「大東亜戦争」の精神
名前のない戦争
自衛隊が前の戦争を「大東亜戦争」と呼んだというので、ちょっと騒ぎになっている。
陸上自衛隊大宮駐屯地(さいたま市)の第32普通科連隊が、X(旧ツイッター)で同隊の活動を紹介する際に、「大東亜戦争」という言葉を使って投稿していた。
政府は太平洋戦争を指す言葉として、この呼称を公式文書では用いていない。同隊は7日、取材に公式アカウントであることを認めた上で、「本日はコメントすることができない」とした。
(朝日新聞、ライブドアニュース、4月7日)
いいことですね。どんどん議論すべきです。
あの戦争にはまだ名前がない。
それについては、国際政治学者の細谷雄一の文章を引用して、以前にnoteに書きました。
そもそもこの戦争の呼称さえも定まっていない。「大東亜戦争」から、「太平洋戦争」へ、そして「日米戦争」や「アジア太平洋戦争」と、さまざまな呼称が存在する。
いずれの呼称を用いても、日本国民の間でコンセンサスを得られるようなものはない。したがって日本の首相や明仁天皇(現在の上皇)は、「先の戦争」や「先の大戦」という呼称を用いて、歴史を語っている。
(細谷雄一「戦後77年、「大東亜戦争」を経て日本が失ったものとは」『Voice』2022年9月号)
あの戦争に名前がないということは、まだこの国のアイデンティティーが揺らいでいる証拠です。
あの戦争に名前を与えることは、日本についての本質的な議論に通じます。
「昭和戦争」という呼び名
SNSでの議論をながめていると、私が若い頃より、「大東亜戦争」と呼ぶことへのハードルが下がっている感じはしますね。
日教組が強かった昔は、「大東亜戦争」なんて言うだけで、お前は戦後に生存が許されないスーパー右翼だ、と社会の爪はじきにされた。
今回の件も、昔の朝日だったら、戦前復活だ、軍靴の音がビンビンだ、岸田謝れ、総辞職しろ、まで一気に行きそうだけど、今回は少し世論を探っている感じです。
私は、戦没者への敬意もこめて、自衛隊が「大東亜戦争」と呼ぶのはいいと思うけどね。
幻想だったとしても、アジアの植民地の解放、大東亜共栄圏という構想は、主観的には正しかったんだからーーという「大東亜」肯定派が、SNSでもけっこういた。
ただし、当然、他国にはこの呼称を強制できないし、教科書でどう教えるかとなるとまた別でしょう。
「昭和戦争」はどうだろう、と私は思う。
あれは裕仁天皇の名のもとにおこなわれた戦争なんだから。
昭和天皇の戦争という意味で、昭和戦争、と。
天皇という倫理
これはべつに、昭和天皇の戦争責任を言いたいからではありません。
そのまんまの意味で。
日本の「天皇」という存在が特徴づけた戦争、という意味。
現代の議論を聞いていると、「大東亜戦争」派ですら、当時の天皇の存在の大きさを、意外に忘れがちだと思うんですね。
当時においても、戦争の必然性を、「合理的」「客観的」に説明することはおこなわれました。
このままでは日清・日露で得た権益が失われる。ワシントン会議以降、外交は敗北している。中国が欧米とロシア(ソ連)に狙われている。ソ連が南下し、欧米が南洋を押さえたら・・とか。
でも、それを「侵略」と呼ぼうが「解放」と呼ぼうが、日本のアジアと南洋への進攻を国民に納得させたのは、「天皇」の存在でした。
韓国人にとっては、中国人に占領されようが、日本人に占領されようが、どっちも嫌だろう。
フィリピン人も、アメリカ人に占領されようが、日本人に占領されようが、やっぱり占領されない方がいいに決まっている。
でも、日本人に言わせれば、日本に占領された方がいい。
なぜなら、日本の天皇は、私利私欲がない、権力欲で動かない、そういう特別な存在だから。
ほかの国の支配者より、はるかに倫理的水準が高い。寛容で、民をいじめることがない。だから、日本が支配した方がいい。
