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2-Ⅱ. 石橋の建設等に関する評価
リブアーチ型石橋の技術系譜について
掛橋のリブアーチ型石橋は、他からの伝搬でなく、基本的なブロック型の石橋構造の特徴や弱点を学び、花崗岩の特性を生かした石橋構造を模索する中で、リブアーチ型石橋を着想した可能性が大きい。
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九州島内で確認されているリブアーチ型石橋の最古例として、安政 3年(1774)の熊本県山鹿市の洞口橋が知られているが、掛橋の石橋とは使用石材や架設年代も相違することから、本形式が肥後熊本からの直接的に伝播したとは考えにくい。また、桑野地区にある仙林寺の僧などを介した日田からの石橋架設の技術的な習得も想定できるが、日田の石橋は肥後の石工を招いて架設している例が多いことや他県で架設されている石橋はブロック型形式がほとんどであることから、リブアーチ型石橋の技術が他から伝播された可能性は低いと思われる。なお、中国式のリブアーチ との関連について注1に示すが、中国式アーチの形式からの影響は考えにくい。
一方、『福岡県地理全誌』によると、明治の初期の桑野村には「板橋」が3箇所、「土橋」が4箇所の計7つの橋が民費で架けられていたことが分かっている。桑野村に架けられた土橋の一つが本川筋の梯にある掛橋と推測され、掛橋の石橋以外にもリブアーチ型石橋が含まれていた可能性がある。地元の話では、写真4の仙道橋をはじめ、かつて複数のリブアーチ型石橋が桑野地区に存在していたことが確認できている。明治期に架設されたと推測される仙道橋は、掛橋と同様なリブアーチ型でリブ材が幅方向に6本ある構造であるが、幅方向に部材を増やすことはほぼ問題なく可能である。リブ石材の表面にはノミ等の調整痕はなく、現場で切り出した状態で、ほぼ未加工で使用されている。また、石橋の幅方向に設置されている石材間に大きなすき間があり、構造部材としての仕上がり状態は雑な印象を受けるが立派なアーチリブ型石橋である。以上のように、幕末から近代にかけて、リブアーチ型石橋が桑野地区で開発され、周辺で次々と架橋されたと考えられる。
熊本大学名誉教授 山尾 敏孝氏レポートより抜粋
※現在この橋は見学できません。