3‐Ⅱ. 石橋の産業への寄与評価
石橋の地場産業への寄与について
石橋の架設時期は19世紀後半の幕末と推定され、架設により秋月藩も奨励していた櫨蝋生産に大きく寄与したと考えられる。木蝋、とりわけ櫨蝋は、江戸時代中期以降、西南諸藩の藩財政を立て直すために専売品とされ、櫨の木の栽培が取り入れられた。幕末から明治・大正時代にかけて筑前は櫨蝋の一大産地であった。『福岡県地理全誌』によれば、櫨実の生産量は嘉麻郡内で桑野村が突出して多いことが分かった。こうした櫨実の運搬には、主として牛が利用されていたようで、『御領人高 付牛馬数』(1820)によると、秋月藩領の嘉麻郡内では、桑野村と馬見村の牛の数が突出していることが分かる。牛馬の飼育には大量の塩が欠かせないことなどから、櫨実はもとより櫨蝋生産に関連して様々な物資が日田往還を流通していたことが推測される。遠賀川右岸の集落にとって、これらの物資の安定供給という観点からこの時期には遠賀川を渡るために橋が必要で、桑野村では7箇所に橋がかけられていた。石橋のこの中の1つで、その果たす役割は大きかったと思われる。
つづく
熊本大学名誉教授 山尾 敏孝氏レポートより抜粋
※現在この橋は見学できません。