「個人の誇りを傷つける思考実験」が導き出すディストピアは、現代とやけに似ている話
——この文章は、私の直感と主観から生まれました。
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僕らは言葉があるから
ちょっとした思考実験をしましょう
相手の誇りを傷つけてもいいという
ルールに変更します
あくまでも思考実験なので、あなたや誰かを
傷つけることはしないと約束します
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外見
その人が大事に思っている故郷
宗教かもしれない。宗教といっても
新興宗教もあれば伝統的なものもある
単純にご先祖を大事に思っていることが
宗教に分類されただけかもしれない
その人の実績、頑張ってきたこと
またはすごく車好きな友達とかいませんか?
そんなに大事にしているその人の愛車
あるいはサッカーとか野球みたいに
熱心なファンが支えているスポーツ
例えば阪神タイガースが好きっていう人に
タイガースの悪口を言うイメージです
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阪神タイガース「が」いけないのではなく
野球のチームだけでなく
多くのものが歴史もドラマもあり
それは努力の跡だから
そんなに無礼に扱っていいものじゃない
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このように我々が普段傷つけないように
意識しているもの、つまり今挙げたものは
どれもその人の誇りにつながるものです
これ全部否定してみましょう
どうなると思います?
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よほどメンタルが強くなければ誇りを持てなくなります
社会に暮らしている我々の
仲間の一人の誇りを奪った
その人が誇りを持っていられなくした
という思考実験を行いました
この人の人生を考えていくと
誇りを持てないのだから
多くの責任を引き受けられなくなるはずです
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自分に誇りを持てない
↓
自分に自信を持てない
↓
自分に果たす義務はない
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こう変化するのなら、
この人が社会に対してできることが
減っていくはず
(仮に誇りを傷つければ傷つけるほど
社会に貢献できるエビデンスが
あるのであれば、それは私の考え違いだから
その著名な論文などを知らない不勉強をお詫びします)
私が考える範囲では
誇りを持てなくするほど傷つけた場合
その人の誇りを傷つけなかった場合と
比べて社会に貢献できる力が減ると
思えるのです
社会は人の集まりだから
全員の誇りを傷つけた場合
みんな自分の義務を最小限に抑え
なんとなくうつむいて寿命が来るのを待つ形の
ディストピアが誕生しませんか?
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僕の父は悲しいことに祖父の家庭内暴力が
あったので、間違いなく子どもの頃に
受けちゃいけないダメージを受けて
短い人生を生きました
そういう家族の歴史から考えると
誇りを傷つけることが
すごく私は気になるし
人間としてやっちゃダメなことだと思うのです
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同時に、現代社会の社会構造に伴う何かが
起きていると僕には思えるのです
30年単位で考えて、1994年と比較すると
ネット社会に移行し
地域共同体が解体し続けている
ことのマイナス面もあるはずです
ネットは無限に比較できます
村一番のヒーローは
世界一のヒーローと相対化されます
結果、誇りが傷つくとか
誇りを持てない
達成感を持ちにくいことが
起きていないでしょうか?
🏭
我々の思考実験の結果と、現代社会は、やけに似ていませんか?
🏭
人生は、何もなくても生きることは大変なのに
社会全体が苦しくなる構造であるのなら
手を打たないとまずい
そう、問題の共有をしたくて
この思考実験を執筆しました
お時間を割いて読んで下さり感謝します
部活動
関連note
プロフィール
初の自著です。
このマガジンの世代の話を中心に、全面的に改稿しコラムなどを加筆した、読むお守りです。