見出し画像

【オアシス再結成記念】1996年にノエル・ギャラガーは何を語ったか? Part4

オアシスの再結成を記念して、過去のインタビューを掘り起こすプロジェクトを始めました(いつまで続くかわかりませんが)。第4回目はイギリスの音楽専門誌『Q Magazine』の1996年2月号に掲載されたノエル・ギャラガーのインタビューの最後です。大急ぎの翻訳なので、誤訳や誤植は愛嬌ということで。ノエルのソロ演奏は日本で始まったそうです。

まえがき

【オアシス再結成記念】1996年にノエル・ギャラガーは何を語ったか? Part1から続く
【オアシス再結成記念】1996年にノエル・ギャラガーは何を語ったか? Part2から続く
【オアシス再結成記念】1996年にノエル・ギャラガーは何を語ったか? Part3から続く

作詞は別として、壁に突き当たったことは?

「New Suede Shoes」を除けば、ロックフィールドスタジオから帰ってきてからずっと壁に突き当たってるよ。この半年は悪くはないけどね。まだ一曲しか進んでないってのは人生で初めてのことだ。

この状態が怖い?

死ぬほど怖いぜ。けどさ、曲なんていずれ生まれてくるよ。

ビートルズへの執着が度を過ぎていると考えることは?

執着以上のものさ。生きていくうえでの理想だ。自分自身にもどう説明していいかわからないんだ。自分が書いた曲はどれも、ビートルズと比べてしまう。何度か似たような曲を書いたよ。「Live Forever」はそうだと思うし、「Don't Look Back In Anger」も「Whatever」もそうだ。重要なのは、俺より先に彼らがそこにたどり着いていたってことさ。もし俺がジョン・レノンと同じ時代に生まれていたら、同じくらいの高みにいたかもしれない。まあ、くそダサいジェリー&ザ・ペースメイカーズよりは間違いなく上だったろうと思うけど。

ポール・マッカートニーには2回会ったことがあって、彼からは俺たちの曲の半分くらいは好きだと話してもらった。あるアルバムで「Come Together」を一緒に演ったとき、ある晩、セント・ジョンズ・ウッドにある彼の家に招かれたんだ。ポールは「Slide Away」と「Whatever」と「Live Forever」が好きだと言ってくれた。あの夜、タクシーに轢かれていたら、俺は最高に幸せな男として死んでいたんじゃないかな。『Definitely Maybe』をレコーディングしていたとき、共同プロデューサーのマーク・コイルがうれしいことを言ってくれた。俺たちは明らかに酒で酔っ払っていたんだけど、あいつは俺を指差して「お前はこの国の20歳以下のすべての人間に、音楽について教えてやる義務がある」と言ってきたんだ。

アコースティックのソロをライブに取り入れたのはいつ?

評論家の何人かは俺が威張り散らしてるとかスポットライトを浴びて快感を感じてるとか、そんなことを言ってるんじゃないのか? 最初にやったのは日本に行ったときだ。俺たちには40分か50分のセットリストしかないのに、1時間半も演る契約だったんだよ。唯一の解決法は、俺がアコースティックでプレーすることだった。めちゃくちゃ気持ちよかったことは認めざるを得ないね。俺は「よし、今後も続けていこう」と思ったよ。でも、そのことでバンドではくそみそに言われたんだ。

メンバーたちも「スポットライトを浴びて快感を感じてる」と考えた。

たぶん、そんなとこだろう。俺はこう思うんだよ。バンドのファンの連中には、俺たちの曲がどうやって生まれたかを見る機会があってしかるべきだって。一人の男がアコースティックギターを抱えてウォークマンに歌を吹き込む、そこから俺たちの曲は始まるんだ。もうソロの時間を手放すつもりはないよ。

君はいずれソロ活動をするつもりだと言う人もいる。その予定は?

いや、絶対にないね。あるわけがない。これが俺の最初のバンドで、最初のロックンロールの体験で、きっと最後になるさ。心の底からそう思っている。

ある種のライバル関係にありながら、君とリアムはたまにお互いについていいことを言おうとする。最近のインタビューでリアムは「兄貴に会いたくなかった日なんて一日もない」と話していたよ。

言わんとしてることはわかるよ。だって、俺がマンチェスターに残りたかったのも、あいつの面倒を見たかったからだしね。ほら、あいつはいろんな面で大口たたきで、「エラスティカのジャスティーンと一発やりてえ」とかずっとそんな感じだ。まだマンチェスターに住んでいたら、「黙れ、おい、黙れよ」って言えるのにさ(と話し、リアムにヘッドロックして、弟を殴るまねをする)。俺だっていまあいつに会いたいし、あいつだって俺がいなくて寂しいんだろ。やつはマンチェスターきっての有名人だ。あわれなことに、リアム・ギャラガーでなければ外に出ることもできない。わかるかな、少なくても殴られたり脅されたりするんだよ。

君がマンチェスターを離れたのはなぜ?

ちょっとした金が貯まったから、すぐに出たんだよ。マンチェスターでは15歳のときから入り浸っているパブに行くことにうんざりしてしまったんだ。おごらなければ「けちな野郎だぜ!」とみんなに言われて、おごればおごるで「派手な野郎になったな!」だってさ。クラブに行けば、若い連中が俺に近づいてきて、後ろからスクリュードライバーを突き刺して「次のツアーの商品販売は任せろ」とか「お前らの護衛役をやってやるぜ」とか、そういうのはもうごめんだと思ったんだよ。俺はワーキングクラスの人間が金持ちになろうとする生き方が嫌いだ。ワーキングクラスであることがそうさせるんだろうけどね。俺たちのバンドのメンバーは死ぬまでワーキングクラスだ。社会階級のある環境で育ったんだから、死ぬときもおんなじだよ。

お金を使うのは楽しいかい?

ああ、もちろん。ずいぶん長い間、失業手当暮らしで金は使えなかったんだから。いろんなものを手に入れられるのを楽しんでるよ。最大の悪行はギターの数々だろうね。

君たちはバケツ一杯のコカインやっているような印象をよく与えていて、それこそが悪行だと言う人もいる。

俺が40分おきにコカインを続けているなんて言ったやつらはくそ野郎だし、訴えてやりたいね。それは勘違いだからだ。オアシスではギグジーもボーンヘッドもアラン・ホワイトもドラッグをやらない。やるのは俺とリアムだ。俺たちは目の前にあるものにはなんでも目がない。だってさ……俺たちはそういう人間だから。けどね、ドラッグできまってステージに立ったことはないよ。ヘロインとかクラックは一度もやったことがないしね。ドラッグはマジでやりすぎてきたし、手をつけなければよかったと思っている。実際、今みたいに金があったら、煙草も酒も、コカインもエクスタシーも絶対に始めてなかったんじゃないかと思うよ。

このインタビュー了

インタビューに登場した曲|Slide Away

◤短編小説集が発売中◢

いいなと思ったら応援しよう!