夭折の画家、ウィリアム・キーツの話──No.13
ウィリアム・キーツは二十三歳の初夏、画材一切を波に流されてしまった。砂浜で灯台を描いているときの出来事だった。キーツは少しだけうろたえたが、すぐに前を向いた。ガース桟橋の職員として働いて得たひと月分の給料を使い、バンゴールの街の骨董屋で画材のほとんどをそろえ直した。
友人のカレル・ヤンクロフスキの日記には次のように記されている。「ウィリー(注:キーツの相性)は絵の具と筆を再び手に入れたその日、再び海辺に足を運び、絵を描いた。そして、鳥の絵を描くのは久しぶりだと言った」
「Flowers by the Sea(海辺の花々)」と題された作品は、キーツにとってやり直しを意味していると考えていい。アベリストウィス大学の芸術学科で美術史学を教えるリチャード・ウェラー教授は「The Byrds」と「The Byrds again」──夕暮れの空を鳥たちが飛ぶ絵だ──との共通点を見いだしている。いずれの絵画も鳥の数は十四羽。ロンドン芸術大学のノーマン・バージェス教授が見抜いたとおり、キーツにとって十四は自分の存在を裏づける特別な数字だ。「Flowers by the Sea」も例外ではない。
同じバンゴール生まれで桂冠詩人の候補にもなった詩家のギャレス・エドワーズは言う。
「ささやかに咲く花たちは、キーツにとって新たな幕開けを意味している。画材をあらためたキーツは、気を取り直し、また絵画に打ち込むことを心に決め、海辺の岩の隙間に力強く咲く花に思いを込めた。決して煌びやかではないが、妥協せず咲く花は、画家として生きようという決意表明そのものだ。雲ひとつない空は、まき直しをはかったキーツの晴れやかな心を反映している」
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