生きにくい理由: かつては、人生の答えを教え貰えたけれど、今はそうではないから
セルフブランディング、自己紹介、アイデンティティの確立、自分探し、孤独。
これらは、社会構造の変化と無関係ではありません。
私の視点で解説します。
『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ)で、
150人以上の集団が協力する際に宗教やイデオロギーが果たした役割や、
遺跡の調査などから言えることが出てきます。
あの影響力が下がり、自分で選択して決められることが指数関数的に増えました。
「xxxらしさ」を求められにくくなった反面、
考えて決めたり選ぶことが膨大に増えています。コインの裏表ですね。
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私たちより少し前の封建時代を想像してください。
基本的に身分は固定、親の後を継ぐ世界です。
勉強する人は限られており、伝統的な宗教の役割を担うお坊さんは
その地域の知恵者であり、地域の人々は困ればお坊さんの知恵を借りました。
お坊さんの強みは、仏教の教えを根拠に生きる意味や善悪、
死後の世界についてテキパキ答えてくれることです。
牧師さんや他の宗教家も同じことが出来ます。
家制度など様々な仕組みも封建制と関係しますが、
『日本仏教史―思想史としてのアプローチ 』(末木 文美士)で語られるように、
我々の思想史で仏教は大きな役割を果たしています。
ポイントは、この仕組みは、自分で選べない代わりに、考えずに済むこと。
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現代でもお坊さんはいらっしゃいますが、
科学の進歩や哲学の発展により、
どの伝統的な宗教の影響力も弱まりました。
科学を信仰するわけでは無いけれど、
科学が多くの人々をつなぎ止め、
物事を考える際の基準になっています。
そのような中で、宗教から学べることが3つあります。
1️⃣
一つ目、クラウドストレージのような機能です。
仏教であれキリスト教であれ、
祈りを通して預けることで自分の心を軽くすることができます。
これは現代の我々にとって、
スマホとクラウドストレージの関係に例えるとイメージしやすいです。
重たいデータをクラウドに預けてバックアップを取り、
スマホから消せばストレージの容量が空きますよね。
2️⃣
二つ目、競走馬のメンコとブリンカーの役割です。
メンコは馬の顔を覆い、ブリンカーは視界の一部を遮ります。
デリケートな生き物である馬を、音などから守り、
集中しやすくする効果があるのです。
伝統的な宗教も同様に、
生きる意味や善悪について絶対的な疑う余地のない答えをくれるから、
自分のすべきことに専念できます。
念のため言うと、馬の「騎手」もその人自身であり、
ここを他の存在が乗っ取るとカルトだと思います。
3️⃣
三つ目、すがりつける対象の役割。大人同士の関係では、
どんなに信頼できる相手でもすがりつくことは避けます。必ず破綻しますから。
しかし、神や仏にすがりつくことは許されます。
「そういうの、重いからやめてくれます?」と神や仏が答えたとしたら、シュールです。
これは、伝統的な宗教の心の拠り所としての役割・存在意義を、意識させてくれます。
🧭
では、こうした宗教の影響力が弱まった現代社会でどうすればよいのでしょうか。
価値観が多様化し、個人の中にも矛盾が生じるような状態、
つまり、孤独よりも深刻な、個人の内面の「断片化」が予想できます。
これはアイデンティティが内側で矛盾し、揺らぐのも無理ありません。
システム思考や、矛盾を上手くバランスさせるなど、新しいスキルも必要です。
もしかしたら、マインドフルネスと禅のように、
伝統的な宗教から宗教色を取り除くことで、
先述した機能を蘇らせる可能性もあります。
この状況下で重要なのは、異文化の人と接する際の方法です。
まず、謙虚で冷静であること。礼儀正しい行動は、相手に敬意を払い、
危害を加えるつもりがないことを行動で示します。
次に、論理的であること。内容以前に、入れ物の「コンテナ」である論理に綻びがあると、
異なる文化で理解し合うのがさらに困難になります。
「コンテナ」が妥当なら、内容のみに専念できます。
最後に、お互いを尊重すること。信じることが人それぞれ異なるため、
自分の信念を押し付けないことは不可欠です。
「正義」は状況や文脈で正しいとしても、
「正義の押し付け」は困りますね。
🧭
このように整理して備えるならば、どれだけ孤独感が深まろうと「断片化」が進もうと、
相手に判断材料を渡して判断してもらうことができます。
価値観が変わってしまっても、判断材料を手渡して待つ姿勢を保てるなら、
自分で決めて選ぶことがもっと複雑になっても対応できますね。
皆さんは、どう思われますか?