高校生の情熱が蘇らせる幻の石橋 「梯橋」保存プロジェクト

嘉麻市に残る「幻の石橋」を落橋の危機から救いたい クラウドファンディング実施中! https://readyfor.jp/projects/ishibashi 嘉麻市桑野にひっそりと佇む幻の石橋を再発見し、その価値を明らかにしたのは、福岡県朝倉高校の史学部の情熱でした。

高校生の情熱が蘇らせる幻の石橋 「梯橋」保存プロジェクト

嘉麻市に残る「幻の石橋」を落橋の危機から救いたい クラウドファンディング実施中! https://readyfor.jp/projects/ishibashi 嘉麻市桑野にひっそりと佇む幻の石橋を再発見し、その価値を明らかにしたのは、福岡県朝倉高校の史学部の情熱でした。

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「幻の石橋」調査報告会 朝倉高校史学部発表「嘉麻の小八郎様祭の調査報告」

【※この動画は2024年12月27日(金)17:00までの期間限定公開です!】 2024年11月3日、「幻の石橋」こと、桑野の梯橋(かけはしばし)についての調査報告会を開催いたしました。 朝倉高校✖嘉麻市教育委員会 調査報告会 「幻の石橋」の魅力と謎に迫る より 朝倉高校史学部報告 ②嘉麻の小八郎様祭の調査報告(朝倉高校史学部)の動画です。 ---------------------------------------------------------------------------------- ↓↓クラウドファンディングはこちら↓↓ 【嘉麻市に残る「幻の石橋」を落橋の危機から救いたい】 https://readyfor.jp/projects/ishibashi ---------------------------------------------------------------------------------- 朝倉高校史学部の調査をきっかけに、令和5年に嘉麻市指定有形文化財となった「桑野の梯橋(くわののかけはしばし)」は、「リブアーチ型」と呼ばれる珍しい構造を持つ石橋で、「幻の石橋」と言われています。 かつてはこの石橋を含め、遠賀川上流域には複数のリブアーチ側石橋が存在したことが判明しています。現存するものの中では唯一、架橋当時の状態を維持している「桑野の梯橋」ですが、現在は安全面の問題から、見学等ができない状況です。 嘉麻市では、この石橋の応急保全措置を行うにあたり、令和6年11月1日(金)から12月27日(金)の期間において、財源確保のためクラウドファンディングを実施いたします。 みなさまのあたたかいご支援をお願いいたします。 #嘉麻市 #石橋 #歴史 #リブアーチ #クラウドファンディング #高校生 #文化 #文化財 ___________________________ ■その他の嘉麻市文化財公式動画はこちら↓ 嘉麻市文化財公式YouTube@user-em4hf6tr3s / @kamanobunka ■嘉麻市の文化財に関するイベントなど、最新の情報はこちら↓ 嘉麻市の文化財Facebook https://www.facebook.com/profile.php?... ■遺跡ブックレットやシンポジウム冊子など、嘉麻市の文化財についての刊行物はこちら↓ 嘉麻市ホームページ https://www.city.kama.lg.jp/soshiki/2...

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      「幻の石橋」調査報告会 朝倉高校史学部顧問 泉信至先生発表「石橋調査の概要」

      【※この動画は2024年12月27日(金)17:00までの期間限定公開です!】 2024年11月3日、「幻の石橋」こと、桑野の梯橋(かけはしばし)についての調査報告会を開催いたしました。 朝倉高校✖嘉麻市教育委員会 調査報告会 「幻の石橋」の魅力と謎に迫る より 朝倉高校史学部報告 ①石橋調査の概要(朝倉高校史学部顧問:泉信至 先生)の動画です。 ---------------------------------------------------------------------------------- ↓↓クラウドファンディングはこちら↓↓ 【嘉麻市に残る「幻の石橋」を落橋の危機から救いたい】 https://readyfor.jp/projects/ishibashi ---------------------------------------------------------------------------------- 朝倉高校史学部の調査をきっかけに、令和5年に嘉麻市指定有形文化財となった「桑野の梯橋(くわののかけはしばし)」は、「リブアーチ型」と呼ばれる珍しい構造を持つ石橋で、「幻の石橋」と言われています。 かつてはこの石橋を含め、遠賀川上流域には複数のリブアーチ側石橋が存在したことが判明しています。現存するものの中では唯一、架橋当時の状態を維持している「桑野の梯橋」ですが、現在は安全面の問題から、見学等ができない状況です。 嘉麻市では、この石橋の応急保全措置を行うにあたり、令和6年11月1日(金)から12月27日(金)の期間において、財源確保のためクラウドファンディングを実施いたします。 みなさまのあたたかいご支援をお願いいたします。 #嘉麻市 #石橋 #歴史 #リブアーチ #クラウドファンディング #高校生 #文化 #文化財 ___________________________ ■その他の嘉麻市文化財公式動画はこちら↓ 嘉麻市文化財公式YouTube@user-em4hf6tr3s / @kamanobunka ■嘉麻市の文化財に関するイベントなど、最新の情報はこちら↓ 嘉麻市の文化財Facebook https://www.facebook.com/profile.php?... ■遺跡ブックレットやシンポジウム冊子など、嘉麻市の文化財についての刊行物はこちら↓ 嘉麻市ホームページ https://www.city.kama.lg.jp/soshiki/2...

