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水瀬神奈
2022年12月5日 17:40
鏡を覗く。そこに毛のない猿がいた。ギョッとして身体が反射的に硬直する。心臓に痛みが走った。全身が凍りつくというありふれた表現はこういう場合に使うのだろう。猿は背中を丸めて真っ白な冷たい皮膚を晒していた。そして暗く落ち窪んだ眼窩からのぞく虚ろで大きな眼球が、じっとこちらを捉えたまま様子を伺っている。それが自分だと気づくまでに時間はそれほどかからなかった。十二畳の広さの和室の隅に置かれた古い三面
2022年12月5日 19:52
目覚ましは要らない。仕事が始まる2時間前に必ず起きられる。遅刻寸前で慌てふためくなんてナンセンスだ。余裕を持って着替えや歯磨きをする。前日に買っておいたパンを焼き、香りの良い豆のブレンド珈琲を淹れてゆっくりと飲む。お気に入りのレインブーツ。それと買ったばかりの爽やかなパステルカラーの布地の上に2つの黒星の天道虫のワンポイントが効いている。好きなものたちに囲まれているだけでわたしは安堵感に満た
2022年12月23日 23:49
「あまりネット上でマウント取らないほうが良くないっすか?李涼姐(ねえ)さん。」某デパートの前で涼やかな顔をして人を待っていると背後から声をかけられた。「すいません、お待たせしちゃって。」と軽く会釈したこの男は、待ち合わせをしていた当人である安治郎。通称は銀次で通っていて銀さん、と呼ばれている。名前がいくつもあるとややこしいが、夜の商売では本名を勿体ぶって明かさない人が多い。安治郎という本名は
2023年3月28日 17:12
静寂に飢えた俺は街に飛び出した。自宅に篭りっきりで洗面台の水滴の音と冷蔵庫のモーターの音を聴きながら長編の小説なんかを書いていると発狂してしまい、いつか虎になりそうな気がする。腹の音が激しく生きている証明を訴えるので、丸一日何も食べていなかった俺はラーメン屋の暖簾(のれん)を押して中に入りテーブルについた。そこで異様な光景を目にした。男がひとり号泣しながら丼ぶりに必死の形相で喰らい付いている
2023年4月17日 21:41
「スマホが再起不能なので会社を休みます」長年連れ添った相棒を亡くした。7年も一緒にいたのに。
2023年8月13日 23:51
僕の連れが死んだ。染まりゆく薄紫の朝焼けの中路上で死んだ。それを知った時刻は夜7時。見覚えのない電話番号が鳴り、出ると連れの母親からだった。北海道の冬は凍死できるほど寒い。アルコールを浴びるように飲んで雪の中、酒の瓶を手にしたまま彼は冷たくなっていた。それを始発電車に乗ろうとした出勤途中の若い女性が発見したそうだ。僕の幼なじみだった岸間裕也君という青年は25年の歴史を閉じて忽然と魂を肉体か
2023年1月22日 15:03
俺。名前は宇宙人(そらと)年齢はわからない。性別は多分男であるだろうと推測している。なので俺という一人称を使って語っている。誰に対してなのかって言われても特定はできない。というよりわからない。今はっきり認識できていることは、神殿の敷地内にいるっていうこと。それと多分この世ではなくて、夢の世界か向こう側かまたは別の次元にいるのだということだ。どこもかしこも白く光り輝いていて、音もなく寒くもな
2022年12月16日 21:10
地下鉄の車内は生温い温度に満たされている。取り付けられた扇風機もぬるま湯のような酸素の少ない空気を無駄に攪拌するにすぎなかった。定期的に吹き付ける押しつけがましい風が苦手で、思わず扇風機を睨みつける。外界の灼熱地獄を汗をかきながら必死になって通り抜けて来たうえに、芋を洗うようにごったがえす人ごみの中。ホームで苛立ちながら列車が到着するのを待ってやっとの事で車内に押し込まれるように滑り込んだ。しか
2022年12月19日 14:25
「いつまで携帯さわってるのよ!」ナナミが僕からそれを取り上げて壁に投げつけた。「あっ!!」驚き慌てて拾い上げた携帯電話の液晶にヒビが入っている。ああ。僕の買ったばかりの最新モデルなのに。しかし僕はできるだけ冷静さを装った。ここで感情を出してはいけない。「乱暴なことするなよ。」そう言うとそれが、さらにナナミの癪にさわったらしかった。「仕事以外、家でも外でも、寝る直前ですら、ずっと触り
2022年12月6日 17:34
新藤誠は大手企業の営業職。妻と子供の3人暮らしで郊外に一戸建てを新築したばかりで平和に暮らしている。彼はある日の帰り道に妙なクリニックに引き寄せられた。「不倫治療外来」古めかしい洋館のような建物に忽然と現れた奇妙な看板。そこで彼が見たものは…
2023年2月13日 02:26
1.不思議な自動販売機ホットコーヒーを買おうと100円で買える自動販売機を探す。最近はコンビニ店で売っている缶コーヒーも高くなったからなあ。そう思いながら俺は寒空のもとを歩いて100円の自動販売機を探していた。嫌な出来事があって苛々が募っていた。探している時に限ってなかなか見つからないものだ。ふと見ると目の前に自動販売機が現れた。それは紫色の自動販売機で、全面の目立つ所に「お店の主人が趣味でや