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柿生~矢野口 「柳田国男越え」の武蔵野・多摩川ウォーキング
民俗学者の柳田国男(1875-1962)は、60代後半になっても毎週1回、武蔵野で「長い散歩」を楽しみました。
成城学園前にあった自宅から、現在私が住む柿生まで、小田急線で来て、そこから約2里(約8キロ)くらいを歩いていたようです。
ウォーキングできたえた健脚は、「フィールドワーク第一」の柳田の研究と、健康長寿のいしずえになったでしょう。彼は晩年まで著作を発表し、87歳まで生きました。
その柳田国男にならって、彼が「長い散歩」で歩いた道程を、私も歩いてみる、という企画をやっています。
1月9日には、柳田が昭和19(1944)年2月16日の日記にしるした、柿生〜長沼ルートを歩いてみました。
そして、今週の水曜日、よく晴れた22日に、柳田が日記にしるしたルートの中でも、私が「最難関」と感じていたルートを、ついに歩いてみることにしたのです。
昭和19年4月12日の日記にある、柿生〜矢野口ルートです。
(昭和十九年)四月十二日 水よう 好晴 風あれど暖なり
電車柿生まで、五反田大澤を通りて平尾から金程、此上に天理教の会堂あり。眺望尤もよし。細山の岡の上を通る。もと笹谷、堀二人などと来たところ、二年前の初夏か。彼岸白桃連翅など多し。山づたひに下れば矢の口の谷戸、妙覚寺の前に出る。南武線にて帰る。
柿生(川崎市麻生区)ー五反田大沢ー平尾(東京都稲城市)ー金程(麻生区)ー天理教の会堂(その下)ー細山ー矢野口(稲城市)
ーーというルート。
このうち「五反田大澤」という地名は、現在失われたようで、どこかわかりません。
片平には「五力田」という地名があります。「五力田」も「五反田」も同じ意味で、「5人で耕せるほど狭い耕地」という意味です。(川崎市「小田急小田原線・多摩線の周辺における住居表示変更に伴う町名と町の変化に関する調査研究」参照)
だから、片平のことかもしれませんが、柳田が地名を間違えるとは思えず、ここは不明としておきます。
それを除いて、google map上で経路を描くと、以下のようになります。
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google mapでは、図のように、8・3キロ、徒歩2時間1分の道程になります。
距離だけ見れば、前回の「柿生ー長沼」とあまり変わりませんが、このルートが難関なのは、高低差が大きいからです。
「柿生ー長沼」は、せいぜい「一山」越える感じでしたが、今回のルートは、「二山」越える感じ。
すなわち、「細山」という、麻生区でも最も高い地域を越え、さらに「よみうりランド山」というもう一つの山を越えなければいけません。
google mapによれば、ほぼ500メートルの高低差を上り下りすることになります。
第一章 「眺望尤(もっと)もよし」
22日の朝、柿生の自宅を出発し、まず新百合ヶ丘北口の「サイゼリヤ」で、「燃料」を補給。
500円のランチ(ブランチ)にオリーブ油をたっぷり注いで食べました。
私はこれを「オイルを入れる」と表現しています。
サイゼリヤでオイルを入れ、気力がみなぎったところで、いざ出発です。
私は、柳田の時代にはなかった新百合ヶ丘駅に寄ったので、柳田のルートとは少しちがう道程になります。
柳田と同じように平尾をとおると、前回の長沼ルートと同じになって、退屈だという理由もありました。
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柳田が、そばをとおっただけで行かなかった「天理教会堂」や「妙覚寺」にも、せっかくだから寄るつもりです。行ったことがないからです。
上図のように、柳田のルートとほぼ同じ距離になります。
22日10時35分に新百合ヶ丘駅を出発。
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新百合ヶ丘の中でも、新しく開発された「山の手中央通り」を北上します。柳田の時代には、このあたりはすべて水田で、カエルの鳴き声がうるさかったそうです。
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すぐに、「もみじヶ丘公園東側」の交差点にさしかかります。ここから、上り坂が始まります。
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よみうりランドに徒歩で行くたびにとおる道ですが、かなりの急坂で、足がきたえられます。
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第一目標の天理教会堂を目前にして、麻生区の史跡となっている「勝坂(かちざか)」をとおります。
かつて多摩川の近く、現在の川崎市多摩区菅仙石に「小沢城」という城がありました。平安時代末期に造られ、鎌倉から戦国にかけて、周辺は大きな戦の舞台になっています。
それについては、かつてnoteの記事に書きました。
つごう8回は大きな戦がありましたが、その最終戦にあたる「小沢原合戦」が、「勝坂」の命名の由来です。
1530年、北条早雲の孫にあたる北条氏康が、小沢原合戦で、扇谷上杉勢を打ち破りました。この戦で、柿生の近辺も、最終的に北条氏の領土となったのです。
弱冠16歳、これが初陣だった氏康は、感激して「勝った、勝った」と叫びながらこの坂を駆け上がった、という故事から、「勝坂」と呼ばれます。
