見出し画像

自分の弱さを認める勇気

人類の99%以上の人には才能がない。

しかし、それは「価値がない」ことを意味しない。


最近、abema newsで何者かになりたいという若者が増えている事を知りました。

何かしらの職業に就いても、その職が本当に自分のやりたい職業なのか、自分の長所が活かされる職業なのかなど色々悩み、最終的にこれは自分の本当にやりたい事でも何者かにしてくれる職でもないと考え、その職業を入社してもすぐ辞めてしまう。

そんな何者かになろうとする若者が増えているらしいです。

かくいう私も若者で、自分にはどんな才能があって、どんな職に就くのが一番いいのか、自分は何になりたいのかなど様々な事を考えることもありました。

そうして考えても自分は何が得意なのかはっきりせずに、いつまでも迷路に閉じ込められたように最適な将来を求めて、彷徨い続けていました。

しかし、ある時気づいたんです。それに気づいてから私は大きく変わりました。 それは自分には才能が何もないということです。

もしかしたら、見つかってないだけであるかもしれませんが、それでも私は少なくとも才能なんてものは自分にはないと認めました。

才能どころか人よりも優れているような長所らしい長所もない事も認めました。 多くの人が自分には才能があるかもしれないと「信じて」、探そうとします。

しかし本当はわかっているはずなんです。そんなものは自分にはないと。

けど、そんな何の取り柄もない自分を恐れて、あるはずだと思い込み、もがき、そしていつまでも新しい行動ができずにいます。

これは自分の才能を活かすものではない、これは心の底から自分が情熱をもってやりたい事じゃないと。けど、考えてみてください。それが何だというのですか?

才能は本当になければいけないのでしょうか。そもそも才能というのは自分の目にはっきりと見える形で現れるものなんでしょうか。

私たちは今よりも大きな存在になるには才能が必要だと考えるから、才能を探します。才能がないと何も成し遂げることができないと思い込んでいるから、無理に探すんです。

しかし私は才能がなくても、ある程度の所までは成長できると考えています。

何も大谷翔平選手だとか藤井聡太先生だとかになれると言っているわけではなく、

努力をし続け、一つ一つの失敗という結果が、何故失敗したのか、次に成功するにはどうするか考え、そして実行するという事を試していけば絶対にいつか当たりを引けると考えているのです。

私には自分の才能というものは何もないと言いましたが、これは私を後退させるどころか、前進させる大きな考えになりました。

自分には才能がない。だから努力をひたすらするしかない。

今まで本当の自分だとか、自分の才能だとか漠然と考えるだけで行動しなかった頃から色々なものに熱意を持って挑戦できるようになりました。

noteもその一つです。ここ一週間の私の記事は失敗だったと言えるでしょう。この記事も結果として失敗の部類に入る可能性が圧倒的に高いです。

文章を書いてみても自分には執筆の才能がない事がよく分かりました。才能どころか私の執筆力は一般的な人よりも低い事を実感させられました。

だからこそ地道に試行錯誤しては、上を目指して取り組んでいくつもりです。一年後、二年後に私を見てみてください。

現在はまだフォロワーの方が300人程度しかおず、一つの記事のスキの数なども一桁台の私ですが、五千人、一万人と地道に努力し続けて絶対に達成してみせますから。

たとえ才能が無かったとしても、誰でも大きく成長する事ができ、才能は必要不可欠でない事を証明してみせます。そうして読んでくれた読者の方たちに力を与えるような存在になりたいです。



最後まで読んで頂きありがとうございました。





#自己啓発 #仕事 #ビジネス #生き方 #働き方 #大学生 #Z世代 #人生哲学 #人生観 #人生を変える #後悔のない人生 #最近の学び #自己成長 #毎日投稿 #読書 #本 #好きなことを仕事にする #好きなことで生きていく


いいなと思ったら応援しよう!

カミナガ
記事が気に入りましたらサポートをよろしくお願いします!いただいた料金は活動を続け、面白い記事を書くための資金として利用させていただきます!

この記事が参加している募集