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文学と尺八📖

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古文書・地誌・狂言・詩集などに登場する尺八、虚無僧をご紹介♪
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初代黒沢琴古の巷説☆根岸鎮衛による雑話集『耳嚢』より

初代黒沢琴古の巷説☆根岸鎮衛による雑話集『耳嚢』より

黒沢琴古シリーズ☆其の三

耳袋とは、江戸時代の旗本、根岸鎮衛によって書かれた雑話集。

江戸の珍談・奇談をおよそ1000話集めたという。
その中に黒沢琴古が登場する。

下級旗本出身であった鎮衛は、22歳の時に、同じく旗本の根岸家の養子になり家督を継ぎ、その後中級幕吏となり出世していった人物。

根岸鎮衛とは、

国立公文書館HPに紹介あり↓

国立公文書館HPにもあるように、下級幕吏出身のくだ

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江戸の尺八指南所☆式亭三馬の滑稽本『浮世床』より

江戸の尺八指南所☆式亭三馬の滑稽本『浮世床』より

黒沢琴古シリーズ☆其の二

前回のnoteに、次回は指南所について、なんて書きましたが、江戸時代の作家、式亭三馬の書いた「浮世床」に尺八指南所が登場する。

指南所について分かりやすいので、まずはこちらをご紹介。

「浮世床」とは、今で言う床屋のこと。男性の髪を結い、髭や月代などを剃るところで、町屋で借家して営業していた。

同じように、尺八の指南所、ようは尺八教室も間借りして稽古をしていたのだ。

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虚無僧と文学☆山東京伝作『昔話稲妻表紙』歌川豊国画

虚無僧と文学☆山東京伝作『昔話稲妻表紙』歌川豊国画

古本屋で「江戸」というワードのついたタイトルがつく本を、適当にとってはパラパラと頁をくって見ていたら、またもや虚無僧を発見。

偶然に虚無僧を見つけたのはこれで3回目。

前回、前々回はこちら↓

今回の本はこちら↓

『大江戸異人往来』
タイモン・スクリーチ著 高山宏訳

この本の内容は…、

著者のタイモン・スクリーチ氏は、

ヴィジュアル・カルチャー研究の方法を導入し江戸学に新局面を開いた。

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「邦楽は単調か」高橋空山

「邦楽は単調か」高橋空山

邦楽というものはどういうものかという事を、実に分かりやすく言葉にされているので、こちらにご紹介したい。

それは、1960年に出版された『日本音楽』の中の高橋空山著「邦楽は単調か」に、書かれている。

最近は邦楽の範囲が広くなり、J-POPも邦楽の内に入るなんていう話も聞いたことがありますが、1960年に書かれたものとご了承いただきたい。

「なぜこんなに尺八に魅了されるのか」という漠然とした疑問

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明治時代の雑誌『風俗画報』に描かれた「虚無僧」について

明治時代の雑誌『風俗画報』に描かれた「虚無僧」について

以前のnoteに、四代目歌川広重による『江戸府内絵本風俗往来』の普化僧(こもそう)について書きました。

その中に、「曩に風俗画報の中に悉く載せられしかば」と、『風俗画報』に、なにやら虚無僧のことが詳しく書かれているとの記載がありましたが分かりませんと書いたところ、なんと、いつものように尺八研究家の神田可遊師が持っておられ!ご厚意で貸してくださいました。

この風俗画報、通巻478号。号数外の増刊

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雅楽書「體源抄」の尺八☆其の三📖最後のまとめ

雅楽書「體源抄」の尺八☆其の三📖最後のまとめ

これまでの『體源抄』は、前半はインドに始まる尺八の起源、猿の鳴き声に感銘を受けてその音を尺八に写したことや、骨の話。そして猿の鳴き声に関する漢詩。中盤は聖徳太子、慈覚大師円仁、平安時代後期の雅楽家清原助種、室町後期の雅楽家の豊原家、田楽師の増阿、聞阿のことなど、主に日本での尺八奏者の事が書かれていました。

今回は国会図書館所蔵『體源抄』630頁、一休禅師作といわれている詩から始まります。

この

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四代目歌川広重による『江戸府内絵本風俗往来』の普化僧(こもそう)

四代目歌川広重による『江戸府内絵本風俗往来』の普化僧(こもそう)

某日、西荻窪の古本屋で『江戸府内絵本風俗往来』という文庫本を見つけた。

(四代目広重なんて人がいたのねぇ)
なんて思いながらパラパラとめくって見ていると、虚無僧の絵があるではないか。
この風俗絵本には江戸の年中行事から日常風景、商売人や路上の人々がその説明文と共に生き生きと描かれている。
明治38年に刊行された本だ。
時代の激変ぶりに差異がありすぎるかもしれないが、ちょうど今頃に昭和の風俗絵本を

