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リベラルは「パリオリンピック開会式」をどう見るべきだったか

「左翼」を「リベラル」と言うな、もう


まあとにかく「リベラル」という言葉の使い方が乱れまくって困ってしまう。

まず槍玉にあげたいのは以下の記事。


立民、安保・原発「現実路線」 リベラル系反発、代表選争点も

立憲民主党が安全保障・原発といった根幹政策で「現実路線」化を進めている。次期衆院選での政権交代を目指し、「批判ばかり」との従来のイメージを拭い、保守・無党派層を取り込む狙いがある。
(時事通信 7月28日)


辻元清美に代表されるような勢力を「リベラル系」と呼ぶな、つーの。

「左翼(leftist)」と呼べ。そうしないと、思想の座標軸がおかしくなっちゃうだろう。

左翼が悪いとか、そういう価値判断ではなく、言葉の定義の問題だ。


左派全体(例えば民主党支持者)を大雑把に「liberals」と呼ぶ言い方は、アメリカにもあるけど。

でも、この立憲民主党の記事の場合、左派の中の区分けを問題にしているわけでしょう。

その中で、辻元らを「リベラル」と言っちゃうと、泉健太は「保守」か。

いや、時事通信だからまだいいけど、共同通信みたいな左翼メディアなら、泉健太は「右翼」だとか書きかねない。

共産党は左翼だろ? だったら立憲の容共的勢力も「左翼」、または「立憲内の左派」と呼ばなきゃ。

(「現実路線」という言い方もおかしい。現実路線以外の政策って何?と思うが、先を急ぐのでここでは無視する)


社会党左派の流れを汲む人たちを「リベラル」と呼ぶマスコミの慣習は、本当に罪深い。

これはたぶん、マスコミの「55年体制」の結果だ。

つまり、日本は長らく政権交代がなかったから、マスコミと左派が結託して政権党である自民党を攻撃する、という「様式」が定着してしまった。

毎日新聞の西山事件とか、朝日新聞の従軍慰安婦問題とかで典型的だった、マスコミと左派政治家が情報を共有し、それによって問題を大きくしていく「政治スキャンダルのマッチポンプ」。それがウォッチドッグ、権力監視型のジャーナリズムの正しいあり方だと、日本のマスコミは勘違いしてしまった。

そこで生まれた左派政治家とマスコミの癒着、というより一体化は、政権交代がなかった日本に特有のものだ。それによって、野党が批判するだけの存在になり、現実路線から外れて「妄想路線」となり、野党も無責任な「マスコミ」と化してしまったのだ。野党やマスコミのためにも政権交代は必要だ。


そのマスコミの「55年体制」のせいで、自分たちの立脚点、思想の「中心線」が、旧社会党の右派と左派のあいだあたりに引かれたままになっている。

つまり、マスコミの世界像が「左」に偏って歪んでいる。

その歪んだ目で見るから、辻元清美が「リベラル」に見えるんだぜ。


マスコミがそういう誤った「リベラル」の使い方をするから、わたしのような本物のリベラルがすごく迷惑を受けて困っている。左翼と間違えられてサベツされている。改めていただきたい。

以下のポストに見る「リベラル」も、その誤った用法の一つだ。


今年のフジロック、津田大介が企画した政治イベントが3日連続。そこには玉城デニー知事が参加。円安によって海外から超大物ヘッドライナーを呼べなくなってく一方でリベラル色が強くなっていく予感。でもそうなると蓮舫さんの都知事選と同じで特定の支持層以外からはそっぽを向かれるだろう。年々、客の高齢化は進んでいくだろうから、今後縮小して維持していくしかなさそう。いつまで持つのか。
(西牟田靖 7月28日17:00)


思想のリトマス試験紙?


