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「君が代」に刻印された「十字架」 「レ-ファ-ソ」の暗号
フランツ・リストの晩年の曲、「十字架の道」の冒頭を聴いて、「君が代」に似ていると思う人は多いだろう。
リスト「十字架の道」Via Crucis for Piano S.504a By Franz Liszt (with Score) (de Leeuw)(思修在線中 Sissel Online 2022/7/12)
この冒頭(「神の御旗」)の「レ-ファ-ソ」の音の運びが、「君が代」を思わせるのだ。
Wikipediaの「十字架の道」解説には、こうある。
この冒頭の3音 (D-F-G) は『十字架の道』の中では十字架を象徴する音型として用いられており、以後移調・転回・変形されて頻繁に現れる
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「君が代」で、同じ「十字架」のモチーフが何度も使われる。
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「君が代」は、リストの「十字架のモチーフ」で組み立てられており、盛り上がるところで必ず使われていることがわかるだろう。
現行の楽譜はハ調で書かれているので「ミ-ソ-ラ」だが、エッケルトの最初の楽譜は、根音が1音低い変ロ調で書かれていたので、まさに「レ-ファ-ソ」で一致していた。
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そして、このエッケルトの楽譜を見れば、最初の2小節は序奏であり、「君が代」は実質、この「レ-ファ-ソ」つまり十字架のモチーフから始まる曲であることが分かる。
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「十字架の道」と「君が代」の類似を、どう考えるべきだろう。
「君が代」は現在、林広守作曲、フランツ・エッケルト編曲とされるが、上記楽譜の表書きにあるとおり、当初は「エッケルトが日本の旋律によって作った」という認識だった。
フランツ・リストが「十字架の道」を作曲したのが1879年。
林広守とエッケルトが「君が代」を作曲したのが1880年(明治13年)。
作曲年も、あまりに近い。
エッケルトは、大御所リストの曲を「カンニング」したのだろうか。
海軍お抱えの音楽教師だったフランツ・エッケルトは1852年、プロイセン生まれ。
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フランツ・リストは1811年、ハンガリー生まれ。
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同じ「フランツ」とはいえ、世代も地位も違い、2人に接点はないように思える。
だが、2人とも、プロテスタントが多いドイツ圏で、カトリック信者だったという共通点がある。
そして、日本でキリスト教を浸透させたのは、ザビエルのイエズス会以来、カトリックである。
リストは、1860年代からはローマ法王と宗教音楽改革に取り組んだ、カトリック教会の大物でもあった。
「十字架の道」は、キリストの受難を描いた約50分の大作だ。リスト最後の大作であり、現代では傑作の一つと評価されている。
だが当時は、他のリストの晩年作と同様、「難解」ということで、出版されていない。
それなのに、この曲には、本来の合唱版にくわえて、リスト自身の編曲によるピアノ独奏版やオルガン独奏版が存在する。
エッケルトがそのどれかの楽譜を見る機会がまったくなかったとは断定できない。
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「君が代」は、今の日本人が聴いても、不思議な曲である。
「これは日本のメロディーか?」と疑わしくなる。
公式には、雅楽の古旋律を使ったと説明される。だが、雅楽のなかに「君が代」のような曲があるのを、聞いたことがあるだろうか?
