生きるための核
人間みな「漠然」としている。漠然とは、曖昧で、不明確で、あやふやで、朧げ(おぼろげ)で、ぼんやりとしていて、はっきりしない様。従って、人間、一人ひとり、具体的にこの一生をどう生きていこうとしているのか、詰めるところまで行っていないし、詰めようともしていない。これでは、何のためにこの世に生まれてきたのか、どう在りたいのかも定まらず、日々、いい加減に安穏と生きる以外にない。この漠然とした感情のままで居続けると、不安が尽きず、どの様なことが起きたとしても、じたばたと受け入れることが出来ず、いつまでたっても安心な心情でいることは出来ない。なぜ、こうなるのか。人間には、生きるための核であり、完善の働きをする魂が中心にある。その外郭は良心の膜が覆っている。何人もこの構造を持っていて、この魂の存在のお陰で、光り輝き、良心に満ち溢れることが出来る。しかし、人間には、この外側に「心」が存在し、感情がしっかりと取り巻いている。この心という存在は、移り気で、不安定で、弱い。従って、常に磨き清め、制御し続けていないとすぐに曇り濁ってしまう。この心の存在が、漠然の原因なのである。即ち、人生の善し悪しは、この心とどう付き合うかに掛っているということだ。心が整っていて、澄み切った状態であるならば、魂から光が溢れ出て、その人は輝き、たくさんの愛を振り撒くことが出来るであろう。この素晴らしき仕組みを知るならば、今、どう在るべきかが選択できるはず。従って、漠然とした感情は消え去り、この一生を輝かしく生きる道を進むことが出来る。これは、人間に平等に与えられている仕組みである。
そのことを肝に銘じ、心を清め整え、今日一日の営みを生きます。
有難う御座います。
(撮影:藤井啓人)
幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者