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        朝倉高校史学部からのクラウドファンディング応援メッセージ(Shortバージョン)

        朝倉高校の史学部の皆さんからの応援メッセージが届きました。

        • 📣嘉麻市役所、初のクラウドファンディングで「幻の石橋」救済に挑戦中です!

          11月1日にスタートした「桑野の梯橋」保存プロジェクト、11月6日現在、33万円(目標額800万円の約4%)のご支援をいただいております。残り94%の達成に向け、さらなるご支援が必要です! 福岡県立朝倉高校の生徒たちが発見し、嘉麻市指定有形文化財に認定されたリブアーチ型の「桑野の梯橋」。脆くなった岩盤が橋を支えきれない状況の中、この貴重な遺産を未来へ残すための応急工事が急務となっています。 皆さまのお力で、この歴史ある石橋を次の世代に繋げることができます。どうか、温かいご

          嘉麻市役所初のクラウドファンディングで切迫した文化財の危機に挑みます!

          本日11月1日(金)午前9時より、嘉麻市教育委員会生涯学習課が嘉麻市指定有形文化財「桑野の梯橋」の応急工事に向け、クラウドファンディングを開始いたします。つきましては、プロジェクトへのご支援と、情報拡散のご協力をお願い申し上げます。 公開初日で10%、5日目で30%達成が成功の秘訣です。 今回のクラウドファンディングは800万円を目標にし、特に公開初日に10%、5日目までに30%を達成することがプロジェクト成功の秘訣とされています。 皆さまには、プロジェクト支援や情報拡

          嘉麻市役所初のクラウドファンディングで切迫した文化財の危機に挑みます!

          「幻の石橋(桑野の梯橋)」についての調査報告会を開催します!

          「幻の石橋(桑野の梯橋)」についての調査報告会を開催します!

          4. 石橋の評価のまとめ

          掛橋の石橋の技術的な特徴は、従来の石橋形式である直方体の溶結凝灰岩等の石材を積み上げたブロック型石橋でなく、花崗岩を用いたリブアーチ型石橋が江戸時代末期に架設されていたことである。リブアーチ型石橋は、他からの伝搬でなく、基本的なブロック型の石橋構造の特徴や弱点を学び、花崗岩の特性を生かした石橋構造を模索する中で、新しい石切場の開拓と加工技術が向上し、加工できる地元の石工集団がリブアーチ型石橋を着想した可能性が大きい。また、民費で架設された掛橋の石橋は、主には櫨蝋を主体とする生

          3‐Ⅱ. 石橋の産業への寄与評価

          石橋の地場産業への寄与について石橋の架設時期は19世紀後半の幕末と推定され、架設により秋月藩も奨励していた櫨蝋生産に大きく寄与したと考えられる。木蝋、とりわけ櫨蝋は、江戸時代中期以降、西南諸藩の藩財政を立て直すために専売品とされ、櫨の木の栽培が取り入れられた。幕末から明治・大正時代にかけて筑前は櫨蝋の一大産地であった。『福岡県地理全誌』によれば、櫨実の生産量は嘉麻郡内で桑野村が突出して多いことが分かった。こうした櫨実の運搬には、主として牛が利用されていたようで、『御領人高 付

