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五つの告白

今回は私の今まで話してこなかった影の部分について告白しようと思う
聞かれなかったから答えなかっただけのことではあるが、ある意味ではひた隠しにしたかった黒歴史でもある
この秘密を告白することで何になるか?誰かのためになるのか?自分のためになるのか?
分からない、ただ今自分が思い悩んでいることについて素直に向き合うために、改めて人に説明できるような形で整理する必要があると感じたので、綴ることにする
この文章を読んでいて少しでも気分が悪くなった人がいたら申し訳なく思うが、途中で読むのをやめてもらえたら嬉しい

今私が悩んでいること

1.やる気が出ず思うように生活ができない
2.経済的に自立できていない
3.集団の中で働くことが怖い
4.自分は無価値だと感じる
5.希死念慮(自殺願望)がある

1.やる気が出ず思うように生活ができない

まず最初に、私は21歳のときに月120時間超の残業を伴う過重労働とパワハラ、セクハラ、モラハラを受け、3年勤めた大企業を1年間休職した
ついた病名は「うつ病」である
大量の薬を服用し身も心もボロボロになった
そして現在も心療内科に通院中である、病名は「躁うつ病(疑い)」に変わった

症状が出始めたのは中学生のときだった
学生時代、心も人との接し方も未熟でたくさんのいじめに遭った
大学でも友人から反感を買い、無視されるようになり、次第に足が遠のいていった
大学を中退し社会人になるも先輩や上司からいびられ毎日泣きながら仕事をする日々が続いた

休職後、医師から許可が出ないまま他業種に転職をする
その後も半年から1年のペースで他業界・他業種へ転職を繰り返すことになる(後述)
その間病状はよくなったり悪くなったりの繰り返しで、何度もクリニックを変えた結果、現在通っているクリニックに落ち着き、病名が変わり、薬も変わった

躁うつ病とは何か
調子のよいとき(躁状態)と調子の悪いとき(うつ状態)が交互に不定期にやってくる病気

まず一つ目の告白をするならば、私は闘病8年の間、ほとんどをうつ状態で過ごしているということだ
それは今も例外ではない
薬の助けもあって普通の生活をしているように見えている(見せている)が、実際の生活はひどいものである

具体的な症状についてここでつらつらと述べても可哀想アピールに見えると嫌なのでできるだけ割愛していく
ただ簡単に言えば、「普通に毎日できるはずのこと」「毎日しなくてはならないこと」の一切ができなくなる状態を指す
眠る、食べる、起きる、座る、話す、笑う、本を読む、テレビを見る、家事をする、これら一切のことができない日もある
ただ睡眠薬を数種類飲んで強制的に眠ったり、抗うつ剤や精神薬で気分を落ち込ませないようにしてバランスをとろうとしているため、日によってできることが異なる
何もできずただ寝込む日もあれば、突然仕事も家事もテキパキとできる日もあるという感じだ

2.経済的に自立できていない

数々の職を転々としてきた私は、後述するが、あるトラウマにより結婚を機に会社員を辞めることを決意する
今名乗っている通り、フリーのイラストレーター/デザイナーとして活動しはじめたのだ

第二の告白は、フリーランスになったのはただの逃げであるということ
会社の歯車となり決まった時間に決まった場所で業務をこなすという会社員として当たり前のことが、病状が悪くなり困難になってきたことが決定打だった
フリーランスを隠蓑として、実際にはゆっくりと心と体を休養させる時間が欲しかったのだ

フリーランスになることで、自分に合った仕事を自分の調子のよい日に合わせてプランニングできるのは病気を持つ私にとってとてもありがたかった
ただ営業活動もロクにせずコネも経験もない私に、恐れていた事態が訪れた
予定されていた長期の仕事が全て白紙になってしまったのだ
昨年は体調のバランスを見ながらちまちまと仕事を続けられていたが、年末に仕事の白紙が告げられ、年始からは企業との仕事はゼロになってしまった

収入がなくても食べてはいける、しかし夫に何かあったら、私ひとりではこの厳しい世の中を立って生きていけない
仕事がなくなってはじめて、会社員を辞めたことを後悔した(後悔したところでどうしようもないのだが)