こういう、天皇という倫理的崇拝対象があったからこそ、あの戦争はあった。
火野葦平が刻んだ言葉
ここに、芥川賞作家の火野葦平が、敗戦の日、1945年8月15日に記した文章があります。
取材ノートに記されたもので、生前は発表されませんでした。
2020年の「火野葦平展―レッテルはかなしからずや」(北九州市立文学館)で展示されたものです。
この数日のこと、筆とる心にもならず。すべて終り、すべて空しきのみ。歯噛みて唇をやぶるといへども、胸うちの怒りと悲しみとは去らず。ああ、力足らず、誠足らずして、真に宸襟を安んじ奉るを得ざる罪、死に値す。(十五日)
出典:【第2回】「火野葦平展―レッテルはかなしからずや」展示紹介(北九州市公式チャンネル)
この、ノートにチョコチョコっと書かれたような文章に、火野葦平のやむにやまれない本心が刻まれています。
この1カ月後、朝日新聞に掲載された有名な「悲しき兵隊」に近いけれども、もっと直截で濃い感情があります。
ああ、力足らず、誠足らずして、真に宸襟を安んじ奉るを得ざる罪、死に値す。
宸襟(しんきん)とは、「天皇のお気持ち」という意味。
天皇のお気持ちを実行できなかった。死ぬしかない。
そう思ったわけです。
火野葦平論として、このメモが重要なのは、火野はこのあと一切、こうした皇国主義の表明を自らに禁じたからですね。
「悲しき兵隊」も、天皇主義的な部分を削って、最後の作品「革命前後」に引用しました。
彼は戦後は、その戦中の「本心」を隠して、生きなければならなかったのです。
そして、このメモは、戦後の火野葦平が人びとに信じてほしかった葦平観、また現代の火野葦平研究者が広めたがっている葦平観、つまり、
「火野葦平は、戦中は戦争遂行に協力したが、インパール作戦従軍をきっかけに軍の精神主義に疑問を感じ、終戦時には戦争懐疑派となっていた」
という見方を破壊する。そういう重要性もあります。
なにしろ、「誠足らずして」ですから。精神主義を捨ててないことは明らかです。というか、彼こそは、最も精神主義的な皇国観、戦争観をもっていました。
(それについては、火野葦平論として、また改めて論じます)
現代の「天皇崇拝」
ともかく、この一文でも、前の戦争でいかに「天皇」の存在が大きかったか、わかると思うんですね。
現代人は、こういう戦中の「天皇崇拝」を笑うかもしれない。
しかし、われわれだって、そんなに変わらない。
昭和天皇は、「私利私欲がない」、高い倫理性を持った人だったから、マッカーサーも心服し、戦争責任も問われなかった、とか。
いまの天皇も、「私利私欲がない」、大衆から抜きんでた倫理観を持っているから、国民の象徴を務めている、とか。
それも「信仰」「崇拝」ではないのか、と。
あいかわらず「天皇」は特別な人類だと思っている点では、戦中の大東亜共栄圏思想と変わらないわけです。
そういえば、この「大東亜戦争」の議論がきっかけかどうかわかりませんが、文芸批評家・作家の小谷野敦が、こんなポストをしていました。
右翼の人というのは憲法九条への疑念とか、北朝鮮とか中共とかロシヤへの不安とかからそれになって、天皇もついているからそれに従っているだけで、本心では天皇なんかどうでもいいんじゃないかと思う
たしかに、私も、いっぽうではそう思う。
右翼も保守も、天皇のことをどれだけ想っているのか、はなはだ怪しい点がある。
日本保守党の党首に、どれだけの天皇への思慕があるか。
その保守党党首の天皇観がおかしいと批判する保守だって、本当に天皇に命をささげられるのか。
少なくとも、火野葦平がもっていたような、あるいは三島由紀夫がもっていたような「想い」をもっている人は、ごくわずかでしょう。
火野や三島、また徳富蘇峰とかがもっていた天皇観は、「狂信」とはまた別のものだと私は思うけれども、それでもいわゆる「政治」は超越した感情ですね。
