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「待つ」という幸福論with散歩

散歩ってとっても贅沢な時間の使い方だと思うんですね
だって歩くだけですよ、本当に

健康にいいとか、一日何歩歩くといいとか、そういった身体的な健康面でのメリットも多くありますが、私はどちらかというと精神的なメリットを感じているわけですね

散歩というものは余白を多く含む行為だと思います

そもそも早く移動したいなら走ればいいし、自転車に乗ればいいし、ハンドルを握ってアクセルを踏めばいいわけです

「君の価値基準はスピードだけなのか。だったら走る意味はない。新幹線に乗れ!飛行機に乗れ!そのほうが速いぞ!」

三浦しおん『風が強く吹いている』より

それをわざわざ歩く。だけど面白いもので車に乗って通る道と歩いて通る道は全く違う顔ですよね

散歩をしていて楽しいのは知らない道を通る時。いつもは通らない道を通ると良さげな珈琲屋さんがあって今度行こうかなとワクワクが増えて

獣道があったので潜り込んでみたらハエの親玉みたいなやつが何匹もいて手の動きがジュリアナ東京みたいになり

面白いもんです。なんというか、時間を贅沢に使えている気分になります

歩行者用信号機が点滅している
急いでいたら、走って渡るのがいつもです

だけど散歩中だとここで贅沢にも選択肢ができるんですね

⑴走って渡ってそのまま音楽のサビだけ流し、映画のCMの盛り上がる部分感を出す

⑵あえて一本見送ってその間に空を眺めてみて変な形の雲がないか探してみたり、聞いている音楽の歌詞やっぱりいいなあなんて再確認する

これが先輩との約束にギリギリ遅れそう、だとそんなのもう赤信号だろと思っていても突っ込むしかないじゃないですか。ぶっ込みの拓になるしかないんです後輩は

ここに「待つことができる」という幸福があると論じたいわけです

たとえばカップラーメンを待つ3分は贅沢な3分なんです

180秒後には美味しいラーメンが食べられることが確定しているんだからそわそわしながら携帯を開くのも一興

トッピングちょっと贅沢にしてみてもいいのではないかと考え、冷蔵庫の中にある焼豚をいつもより少し厚めに切ってみたりするのも一興

本棚にある「もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら」を読み返して爆笑するのもまた一興

そうこうするうちに3分過ぎてしまい油そばみたいな麺を啜るのも一興と言える余白が欲しいです


私の個人的「待つ贅沢」1位はコインランドリーでして

なーーんか好き。コインランドリー。ちょうどいい非日常

約1時間待つ間に家に一度戻っていつもは掃除しないところを綺麗にしてみたり

コンビニに行きこち亀傑作選を買いコインランドリーの中で監視カメラを威嚇しながらゆるゆると読んだり

深夜のコインランドリーでなぜか死んだ顔で椅子に座って天井を見上げている人のバックグラウンドを妄想してみたり

乾燥が終わった後の洗濯物のなんとも言えない幸せな暖かさを堪能したり

幸せな余白だと思うわけです

そういえば私の実家の近くにあるコインランドリーは
「365日毎日半額宣言!」
ちデカデカと看板を掲げています

それはもう定価が2倍になっているだけじゃないでしょうか
絶妙に毎回突っ込みたくなる

ああ、心に余白がないのかもしれない
散歩にでも行こうかな



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