パートやアルバイトをはじめることももちろん考えた
しかし現在の体調では仕事が続かないならまだしも病状を悪化させかねない
「病気を言い訳にしたくない」と突っ走ってきた20代だったが、結局その代償がいま私の体に重くのしかかっている
無理をした分からだに返ってくるのは8年闘病してようやく学んだことのひとつだ

3.集団の中で働くことが怖い

会社員やパート、アルバイトをはじめることに抵抗を感じるのは体調のことだけではない
集団のなかで働くということに心理的にトラウマを抱えてしまったことが要因として一番大きく、これが私の抱える悩みの中で一番やっかいな問題だと考えている

社会人になり2社目から短期間で転職を繰り返すようになった私だが、転職理由はほぼ100%「上司からのパワハラ・セクハラ」か「そのストレスによる体調不良」である
パワハラやいじめをするような人物とはできる限り距離をとりたいものだが、直属の上司であることが多く、パワハラやセクハラを会社に告発して移動願を出しても叶わないことが数回あった
何回環境を変えてもこうしたことが起こるのは自分に原因があると徐々に思い始めた私は、【誰からも好かれるような人】を演じることになる

いつでも笑顔、NOと言わない、相手を立てる、仕事を人一倍こなす、実績は他者に譲る、周りの空気を読んで発言をする、そうしたことを常にアンテナを張って他者の気持ちを想像しながら慎重に駒を進めていく、私はいつも盤面の上にいるチェスの駒だった、失敗は許されない、いつも夜中に吐いてしまうほどのプレッシャーを抱えながら仕事をしていた
【誰からも好かれるような人】のブランディングはある意味成功していた
チームからも会社からも協調性のある人物だと認められていたと思う
しかし一方で攻撃的な態度の人からは好かれることには成功しても、ただの【都合のいい操り人形】でしかなかった

今まで勤めた会社はどこも仕事もやりがいがあり楽しかったし、周りの人にも大変恵まれた
人間性を認めてもらったり仕事を評価してくれる味方も大勢いて頼もしかったし、その人たちのために恩返しがしたいと日々考えながら仕事をしていた、とても充実した会社員生活だった
だが気合いや根性で何とか保ってきた仮面は、剥がれる前に体調に響き、徐々に精神を蝕んでいった

私の第三の告白、それはもう人が信じられず、怖くて社会復帰できないと感じていることだ

4.自分は無価値だと感じる

キャリアも自ら捨て、人望もなく、経済力もない
同い年の夫も自らの病気を抱えながらも日々無理をしながら会社勤めをしている
私は夫のお陰でフリーランスという人生の休息時間を得ることができたが、夫の休息時間は一体どこで取ればよいのだろう?
結婚当初は夫婦共働きで家事もすべて私がやっていたのに、最近は私の体調の波のせいで仕事も家事も任せっぱなしになることが多い

親や親戚の目も厳しい
「いつまでフラフラしてるんだ」「きちんとした会社にお勤めなさい」
ガチガチの学歴重視家系の親戚たちからは法事で集まるたび仕事について根掘り葉掘り聞かれ叱られる
精神病など気合いでどうにかなる問題で、心が弱いからなるのだという考えの人たちで、会社でどんなことがあったなんて一言も話させてもらったことがない

しかし親や親戚が頭を抱えるのも当たり前だ、とも一方で思う
与えられるべきものはすべて与えられてきた
暖かい食事も、服も、家も、習い事や塾にだって行かせてもらった
世間にはお金がなくて、親がいなくて、暴力にあって…と様々な理由で好きな学校や職に就けない人がありふれている
なのに受験に失敗したのも、会社で痛い目を見て病気になったのも、今こうして夫を頼りにしないと生きられなくなってしまったのも、全部自分が引き起こしたことだ
全て自業自得だ

第四の告白は、自分がこの上なくどうしようもない人間で、他人に迷惑や負担をかけてばかりの無価値な人間だと感じているということだ

私の途方のない自信のなさの源流もここにあると考えている

5.希死念慮(自殺願望)がある

以上の理由から、普段は明るく振る舞っている私を知っている人はびっくりするかもしれないが、私は常にこの世からいなくなってしまいたいという衝動と闘っている(第五の告白)