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雅楽書「體源抄」の尺八を読み解く☆其のニ📖飛鳥〜室町時代

雅楽書「體源抄」の尺八を読み解く☆其のニ📖飛鳥〜室町時代

『體源抄』とは、1512年(永正9年)成立された、雅楽書のこと。
都の楽人、豊原統秋(1450ー1524年)が家芸の伝承の為に撰述したとされています。

前回の其の一では、尺八の起源が書かれています。「昔々、インドにいた猿の鳴く声に感銘を受け、その音を尺八に写したと言われている。云々…」

今回は、日本の聖徳太子が吹いていたという話から。

国立国会図書館所蔵の『體源抄』628〜630頁の赤いカッ

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文学篇★旅する巡礼者たち☆六十六部聖と虚無僧

文学篇★旅する巡礼者たち☆六十六部聖と虚無僧

消えた巡礼者たち<其の二>

前回は、東海道五十三次などの浮世絵に描かれた六十六部と虚無僧を見てみました。

今回は文学に登場する六十六部を追ってみたいと思います。

まずは、宮本武蔵の小説から。

『宮本武蔵  諸国漫遊』

「目付きの怪しい六十六部」、

題からしても、この六部が虚無僧に取り代わってもおかしくない、時代劇に登場する代表的な怪しいヤツです。やはり、六部と虚無僧、謎な部分は似ている

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虚無僧と文学☆夏目漱石『草枕』岡本一平漫画

虚無僧と文学☆夏目漱石『草枕』岡本一平漫画

山路を登りながら、こう考えた。

 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通とおせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はある

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言いたい事は竹で言え☝️尺八名士のことば☆格言集

言いたい事は竹で言え☝️尺八名士のことば☆格言集

これは神如道が言ったことば。
直弟子である小出虚風師の「神如道師の思い出話」より私は知ることになった。

「竹吹きは物言いたければ竹で言え」
 魅され慕われ自然に人が寄る、とのこと。

私も「言いたいことは竹で言いたい」ところは山々でありますが、言語を使ってお伝えしなくては全くの意味不明になってしまうので、あえて、ことばで名士のことばをお伝えしたいと思います。

見出し画像の写真は、小梨錦水(右)

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木幡吹月『尺八古今集』名言集☆『尺八の世界性』

木幡吹月『尺八古今集』名言集☆『尺八の世界性』

木幡吹月の尺八哲学とは。

昭和26年(1951年)に刊行された月刊『尺八』に掲載されたコラム、『尺八古今集』というものがある。著者は木幡吹月。10回に渡り連載されたようだ。

それをコピーして一冊にまとめた小冊子が、見出し画像左側で、岐阜の師匠、故藤川流光師に譲って頂いたもの。
(表紙の木幡の名前が小幡になっている汗)

これは竹内史光師が作ったもので、当時の門下に配ったもののようです。史光師は

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 なぜ古代尺八は消えたのか☆『文机談』から読み解く

なぜ古代尺八は消えたのか☆『文机談』から読み解く

『文机談』(ぶんきだん)とは、1272年前後に書かれた琵琶の西流を伝承する藤原孝時の弟子の僧、 文机房隆円が書いた琵琶の歴史物語。

藤原孝時とは、平安時代から鎌倉時代にかけての雅楽師の藤原孝道の子。父孝道は楽器の演奏・製作・修理いずれにも長じ、「管絃音曲の精微を窮す人也」と称されたそうです。孝時は二十歳の年から熊野へ詣でて、「我が芸がもし父の芸に及ばなければ、ただちに命を召しあげてください」と申

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1200年代の舞楽の口伝書『教訓抄』における尺八・短笛・猿ノ骨

1200年代の舞楽の口伝書『教訓抄』における尺八・短笛・猿ノ骨

平安時代、宮廷音楽で使われた雅楽尺八の滅亡後、尺八は六孔から五孔へと変化し、武士、僧侶、猿楽師、田楽師、琵琶法師、連歌師など様々な人々へと行き渡っていった。

そして、1200年代の頃は尺八は「短笛」と呼ばれていたことが、『教訓抄』という楽書に書かれている。

教訓抄とは、

まずは、

巻第四
「他家相伝舞曲物語」の目録
『蘇莫者』に、尺八が登場します。

『蘇莫者』といえば、聖徳太子です。

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