対応を行いました。
・企業連携イベント(強み発見ワークショップ)
・大学生や社会人との対話の機会(ロールモデルとの出会い)
「自分以外の海外ルーツの先輩・後輩と繋がり、アイデンティティや将来なりたい姿に向けて考える材料にしたい」と、多様な機会に参加し、自分の考えや経験をシェアしてコミュニティを広げたり、フィードバックをもらって自己理解を深める場として活用していました。
卒業まで、「新しい環境に行く前に、自分を知ったり自己表現をする機会を作りたい」と、生け花・編み物・詩や写真など、色々なアートの手段を試して、周囲に共有する様子も見られました。
(Jさんが「自分の心が動くとき」というテーマで、自分の写真と詩をまとめたウェブページ。授業の中で、クラスメイトや大人にシェアしました)
学びストーリーの共有を通して、今、海外にルーツを持つ高校生に関わっている方、これから関わる・知りたいと思っている方々、そして『自分らしさ』に悩む方にも、多様な視点が自分の価値観に目を向けるきっかけとして届いてくだされば幸いです。さらには高校生の視点を通して、若者を取り巻く大人の在り方、マジョリティの在り方、うまれる問いをみなさんと考えていけたらうれしいです。
お読みくださりありがとうございました!