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初めて来ましたが、柳田が「眺望尤もよし」としるしているとおり、ここからの眺望は最高でした。
富士山もくっきり見えました。
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その勝坂を上りきったところに、天理教の会堂「天理教生代分教会」があります。
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このあたり、麻生区の中でも「山の上」で、いちだんと空気が澄んでいるように感じます。
柳田の日記に「彼岸白桃連翅など多し」とありますが、今もたしかに果樹園が多いですね。
そして、果樹園が多いせいか、果実をねらって、カラスがやや多い。
自然を楽しみながら、「よみうりランド山」を目指します。
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途中からは、1月11日に、「ツイン観覧車」を見によみうりランドに行ったときと、同じルートです。
よみうりランドが見えてきました。
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よみうりランドの開園は1964年ですから、柳田が歩いた時代には当然ありません。
1944年当時は、開発前の手付かずの山があっただけでしょう。
ここまで、新百合ヶ丘から約1時間。よみうりランド前のコンビニでコーヒーを買い、20分ほど休憩しました。よみうりランド前にトイレもあります。
第二章 「Vロードからの低地」
休憩後、矢野口駅を目指して、再び歩き始めました。
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ここからは、読売がいう「Vロード」(よみうりランドから京王よみうりランド駅に向かう道)を、ひたすら下ることになります。
川崎市麻生区から、東京都稲城市に入り、11日にも見た、「東京ジャイアンツタウン」の建設現場を横目で見ながら進みます。
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「稲城市は、読売ジャイアンツを応援しています」の旗がうるさいほど沿道に飾られています。
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今に稲城市の半分は読売のものになるだろう、と思いつつ、HANA-BIYORIを過ぎてさらに下ると、私が初めてとおる道になります。
下り坂の途中に、急に眺望がひらけたところがありました。
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「勝坂」の眺望は、富士山のほう、西側を望む眺望でしたが、この「Vロード坂」の眺望は、東側、武蔵野市などの東京の多摩地区を望む方向です。
この眺めも、柳田の時代には、まったく違っていたでしょう。
そのまま坂を下りていくと、京王よみうりランド駅に到着です。
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もちろん、柳田の時代には、この駅もありません(1971年開設)。京王相模原線は、まだ多摩川を越えていませんでした。
柳田の日記には、
「山づたひに下れば矢の口の谷戸、妙覚寺の前に出る」
とあります。
現在の京王よみうりランド駅は、まさに「妙覚寺の前」にあります。
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妙覚寺でお賽銭を入れ、南武線矢野口駅の方向に歩き出し、京王相模原線のガードをくぐります。
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そして、相模原線のガードをくぐると、すぐにあの「南武線の感じ」が私を襲いました。
土地が低い、というのを、私の三半規管が感知します。気圧の変化を感じるんですね。
あとはもう、ひたすら平坦な道だから、歩くのも楽です。
矢野口に向かう道の途中には、いろいろ見るべきものがありました。
下の写真は、矢野口橋。
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この橋にあしらわれているのは、梨のモチーフです。このあたりは梨の名産地で、まだいたるところに梨の販売所がありました。
下の写真は、三沢川親水公園。ここに寝そべると気持ちよさそうです。(公園にトイレもあり)
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と、そこからすぐ、もう多摩川にかかる橋が見えてきました。ゴールは間近です。
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ちなみに、「矢野口」という名は、「谷の口」つまり谷の入り口、から来たそうです。
昔はこのあたりは、多摩川べりの湿地帯だったはずです。矢野口の西側の「長沼」には長い沼があったのでしょうし、東側の「中野島」は多摩川の中洲だったのでしょう。
矢野口駅に到着する寸前、私の関心を惹いたのは「かつや」でした。
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新百合ヶ丘のサイゼリヤで「燃料」を入れてから、もう2時間以上がたちました。そろそろ燃料切れで、お腹が空いてきたんですね。