それは、「君が代」が生まれた当時の日本人にとっても、同じだっただろう。
だが、なんとなく荘重で、エスニックで、西洋っぽくない。
少なくとも、他国の国歌にはないユニークさがあるので、これでいい、ということになったのではなかろうか。
「君が代」の音楽的な印象ーー荘重で、無調的でモノトーンで、渋くて、西洋的ではない、音数が少ない、なにか「墨絵」的な感じ・・・それは実は、晩年のリストの作風なのである。
「君が代」が同時代のどんな音楽に似ているか、といえば、リストの晩年作に似ている。それは、リストの1876年以降の曲を聴いてみればわかる。「雅楽」よりも、そちらに似ているのだ。
そのリストの作風は、根本的には、カトリック信仰の深まりにより、リストが中世の教会音楽の響きを再現しようとした結果、生まれている。
上述のように、リストの晩年作は、当時は難解だったので、広くは聴かれず、西洋音楽を学んでいた当時の日本人も、その類似に気づくことはなかっただろう。
だが、フランツ・リストが「君が代」を聴けば、それが自分の「十字架のモチーフ」を使った曲であることは、すぐ分かったに違いない。
「君が代」作曲時の1880年には、リストは生きていたが、おそらく聴くことはなかった。
リストは1886年に亡くなる。それを待っていたかのように、日本は1888年(明治21年)から、「君が代」を「大日本礼式 Japanische Hymne」として世界に告知し、楽譜を配布した。
そして1890年の「教育勅語」発布と同時に、実質的「国歌」として教育現場などに普及させていく。
(「十字架の道」が公式に初演されたのは、リストの死から半世紀たった1929年だった)
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「君が代」にリストの音楽が影響しているとしても、それは不名誉なことではない。
「君が代」の歌詞はーーいろいろ論議があるとはいえーー日本の古来の文化に根差しているが、曲が明治以降のものであるのはみな承知している。
そして、リストの晩年作は、20世紀の無調音楽を先取りしたものとして、最近になって評価が上がっている。それを当時パクったとすれば、むしろそのハイセンスを誇るべきだ。
だが、「君が代」は、歌詞ナシで演奏されることも多い。
その場合、そこに鳴り響いているのが「十字架のモチーフ」であるのは、いかんともしがたい。
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もしエッケルトが、意図的に日本国歌に「十字架」を刻印したとしたら、その意図は何かーーというところから、陰謀論的な小説が書けそうだ。
そもそも、エッケルトのような、来日間もない無名の若い音楽家(当時28歳)に、一国の国歌を作らせようというのだ。彼には相当なプレッシャーだったろう。
「君が代」は、最初はイギリス人の軍楽隊長、ジョン・ウィリアム・フェントンが曲を付けていたが、これが不評だったため、エッケルトにおはちが回って来た、という経緯もある。
エッケルトとしては、自分の才能を超えた仕事をしなければならず、どこかの筋に相談したとしても不思議ではない・・
フランツ・リストはフリーメイソン会員だったというし、ローマ法王だけでなくヨーロッパ各国の王室や貴族と通じていたから、陰謀論の登場人物になりうる。
リストと日本のかかわりを、私は知らないけれども、1860〜70年代はパリでジャポニズムが流行したから、リストも日本に関心はあったはずである。
(エッケルトがリストをパクった、というより、いっそリストが「君が代」を書いた、という話の方が面白いか・・)
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余談だが、あの「右翼」と呼ばれた石原慎太郎は、「君が代」が嫌いだった。
「日の丸は好きだけれど、君が代って歌は嫌いなんだ、個人的には。歌詞だってあれは一種の滅私奉公みたいな内容だ。新しい国歌を作ったらいいじゃないか」(毎日新聞1999年3月12日付インタビュー)
これは有名な話だが、本当のところ、なぜ嫌いなのか、不思議に思っていた。
もしかしたら、芸術家の勘で、何かを感じ取っていたのかもしれない。
<参考1>
リスト「十字架の道」については日本語版wikiがかなり詳しい。
「十字架の道」こそがリストの最高傑作、シェーンベルクやストラヴィンスキーやメシアンを先取りしている、と解説するオランダの著名音楽家ラインベルト・デ・レーウの動画↓。リスト好きは必見(英語字幕付き)。
<参考2>
以下は、リスト晩年の作風を伝える小曲たち。「君が代」の雰囲気と近いことが確認できるのではないか。
ベタベタの甘いロマン主義が流行っていた19世紀後半に、そしてリスト自身がまさにそのロマン主義の代表選手だったのに、一転してこんな超俗的で「枯れた」曲を書いていた。
暗い雲(1881年)
凶星(1883年)
調のないバガテル(1885年)
その虚飾を排した「枯淡の境地」は、上述のように、リストのカトリック信仰の深まりと関係している。
リストは、どうしても若い頃の、技巧的でショーマンシップ旺盛な曲がクローズアップされるが、実は宗教曲に名曲が多い。
リストが「本当に言いたかったこと」は、地味な宗教曲で示されていた。それについても、いつか書きたい。