          3‐Ⅰ. 石橋の産業への寄与評価

          背景石橋が所在する桑野地区とその周辺は、中世においては英彦山神領としてその庇護のもと発展し、明治時代に至るまで峰入り修行等の際には山伏達が往来する場所であった。「掛橋」の地名由来が雨乞い信仰に関係することも、こうした山伏達の活動が背景にあると推察される。また、江戸時代においては幕府の天領である日田とも地理的に近く、往還を通して日田からの先進的な文物や情報も入手しやすい環境にあったと思われる。江戸時代に作成された『秋月封内図』3)(1832)には、日田・小石原と飯塚方面を結ぶ日

          2-III. 石橋の建設等に関する評価

          石工集団と架設技術について その2石橋に関する技術については、安政2年(1855)仙林寺の花田恵燈が日田の広瀬淡窓が開いた 私塾である咸宜園に入門し、アーチ型石橋の普請をはじめ公益事業を数多く手掛けた豪商である広瀬淡窓の弟の広瀬久兵衛との交わりや先進的な肥後の石工や土木技術者達と接することにより学ぶ機会があったと推察される。特に、広瀬久兵衛が携わった日田の川原隧道(1854年)は、 柱状の石材をハの字形に組む構造を有しており、掛橋の石橋と時期的にも技術的にも近く、リ ブアーチ

          2-III. 石橋の建設等に関する評価

          石工集団と架設技術について嘉麻郡内で他の溶結凝灰岩や砂岩に比較して強度が大きい花崗岩の需要が高まる19世紀以降に、新しい石切場の開拓と加工技術が向上し、加工できる石工集団が地元に存在していたことに加え、近隣の石橋架設に関する技術の影響を受けた可能性が高い。 近世以降における市内の花崗岩の石材利用は、年代が確実なところで益富城の石垣が最も古く、同様に年代が分かる資料として近世墓がみられる。しかし、市内の近世墓は大型の墓石を除いて加工が容易な砂岩が用いられているのが一般的で、墓

          2-Ⅱ. 石橋の建設等に関する評価

          リブアーチ型石橋の技術系譜について 掛橋のリブアーチ型石橋は、他からの伝搬でなく、基本的なブロック型の石橋構造の特徴や弱点を学び、花崗岩の特性を生かした石橋構造を模索する中で、リブアーチ型石橋を着想した可能性が大きい。 九州島内で確認されているリブアーチ型石橋の最古例として、安政 3年(1774)の熊本県山鹿市の洞口橋が知られているが、掛橋の石橋とは使用石材や架設年代も相違することから、本形式が肥後熊本からの直接的に伝播したとは考えにくい。また、桑野地区にある仙林寺の僧な

          2-Ⅰ. 石橋の建設等に関する評価

          架設時期について 掛橋の石橋の架橋時期を直接記す史料は確認できていないが、明治の初期に編纂された『福岡県地理全誌』に該当する記録が確認でき、洪水の記録や文久橋の架設記録が残っていることから、嘉永 3年(1850)から江戸時代末の間に架設されたと考えられる。掛橋の石橋の使用石材には数箇所矢穴痕(幅5cm、長さ4cm、間隔8cm)が認められ、矢穴の特徴から19世紀代のものと考えられ、秋月藩城下町にある秋月眼鏡橋が文化7年(1810)に架橋されていることや洪水等の被害による橋の付

          石橋の技術的な評価

          リブアーチ型石橋に関する各種記録や資料及び史料より得られた文献1)の調査結果を基に、まだ解明が不十分な点はあるものの、石橋の技術的な評価、石橋の建設に関する評価及び石橋 の産業に対する寄与等を考察し、以下のようにまとめた。 石橋の技術的な評価 -------------------------------- 掛橋の石橋の技術的な特徴は、従来の石橋形式である直方体の溶結凝灰岩等の石材を積み上 げたブロック型石橋でなく、花崗岩を用いたリブアーチ型石橋が江戸時代末期に架設されてい

          リブアーチ型石橋の所在地地区の歴史

          リブアーチ型石橋は遠賀川本流の上流域、遠賀川源流地点に近い嘉麻市桑野字掛橋に所在し、 その名称や架設時期については明確でない。掛橋の石橋が所在する桑野地区は、江戸時代初頭においては筑前国嘉麻郡桑野村として福岡藩の統治下に置か れた。 藩主黒田長政の死後、独立支藩として秋月藩が設置されると、嘉麻郡は福岡本藩と秋月藩とに分割統治されることとなり、桑野村は他の八ヶ村とともに秋月藩へと編入された。 地理的には、桑野村は嘉麻郡の最南部にあたる山間部の集落で、筑前国上座郡・夜須郡のほ

          「幻の石橋」指定文化財に向けて