で、28日のパリオリンピック開会式をどう見るかは、思想の「リトマス試験紙」になった、と誰かが言っていた。

開会式は、「フランス革命」の自画自賛だと受け止められた。

出た! フランス革命。

世界史の中で、でかいね、フランス革命。大事件だね。

フランス革命をどう考えるか!? は確かに思想史上最大級の問題だ。


フランス革命を否定するのが保守主義、肯定するのが左翼、というのは、ほとんど「保守」や「左翼」の定義でしょう。

では、「リベラル」はどう見るべきなのか。

そこで多くの人が、「リトマス試験紙」に浸していたのが、菅野志桜里の以下のポストだ。


フランスがフランス革命を心底誇りに思っていることがよくよく伝わった。血の革命で勝ち取った自由を、ゴシックメタルな攻めの演出で体現したのも筋が通ってたし、パフォーマンスとしてレベル高すぎ。 とはいえ、血を流さずに民主主義を根付かせようと奮闘中の日本の一員として、我々は誇りをもってこの無血路線で頑張ろうとも思わせられた!
(菅野志桜里 7月28日5:53)


SNSの世界では、開会式をここまで褒めるのは珍しかったので、「悪目立ち」してたのは確かだ。


このポストを見て、保守の「めいろま」は、菅野を「芯から左翼」と認定していた。


やっぱりこの人世界史や音楽に関する基本的な知識が微妙で教養が激しく欠けているのがわかる。司法試験には受かっても教養がない。さらに芯から左翼
(めいろま 谷本真由美 7月28日17:02)


菅野志桜里が安倍元総理の国葬に反対したとき、わたしも菅野を「左翼」認定した。

でも、このポストについては、まあ「リベラル」の範囲ではないか。


リベラルが「フランス革命」にどういう態度をとるべきか、と言えば、

精神は肯定するが、テロは否定する

という感じではないか。

あるいは、

嫌いだけど、嫌いになれない

みたいな。


それは、同時代で言えば、ゲーテがフランスに対してとった態度に似てますね。

あるいはモーツアルトとか、ベートーヴェンとかのフランス革命への見方に似ていると思う。

フランス革命は「罰当たり」だけど、その背景にある啓蒙主義にはビンビンに感応している、みたいな。


理性主義は肯定する。しかし、理性の暴走は否定する。


というのが、リベラルの公式的な態度ではなかろうか。


フランス革命のルソー →  ロシア革命のマルクス(レーニン) → パリ68年革命のフーコー

と流れるのが「左翼」の思想史だとすれば、

ジョン・ロック →  ヴォルテール → カント →  J・S・ミル

みたいなほうですから、うちら「リベラル」は。

(身の程知らずの大言壮語を叩いている自覚はあるが、おい先短い身の上だからこのまま言わせてくれ)

(あと、同時代の日本にも、儒教の実学とか、似たような思想があったと思うけど、よく知らん)

最近でいえば、スティーブン・ピンカーみたいな「新無神論派」につながっている。

とにかく、左翼とリベラルは、思想の系統がはっきりちがうのだから、間違えないでほしい。


それで言うと、菅野志桜里のポストは、フランス革命の精神に共感しつつ、暴力(テロ)を否定しているので、リベラルですね。

あとは、美的な趣味の問題でしょう。


アートの問題


わたしは、きのうもパリオリンピック開会式に触れて「『みんなちがって、みんないい』わけがない」という文章を書いた。

開会式への非難がSNSで多いのを見て反射的に書いたもので、その時点では、わたしは開会式をちゃんと見ていなかった。(悪いけど、生まれてこの方、オリンピックというものを見ていない。あ、コマネチだけは見た)


でも、そのあと、ネットでダイジェストだけは見たんだけど、全体としては、わたしは好きでしたね。

とくに「生首」のくだりは、いいと思った。アート的にも。

だから、わたしは、やっぱり「保守」ではなく「リベラル」だ。


ネットの意見の中では、意外にも三浦瑠麗の感想が、わたしのにいちばん近かった。


パリ五輪の開会式演出が瀆神的だと騒がれているが、キリスト教以前は多神だったし性的欲望も昔から多様だったんだぞという表現にすぎない。反発も相当強いのをみると、常識人にoffendするという近年のアートの目的に十分適っている。まだ1世紀くらいはアートはカソリックに反抗しつづけるんだろうね。むしろそこから脱却できないことが心配である。
(三浦瑠麗 7月28日18:08)


思想的リトマス試験紙、というような大げさなものではなく、あれは、おフランス得意の「アート」であって、保守派を怒らせるのが目的みたいなもの。

怒った保守派は、アーティストの思うツボにハマった、というだけだと思う。

保守派を怒らせればいいのか、それが現代アートか、という疑問は、三浦瑠麗同様にもつけれども。

表現の自由の範囲だから、リベラルとしては擁護します。

リベラルは、津田大介は嫌いでも、津田大介の表現は守る。寛大だからね。リベラルのほうが「大人」なんだ。



<参考>


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