獅子座の季節に「自分らしさ」を模索して。/(誰に遠慮していたの? 何に寄せようとしていたの??)
ハロー、地球☆ お久しぶりのお手紙です。元気です&でしたか?
こちらは2019年8月10日、土曜日の私です。今朝は“いったいいつぶりよ?”の曇り空で、連日の灼熱地獄からやっと少しだけ解放される~♪ と思いきや、午後からまた晴れてきました。予報では今日の最高気温は、久々に目にする「29」という(十の位が「3」じゃない!)数字でしたが、どうだろう……??? ここから窓の外を眺める限りは、相変わらずの真夏の日差し……いや、やっぱり少しだけ、ギラギラが弱いかも(夜には雨、降るのでしょうか。ちょっと降ってほしいな~。いっそのこと、ザーーーっと派手にね)。
なにはともあれ、こうして長めの文章を書こうと思えた→実行しているってことがもう、「今日はちょっと脳みそが動いてるぞ」って感じで(パソコンと同じで、脳みそもきっと熱に弱いんだ……)、ここ数日の中では一番、体が楽&軽いかも♪ そして、「体」が軽いと「心」も軽くなりやすい! この感じは久しぶりです。
そうだ。この愛はメッセージ。祈り。光。続きをもっと聞かせて!!!(by小沢健二)
そして、こんなことも綴った。
写真なんかもアップして、長文noteも書いた(3日分の時間のエネルギーを投入して、書き上げた)。
けど、「もっと不遠慮に綴りたい!」って思ったら、 途中ちょっと『毒(?)』吐いたみたいになって、それが変に気になって、何度も「消そう」と思ったり「いや、このまま残しておいていい」ってなったり、ゆれて、ゆれて、ゆれて……。
そしたら本当に揺れるんだもん。びっくり。
あの日のことを思い出す。あの日々のことを……。
だけど、“ここ”はもう「今」で、なのに“相変わらず”ばっかりの日々で、私は、私は、私は……いつの間にやら『40』を迎えて、過ぎて、もう『41』で。
久しぶりの長い地震が、私のスイッチを押す。また、押す。
わかってるよ。やってるよ。毎日、精一杯だよ。
だけど、まだ“ここ”。
ネガティブっぽいことをたくさんつぶやいては保存し、突如辿り着く「やけくそ」感?
「強がり」や「負け犬の遠吠え」のように聞こえても、自分で自分に負けたくなくて。発する言葉で、自らを奮い立たせて。
Keep……、Keep……、Keep……。
現実を、自分の立ち位置を、自分で選ぶこと。自分で決めること。
どちらを選ぶのか。どんなエネルギーで文字を並べるのか、それを発信するのか。
黒いものに呑み込まれることは簡単だ。そっちはもう、飽き飽きなんだ。そして、それを撒き散らすことには興味がない。趣味じゃない。『類は友を呼ぶ』だ。
さぁ、どっちを選ぶ? どう生きたい??
いつだって『本』に救われて。『物語』に引き上げられて――。
だから。だから。だから。
私も、それが、やりたい。
それを、仕事にしたい。
気分転換の大切さ。すぐ行動に移す、起動力。実行力。瞬発力。
私は、私の「直感力」を愛してる。
それを信じる心によって、こうして運ばれてきたのだ。
この「Vision」は、実現可能なものなのか。
それとも「幻」「幻想」「幻影」なのか。
自分に問い続けながら、宇宙の声に耳を澄ませながら、それでも私は……、やっぱり私は、『表現』したくて・したいから・する!
(止められない。止めたくない。)
そういう『自由』を、生きている。選んで、自分に与えたはず。
*
そうして今日ここ、今ここ、の私です。
いったい私は、誰に遠慮していたのだろう?
何に寄せようとしていたのだろう??
自分では誰にも遠慮しているつもりなんてなかったけど、でもこうして考えてみると、たぶん「note全体の雰囲気/密かに推奨されているっぽい空気感?」に、いつの間にか“寄せよう”と、“寄せなきゃ数字が取れないよ”と、思わされていたのだろうな~~~と、感じることができた。
でも。
「私それ、趣味じゃない。そんなの全然、楽しめない!」
と、わかったから。
今日はもうこんなふうに、自分のために書いた・綴った・記録した。だから満足。書き終えてもモヤモヤしないし(無意識のうちに“寄せよう”としたときは、めっちゃ疲れる&時間がかかる)、きっと数字も気にならない(私にはこれ、本当にモチベーションとかにならないから、「表示/非表示」を自分で選べるようにしてほしいぜ、まったく。でも気にしなければいいだけの話か。でもでもでも、目に入るものは見える! 脳が受信する!)。
というわけで、相変わらず「手紙」ではじめたはずなのに、おかしな感じで着地する……これがいつもの、誰にも遠慮していない、何にも寄せていない、“私らしい私”なのだと思うのです。
その全部を、“あなた”に、こうして丸ごと受け取ってもらえたら……
それだけが私の「モチベーション」のようなものに、なり得るのかもしれないな。
とにかく。この感じ、この流れ、なんだかとっても“獅子座の季節っぽいエッセンス”に満ちている気がするので、今日もこうしてこっそりと、ここに置いていくね。
結局いつだって、どこでだって、笑っちゃうくらい全部が全部、その人の『表現』なんだ。
誰かに遠慮している姿も、そのまま『表現』。
何かに寄せている様子も、そのまま『表現』。
人間はいつだって、結局「ダダ漏れ」。全部さらして、さらし合って、生きている。
その中で。
「ねぇ。全部叶うなら、今を、どう生きる???」
私が興味があるのは、そういうこと。
たぶん、そういうところに(こそ?)、その人の「美学」が現れ&表れる。
そして私はどこまでも、「予測のできない文章/物語」が好き♡みたい。