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精神を耕し、心に木を植える。
突然の話ですが、私の心には内村鑑三の「デンマルク国の話」が刻み込まれています。この本を読んだ当時、青年であった私の心には感激が身震いするような、心がしびれるほどのもので、やけに感心したのを覚えています。この話は、荒廃した母国の土地に気を植える人々の話なのです。
私にとっては生まれてこのかた、砂漠のような心に、人生においてどれだけの木を植えられるのかという話に感じたものです。
苦心して植えられた木々は、少しずつ成長していき次第に原始林となり、調和を伴って繁茂していきます。このように自生的な秩序が育まれるためには、当初は人間の努力によって、少しずつ少しずつ試行錯誤を繰り返しながら、来る日も来る日も植物を植えていかなければならないのです。
植えては枯れ、植えては枯れ、そんなことを繰り返しながらも諦めることなく木を植えるのです。当時の私にとっては、これはまさに人間の精神。魂の涵養の話をしているように感じて震えたのでした。生を受けて誕生してから、少しずつ自分の器である砂漠を耕し、水を引き、木を植える。ようやく葉が堆積すれば、土となる。その土が更に草花を茂らせる。
これが私にとって重要なことであるように感じています。高くなった木々は強風を防ぎ、原始林の調和を保ち続けます。このようになった精神というのも、きっとゆるぎないものになっているに違いないのです。私もこのような鎮守の杜のような心をいつの日にか備えたいと考えています。
里山の風景は美しいものがあります。特に原生林を保っている風景は季節に応じた表情を見せてくれます。そして保水された水は生物にとって、人間にとって大切な資源として存在し続けます。森林の養分を含み、田畑を潤し、川の流れとなって、海の恵みへとなって行きます。
日本固有の生物の多様性にとっても重要です。そして調和された原生林は、外来生物からの防波堤となってくれます。今や杉林ばかりとなってしまった里山。管理が行き届いた里山ならば大きな問題とはならない訳ですが、放置林が増え続けている現状もあります。
この場合、洪水や土砂の流出などの影響で土石流災害に繋がったり、下流地域の洪水などにも影響を引き起こします。またこれらの荒れた里山を原因とした花粉症は、今や国民病ともいわれており、労働生産性の低下や外出控えなどによる消費活動の低下によって一日当たり約2000億円の経済損失を生むとすらされています。
日本の国土の約7割は山林によって占められており、これらが荒廃する現実は大きな社会的、環境的負担になることは火を見るよりも明らかな事であると思っています。このことは、人の精神にも表れているように思えるのです。きちんと手入れされ、またはしっかりと秩序だった心。きっとそれは、人生にとって重要な意義を持つように思えてくるのです。
さて、内村鑑三の「デンマルク国の話」のあらすじも下記に綴っておきます。
9世紀半ば、デンマークはプロイセンとの間で勃発したシュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争に敗北し、大部分の領土を失いました。この敗戦により、国土の多くは荒地や砂丘が広がる状態になり、国全体が絶望的な状況に陥りました。しかし、この国の人々は諦めることなく、新しい道を切り開こうと決意します。
まず、デンマークの人々は力を合わせて農業を再建することから始めました。エンリコ・ダルガスという土木技師の指導のもと、人々は剣を持って失ったものを鋤と鍬を持って取り返さんとしました。共同で荒地に植林を行い、砂丘を緑地に変える努力が進められました。
研究を重ねに重ねて、苦難の末にようやく植林に成功し、北海から吹き荒れる風も植えられた林が受け止め、土壌の流出を防ぎました。このような取り組みにより、荒廃していた土地は次第に蘇り、デンマークは再び農業国としての力を取り戻していきます。
さらに、デンマークの復興を支えたのは教育でした。特に「フォルケホイスコーレ」という成人向け学校が設立され、知識や技術だけでなく、地域社会や自然と共生するための意識を高める教育が行われました。この教育制度は、個人の成長とともに国全体の発展を支える基盤となりました。
内村鑑三のいう森を守る話は、現代にも通ずるところがあります。
そして私にとっては、心や精神に通ずる話であるように思えるものでした。本当に短い話ですので、誰にとっても読みやすく普遍的な道標となってくれるものであると思っています。