心当てに折らばや折らん、火星の幻兵団を思い出す 冬の百人一首②
白い霜
今年の初霜
寒いはずだ
霜の中で白菊が咲いている
霜の白さと見間違うほどだ
心当てに折らばや折らん初霜のおきまどはせる白菊の花 凡河内躬恒
あてずっぽうで折れるなら折ってみよう、初霜の白さの中にうもれている白菊の花を。
冬の百人一首の二首目。通番では二十九番目の歌。
白い霜の中に白菊があるから、折ろうと思えば折れるだろうか。いやいやいや。雪じゃなくて霜。霜の中にある白菊の白さはすぐに見分けがつく。雪の中にある白菊の花だって見分けがつく。ここでは、霜の白さに埋もれるぐらいに白菊の白がひきたっている。という解釈だろう。霜の白さと菊の白さを表現している。
霜の白と白菊の白は違う。現実の区別がつく「白」ではなく、頭の中で「白」をつくっているのだ。現実には違いがある別物を、頭の中では「白」という「言葉」を共通項にして、見分けがつかない同じ「白」として考えている。言葉の「白」なら同じものだ。
現実には存在しないホログラムを実在のものと考えるようなものだろう。頭の中での作業になる。
実際には現実ではないけれど、現実のものとして頭の中で考え、ホログラムに話しかける。
日曜日の、「ワンピース」の前にやっているデジモン「デジモンゴーストゲーム」では、ホログラムがデジタルワールドだけでなく、現実世界で実際に存在する。現実には見るだけのものが、現実とデジタルが一緒に存在する。
100年前の作品、E.R.バローズの「火星の幻兵団」(火星シリーズ4巻)では、思考によって作り出された幻兵団が出てくる。幻の人物が弓矢を射ると、当たった人は本当に当たったと思って現実に死んでしまう。実際に人を殺すためには、弓矢が飛んでくる場面を見せないとだめだという。そして思考によってつくり出された人物が、ついには実在の人物として、思考した人とは違う、自分自身の考えをもって存在するようになる。
バローズは、100年前にそんなことを考えている。
そういえば以前、ジンマシンが体中に出たことがあった。治らないので病院へ行き、20種類以上のアレルゲン検査をした。でも原因となるアレルゲンは見つからない。原因不明。原因がわからないという結果が出た。「ストレスからジンマシンが出ることも多いよ」という医者の言葉を聞いた。心の中の状態で、現実の体に異常が出る。人間とはそういうものだ。頭の中で思うことが、現実の体に出てくる。
原因がわかった後、いつの間にかジンマシンは全く出なくなっていた。
手をのばし
ふれようとすれども
ふれられず
あなたの心は
どこにある
この世は夢か現か幻か。
現実かと思えば夢であり、夢かと思えば現実。
けれど、幻にしてはならない真実もある。
バローズが頭の中で考えた夢のような話に、100年後の私がわくわくする。
1000年以上前に生きた「心当てに~」の作者、凡河内躬恒は平安時代の人。「古今和歌集」の選者の一人でもある。
「古今和歌集」は、紀貫之、紀友則、壬生忠岑と四人で編集したといわれる。「古今集」の特色は、繊細・優美といわれ、頭で考えた歌が多い。
素直に詠う万葉集も、頭の中で考える古今集も、もっともっと頭の中で考える新古今集も、すばらしい歌は今に残る。心がわくわくする。それが「伝統」というものだろう。
時代を超えて残った作品が、五七五七七の調べにのせて、現代に生きる我々の心を豊かにしてくれる。