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尾行

尾行

今年はまだ蝉の声を聴かない。もう八月も半ばだ。田舎よりは煩くないが、昨年はもっと鳴いていた記憶がある。
あの生命力が強そうな蝉が地中から出てくる元気すら湧かない。終末を予期させるような夏だった。
それなら僕の異常なくらいの体調の悪さにも言い訳ができる。世界が終わるほど暑いのだから仕方がない。
仕事を在宅ワークに切り替えてから思いもかけない病気になった。なので今は勤務時間を大幅に短縮して自宅療養をし

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MrALDH

MrALDH

「お電話ありがとうございます。かぐら亭でございます。」
「すいません。二週間先の月初一日(げっしょいっぴ)に4名で予約を取りたいんですけど。」
「申し訳ございません。その日は予約でいっぱいでして。」
はぁ…しかたがない。顧客の第一希望はこれで消えたな。第二希望に電話をかけてみるか。
俺の名は匠純也(たくみじゅんや)。営業先のお客さんを接待するための飲食店に予約の電話を仕事の合間にかけているところだ

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ラーメンと静寂

ラーメンと静寂

静寂に飢えた俺は街に飛び出した。自宅に篭りっきりで洗面台の水滴の音と冷蔵庫のモーターの音を聴きながら長編の小説なんかを書いていると発狂してしまい、いつか虎になりそうな気がする。
腹の音が激しく生きている証明を訴えるので、丸一日何も食べていなかった俺はラーメン屋の暖簾(のれん)を押して中に入りテーブルについた。
そこで異様な光景を目にした。
男がひとり号泣しながら丼ぶりに必死の形相で喰らい付いている

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蛭川(ひるかわ)団地C号棟

1.101号室(魚男)

配達員のバイトをしている。今日も荷物を運びチャイムを鳴らしたが押しても鳴らない。壊れているようだ。しかたなく玄関のドアをノックした。
コンコン。
すると中から「はいれ」と低い声がする。ドアノブを回すと開いた。玄関で待っているとまた「はいれ」と奥から声がする。
靴を脱いで上がるとそこに頭が魚、身体が人間の着物を着た男が和室に座っていた。
大きなヘッドホンをしていて何かを一心

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歓楽街夜蝶

歓楽街夜蝶

「あまりネット上でマウント取らないほうが良くないっすか?李涼姐(ねえ)さん。」
某デパートの前で涼やかな顔をして人を待っていると背後から声をかけられた。
「すいません、お待たせしちゃって。」
と軽く会釈したこの男は、待ち合わせをしていた当人である安治郎。通称は銀次で通っていて銀さん、と呼ばれている。名前がいくつもあるとややこしいが、夜の商売では本名を勿体ぶって明かさない人が多い。安治郎という本名は

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産声

産声

「まだなのか?」
「すみません、もうすぐです。」
「もうすぐもうすぐって!いつになったら産まれるんですか!」
「もう出口までは来ているんですがその…」
「なんです?」
「子供が生まれたくないって言うんですよ。」
「それはまたなんで。」
「自分は出来の悪い子供だから世の中に適合できるかどうかもわからない、だから生まれるのをやめようと思うと申しております。」
「そんなことは気にするな、適合できなくても

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交錯鉄箱

交錯鉄箱

地下鉄の車内は生温い温度に満たされている。取り付けられた扇風機もぬるま湯のような酸素の少ない空気を無駄に攪拌するにすぎなかった。定期的に吹き付ける押しつけがましい風が苦手で、思わず扇風機を睨みつける。
外界の灼熱地獄を汗をかきながら必死になって通り抜けて来たうえに、芋を洗うようにごったがえす人ごみの中。ホームで苛立ちながら列車が到着するのを待ってやっとの事で車内に押し込まれるように滑り込んだ。しか

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鰯離婚

鰯離婚

七瀬は弁護士だ。相続や家庭問題や離婚や調査などを得意としている。
「先生。今朝は9時より土元さんの予約が入っております。」
事務員の玲奈は学生だけどなかなかしっかりしていて言われたこと以上に気がきく。仕事はがんばってくれていた。
5分前、コンコンとノックされ、玲奈がどうぞと言い開ける前に太った女性が大きなハンカチで額を抑えながら入ってきた。
玲奈が中へ案内する。
「お待ちしておりました。土元様です

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逢魔刻の女

逢魔刻の女

鏡を覗く。そこに毛のない猿がいた。

ギョッとして身体が反射的に硬直する。心臓に痛みが走った。凍りつくとはこういう時をいうのだろう。猿は背中を丸めて真っ白な冷たい皮膚を晒していた。
そして窪んだ眼窩(がんか)から虚ろで大きな眼球がじっとこちらを捉えたまま、様子を伺っている。
それが自分だと気づくまでに時間はそれほど、かからなかった。和室に置かれた古い三面鏡に、映し出された自分を確認する。一瞬にして

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