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『欅になれる気がしている』を読む

 うっかりさんの詩歌文集である。
 
 うっかりさんの俳句、短歌、詩、短編小説、エッセイが収められている。うっかりさんを始めて認識したのは、小説短歌川柳、なんでもありの文芸バトルであるブンゲイファイトクラブの記念すべき初回を、俳句連作で予選突破した時だった。その時は原英という別名義だった。

 ちなみに原稿用紙六枚を規定に争う小説家・西崎憲さん主催のこの催しは、六枚という尺の関係か小説が有利とみられ(後年短歌も予選通過する率が増えたが)、第一回で短詩で予選通過したのは、俳句のうっかりさんと、川柳で突破した川合大祐さんの二人だけであった。無論これは自分独自の分析であり、第三回BFCで短歌一本で優勝した左沢さんのようなスゴスゴの人も出てきていて今後の展開は分からない。だが、そういうゆきさつから、原さん、改名後うっかりさんは、俳人という刷り込みが自分の中にあった。しかしその後、徳島の阿波しらさぎ文学賞で短編小説で入賞したり、詩も他の公募で入賞したり、多岐にわたって活躍をされてた。

 その集大成的な作品集である。掲載されている俳句も良いが、ぼくの執着心は「湿り」という短編小説に、かなりとらわれた。これは、主人公が病院でバイト的仕事をしつつ、ひたすら俳句を作る(詠む)というお話である。ほんまにそれだけの内容なのだが、それは自分がかつて、滋賀で介護職で働きつつ隙間時間を縫うように作歌作句小説執筆をしていた経験と重なり、愕然としながら読んだ。これは光の差さない物語で、いつかは光が、というような希望のなさがあり、その日々はコロナでやんやゆわれていたあの日々であり、ぼくにとって重要なのは、作句行為が何かを救う、主人公を救うというハッピーなものを胚胎していないことで、いやおうもなく強く惹かれた。これはあくまで自分の読み方であり、反対を思う読者もいるかもしれない。だがそれでも、主人公はこの物語の次の物語の中でも、作句を無心に続けるだろう。それが希望かどうかはわからないが、そしてそれらの俳句作品が世に認められるかどうかもわからないが、その営為になんというか、納得させられてしまった。

 この本の栞(解説)は上記いきがかりからか、西崎憲さんが書いていて、それはちゃんと真剣なスタイルで書かれているんだけれど、「本書はうっかりの第一作品集である」とはじめられ、「うっかりさん」とは書かないところになんともいえぬ玄妙なユーモアが醸され、ほっこりさせられた。それら全部含めて、面妖な面白さがある作品集だった。



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