軍国主義とも違う。それこそ、社会主義でも、天皇がいればいい、みたいな思想ですから。天皇さえいればいい、という。
でも、以前書いたように、戦後の天皇は、火野や三島、蘇峰のような天皇主義者の思いを裏切った。
やはりそこで、太い紐帯が切れていると思う。
それでも、天皇を、戦中の熱量で信奉する人は少数ながらいるでしょう。
また、それほどの熱量はなくても、前述のとおり、天皇を「特別な存在だ」とする世論は、まだ生きている。
だからこそ、天皇制はなくなっていない。
「第9条共栄圏」
しかし、いわゆる「戦後民主主義」は、この戦中の天皇制イデオロギーを否定するために生まれたようなものですね。
その現代的形態が「9条護憲」です。
私は、いわゆる右翼の「大東亜共栄圏」思想と、共産党なんかの「9条護憲」が、まったくパラレルなのがおもしろいと思うんですね。
大東亜共栄圏の思想は、
「天皇は、とくべつに倫理性の高い方だから、天皇が支配すれば世界は平和になる」
という。
9条護憲派は、
「憲法9条は、とくべつに倫理性の高い教えだから、9条が広まれば世界は平和になる」
という。
「第9条共栄圏」ですね。
でも、言ってることは、「大東亜共栄圏」と一緒なんです。
その高い倫理性に、世界はひれ伏すに違いない、という、思い込みというか、誇大妄想というか……。
第三の道
だから、天皇主義者だった火野葦平の甥(妹の息子)の「中村哲」が「9条信者」になったのが、おもしろいと思う。
「自分は9条に守られている」と言って戦場で奉仕活動をした。一時はノーベル平和賞候補とも言われたペシャワール会の医師です。
とにかく「高い倫理性」にあこがれて、それで世界を平和にしたいと思う。そういう血筋のようですね。
どちらも、それぞれの流儀で、「平和主義者」だったと言っていい。
余談ですが、面白いことに、火野葦平は戦中の朝日・毎日新聞にもてはやされ、中村哲は戦後の朝日・毎日新聞にもてはやされました。
火野葦平は戦中(1940)、朝日文化賞をとりました。中村哲は毎日国際交流賞(1992)、朝日社会福祉賞(1998)をとりました。もちろん、もっといろいろな賞をとっていますが。
火野葦平が戦中、朝日や毎日に引っ張りだこだったのは、報道統制があったこの時代、軍と親しい火野は、戦地の最前線に行くことができ、戦場ルポを書けたからです。インパール作戦従軍も朝日の依頼で行っています。危険をかえりみず、ときには最前線に行く性格は、中村哲にも共通です。
(家系に自殺傾向がある、という説を聞いたことがありますが、私は疑っています。)
もし日本が戦争に勝っていたら、朝日新聞社は、大佛次郎賞ではなく、火野葦平賞を創設しただろうと思います。(そして毎日は、徳富蘇峰賞を継続したでしょう)
私は、人間としては、火野葦平も中村哲も、どちらも好きです。
尊敬できる。人間としての情熱と、根本的な善意がある。庶民性と倫理的潔癖性もあります。
でも、火野葦平は自殺し、中村哲はアフガニスタンで殺されてしまいました。
やはり、「天皇」も「9条」も、それ自体としては立派かもしれないけど、なにか日本人を致命的な夜郎自大や自己陶酔にさそうところがあり、ダメだと思うんです。
それに、戦後の「象徴天皇」も「9条」も、結局よそから与えられたものじゃないですか。
憲法を国民が吟味しなおすなかで、「天皇」にも「9条」にも頼らない国のアイデンティティーを探すべきだ、というのが私の主張で、それをこれまでもnoteに書いてきました。
でも私も、その第三の道が、はっきり見えているわけではありません。
だから、国民的議論が必要だと思うわけです。
<参考>
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