数々の思い込みや狭窄な視点からこの感情が生まれていることは理解しているつもりだ
だがそのトラウマや経験則をひとつひとつ取り外して新たに定義づけていくのはとても困難な作業だ
実は私はこの作業に25歳頃からずっと取り組んでいる
過去のトラウマをひとつひとつ引っ張り出してできるだけ客観的な視点で状況を見直すという緻密で膨大な作業だ(これは心理学用語でいう認知行動療法の一種である)

しかし私はこの認知行動療法をひとりで深めすぎて、人生で最大級のうつ状態・錯乱状態に陥ることになってしまう
それが一昨年のことだ
錯乱状態に関してはショックを受ける人が多いと思われるので省略するが、「狂気」そのものであった

自分を変えたいかどうかという視点

以上五つの悩み(告白)をもとに、どう問題を解決していくべきか?
悲観に陥ることは誰にでもできるが、そのたび前を向くことができるのが私のいいところだと数時間前に気付いて、ハッと我に返った
生きるか死ぬかの瀬戸際など(私の場合)こうも簡単なものであると思うとまこと滑稽である

「病気持ち」「経済的弱者」「トラウマ」「無価値な人間」「希死念慮」というキーワードがあったが、それらを一気に解決することはあまり現実的ではないものの、それらの要因はひとつであると考えている
ずばり、先述したとおり「自分自身の思い込み」だ

思い込みを取り外すにはどうすればいいか?
そもそも私は自分のどんなところが嫌いで直したいと思っていて、どんな人間になりたくて、どんな風に生きたいと思っているのか?
自分の殻に閉じこもって「どうせ変われない」「このままでいい」と投げ出したら、きっと一生このまま自分の思い込みの中に囚われたまま、思い通りにならないことを嘆く人生になるだろう

特に「トラウマ」の「集団の中で働くことが怖い」という思い込みだが、集団の中で働きたいのか?それとも人と関わらない仕事をしたいのか?で解決方法が全く異なってくる

唯一の解決法:自分に正直に生きる

「自分に価値がない」
こんな風に感じるようになったのはいつからだろうか?

両親や親戚、兄弟や友達、夫にも愛されて生きてきたはずなのに、こんな風に感じるのは愛してくれている人たちにとても失礼なことだとも思う
もし自分の大事な人が「自分に価値がない」と言い出したら、私ならその人のいいところを精一杯プレゼンして、どれだけ大切に思っているかを伝えると思う

自分のことを卑下したり自責観念が強い傾向にあるのは、おそらく幼い頃から(もしくは思春期頃から)自分の感情と向き合ってきた時間が他者より圧倒的に少ないからだと私は結論づけている

「集団の中で働くことが怖い」の項で述べたように、他人の意のままに生きる「操り人形」でいたこともそれに当てはまる
自分の感情を殺して、自分自身の意見と向き合うことからずっと逃げてきたのだ
もう他人や自分に嘘をつくのはやめて、ありのままの自分で、ありのままの感情を出してもいいんだと思える環境を少しずつ増やせたら…
きっと今のままの自分でも価値があるかどうかなんて気にせず、気軽に人と話せるようになる日がくるといいなと思う

他者と比べず、すこし前の自分と比べる

私が落ち込む直前についついやってしまっていること、それは「他者と安易に比べること」
「あの人は仕事があんなにできているのに」「あの人はあんなに家事を頑張っているのに」「私ったら…」「私なんて…」
このループがいけない、生活や状況が家庭や個人によって違うのだから、安易に比べても正しい結果にはつながらない

なかなか難しいけど、他者と比べず、ちょっと前の自分と比べて自分なりの成長具合を見つめる
「先月はできなかったけど、今週は洗濯物と食器洗いだけできるようになった!」「最近は化粧して散歩に出かける日数が増えた!」
他人にとっては当たり前のことでも、自分にとっては大きな成長、大きな進歩
三歩進んで二歩下がるくらい波があっても、一歩前に踏み出せた瞬間があったことが自分にとっては大切なのだと頭に、心に叩き込もう


最後までお付き合いいただいた方、忍耐強いですね!すごい!
私も見習いたいです!
読んでいただきどうもありがとうございました!

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