さらにその先には「すき家」もあるという・・。私の食欲、カロリー欲が刺激されます。
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まあ、とにかく先に、ゴールの矢野口駅にタッチダウンしました。
12時50分。休憩時間を除けば、新百合ヶ丘からは約2時間。
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柿生からは、2時間20分くらい。万歩計の歩数は、約15000歩でした。
まあ、柳田国男も、このくらいの時間で歩いたのではないでしょうか。
柳田国男は、ここから南武線に乗って、登戸で小田急線に乗り継いで帰ったわけですね。
柳田は、飯はどうしたんだろう、と思いつつ、私は先ほどの「かつや」に戻って、「とん汁定食(ロースカツ)」税込836円をいただきました。
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私は最近、早野の「かつ庵」にはよく行くけど、「かつや」は初めてでした。かつ庵とちがって、平日限定の「ランチ」メニューはないらしい。
それでも昼どきとあって、店内は満員でした。客層は、半分以上は若い労働者のみなさんと、残りは老人たち。
若い店員さんたちがテキパキと対応していて気持ちよかったですね。ロースカツの定食も美味しかったです。
矢野口駅から南武線に乗る前に、多摩川の河原に出て、橋(多摩川原橋)の上から、川向こうの調布市を望みました。
1月9日に行った、長沼駅の方向、稲城大橋も見えます。
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第三章 「勝利の刻印」
と、ここで、このまま矢野口駅から南武線に乗って帰るのは惜しい、と思い始めました。
「かつや」で、油(とんかつ油)を補給したせいでしょう、体に気力が再び満ちてきました。
「この調子で、登戸まで歩けるんではないか」
と思ったんですね。
矢野口から、稲田堤、中野島、登戸、と南武線の駅はつづきます。このあたりを歩いたことはありません。
それに、ここから、登戸まで歩けば、柳田国男以上に歩いたことになります。
このさい、柳田国男に勝っとこう、と思いました。
例によって、この時点で、スマホのバッテリーが心細くなりました。
だから、スマホのナビ機能はもうあまり使えませんが、ここから登戸へは、南武線に沿って歩くか、多摩川に沿って歩けばいいだけだから、ナビは必要ありません。
ただし、ここから、バッテリーの節約のため、スマホの写真は減ります。
南武線に沿って歩くか、多摩川の河原を歩いていくか、少し迷いましたが、南武線に沿って歩き、民家やお店を見ながら歩くことにしました。
矢野口から稲田堤駅に向かう途中で、東京都稲城市から、神奈川県川崎市多摩区に入ります。県境の表示があったかもしれませんが、気づきませんでした。
矢野口駅前から、約20分くらいで、まず京王線の稲田堤駅に着きました。
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さらに5分歩くと、南武線の稲田堤駅に着きました。
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稲田堤は、JRと京王線の接続駅なので、やっぱり栄えていますね。駅前に富士そばがある、というのは、メジャー駅である証拠です。
そこから20分ほど歩いて、次の中野島駅に到着。駅舎がおしゃれ。登戸の一つ手前の駅です。
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中野島駅の看板にも、梨の絵が描かれています。
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中野島駅周辺も、登戸に近いせいか、賑やかでした。個性的なお店がたくさんあって、改めてもう一度来てみたいところです。
今回に限りませんが、このあたりをウォーキングをしていてよく目につくのが、「介護付有料老人ホーム」。
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老人ホームは、駅の近くにはない。駅と駅のあいだくらいにあるから、駅間をウォーキングしていると、よく目につくんですね。
普段はあまり意識しないけど、近くに老人ホームが意外なほどたくさんあることがわかります。
そして、老人ホームの看板を見るたびに、いつか私もお世話になるんだろう、と思ってしまうんですね。
と、歩いていくと、中野島駅から30分ほどで、ついに登戸駅に着きました。
そして、下の登戸駅の写真を撮ったところで、ちょうどスマホのバッテリーが切れました。
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「柳田国男越え」の、約4時間のウォーキングでした。
万歩計を見ると、約26000歩。登山は別として、さすがに街中で一度にこんなに歩いたのは、私としても初めてかもしれません。
家に帰ってgoogle mapでたどってみると、約14キロでした。
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柳田国男に完全勝利、と言っていいのではないでしょうか。
以上、みなさんのウォーキングや散歩のご参考になれば嬉しいです。
<参考>