マウリッツィオ・ママのレモンのパスタとミラノ最初のボロアパート
レシピは文末です。
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このレシピは我が家の夏の定番メニューになってから30年以上経つ。
食にコンサバで伝統的メニューに独創的な香草一つ加えただけで「この料理にこんなものは入れない!」と目くじらを立てるイタリア人でも(最近は減ったが昔は多かった)大抵は美味しい、興味深い取り合わせだという。
意外な取り合わせで食材一つ一つの味が存分に発揮されるこのプリモは、パスタは茹でるが具は火を通さないので失敗をすることはまずない。そのため来客でその他の料理でてんてこ舞いの時に助かるし、一人食の時でもお鍋、フライパンなどを二つ汚さずに用意できるのも嬉しい。
そして何よりも美味しい。
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1990年代初め頃のミラノは賃貸アパートを見つけるのが難しかった。賃貸物件を持っていない不動産屋も珍しくなかった時代。迂闊にルーズな人に貸すと家賃を踏み倒された挙句に居座られて、立ち退き要請も難しいというイタリア独特の賃貸事情もあり、だったら貸さないほうがいい、口コミで信頼できる人にしか貸さないと考える家の所有者も多かった時代だ。たまに不動産屋で見つかる賃貸物件があっても割高だった。
そんな中で私が初めて長期契約をしたアパートだけは、ミラノ中央駅にほど近い、地の利の良い場所に庶民的な建物を丸ごと五軒所有している大家が、かなり安めに貸してくれていた。
ケチケチ大家のブランビッラ夫人は3ヶ月に1回白い汚れたボロボロの小型車で家賃の徴収にやってきた。冬になると野良犬の毛皮で作ったのではと疑うような汚い毛皮を着込んで、現金で渡す3ヶ月分の家賃を、連れてきた小さい娘の前でお札に唾をつけて数え、あの子はどんな大人になるのだろうと少し心配した。当時薄給で貧乏だった私でさえ「少し自分のためにお金使ったら?」と言ってあげたくなるような人だった。お金なんてヴァーチャルな要素が大きいものだ。派手に使ってしまえば沢山持っていてもなくなってしまうけれど、全く使わなかったら持っていても十分に持っているとは感じない。
元々所有の数棟のアパートは彼女の夫の家系の財産だそうで、夫君は自家用飛行機で遊び歩いていると管理人が話してくれた。ちょっと疑問を持つケチケチ大家も彼女なりに精一杯すべき事をしていたのかも知れない。
この大家の所有の建物はどれも19世紀終わり頃の古い建物で、中央駅から町中心部へ徒歩数分のした下町風情のある通りにあった。当然どの建物にもエレベーターはなかった。安い代わりに、大家は全くなにもしてくれず、前の人が出て行ったままの、汚れた状態で引き継いだ。反面、勝手に手を入れても構造に触らない限り文句は言われなかったので、色々自分で家に手を入れたい人にとっては好都合。必然的に大昔からの店子を除くと大半が若手のアーティスト、建築家、デザイナーだった。
私の棟の屋根裏部屋に住んでいたグラフィックデザイナーのジュゼッペは今ではパリで大きな広告代理店を経営している。中庭にはその後日本でも何度か展覧会をしたアイルランド人画家リチャードのアトリエもあったし、他にメキシコ人とドイツ人アーティストのアトリエもあったと記憶している。同じ番地で別棟の2Kのアパートに住んでいたステファノはアレッシ社のヒット商品のデザインなどで成功して、今ではミラノのトルトーナ地区に「G御殿」と呼ばれる大きな建物を丸々一件所有している。別の番地で同じ大家の店子のティツィアーノもその後10年程度で国際的なファッションブランドのインテリアを手がける有名インテリアデザイナーになった。当時は皆若手で将来を模索していたけれど、そんな環境はいかにも「ミラノに来た」という感じがして結構心地よかった。
それでもそのアパートには2年住んで引っ越した。アパート全体の共通部分がボロボロなだけでなく、特に私のユニットはあまりにも貧相すぎたから。
革命も起きなかったイタリアという国には階級意識が残る。しかも日本みたいに貧しい家の子でも成績さえ良ければ良い就職先が見つかり、場合によっては出世できる、という社会環境ではない。先に書いた当時の近所の住人たちの成功はイタリアではかなり異例な事だ。
住み始めて家に遊びに来る友人知人の反応を見て、最低の家=最低の教育=最低の仕事=最低の収入=最低の暮らし、みたいに繋げて見られるような気がしてきたから。
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このレシピはそのアパートの下階に住んでいた日本人の友人の当時の婚約者、後の夫、そして今は亡き人となってしまったマウリツィオの、おかあさんのレシピだ。
マウリツィオはカンパーニャ地方(南イタリア、ナポリが州都)の出身なので彼のお母さんにはお目にかかったことはないが、このレシピはとても斬新で他のどこかで似た様なものを食べたことは一度もない。
イタリア人は往々にして、自分のお母さんお祖母さんの料理が一番と思い込んでいる。他人の料理法を否定するときに「うちのお母さんはそうはしない。」「うちのお祖母ちゃんはそうはしない。」というのも定番だ。
マウリッツィオも例に漏れず、「ウチの母の作るXXはとても美味しくて、君たちに食べさせてあげられないのが実に残念だ、などと言う話は他人には興味のないことだとわからないの。。」と友人はこぼしていた。
そしてその日本人の友人は「なんでイタリア人と日本人のカップルって釣り合いの取れないカップルが多いのかしら。」といつも言っていた。彼女曰く、多くの素敵な日本人女性が野暮なイタリア人男性と付き合っていて変だという。一概には言えないし例外もあるが、当時の私の身の回りにも本人同士解っているのかいないのか、このタイプの男性をそのまま日本人にしたらこの女性は絶対付き合わないだろうと思うようなカップルを少なからず見た。最近では日本人男性とイタリア人女性のカップルも増えたが、そのほうがカップル間ギャップは少ないように思う。
そしてその友人は絶対そんなカップルにはなりたくないと慎重に相手を選んでいる様子で、その彼女が一緒になったのがマウリツィオ。確かに珍しいくらい紳士の好青年だった。
彼女たちとはその後付き合いはなくなってしまったが、このレシピはうちの自慢の定番料理として今も大活躍している。マウリツィオがもうこの世にいないのかと思うと複雑なものがあるけれど、それでも私は毎年夏になると来客にこのパスタを振る舞うことにしている。
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<二人分材料>
・パスタ 160g
(オリジナルレシピはスパゲッティ、私はよくリングイーネで作る。)
・パルメザンチーズ塊で 約80-100g
(グラナ・パダーノでも代用可能。違いは文末参照)
・イタリアン パセリ 10−12本程度
・バジリコ 5−6本程度
(イタリアン パセリとバジリコの割合は2:1程度)
・レモン1個
(一人分レモン半分が目安ですが、酸っぱいものが苦手な人には加減しましょう)
・ペペロンチーノ 1、2個 (大きさで加減)
・ニンニク1片
・エキストラヴァージン オリーブオイル 適量
・塩、パスタを茹でるための荒塩一握り
<作り方>
1・大きめの鍋でパスタ用のお湯を沸かし始めます。
2・その間にパルメザンチーズは 7−8mm角に切る。
3・バジリコとイタリアン パセリは洗ってみじん切りにする。
4・ペペロンチーノは手でほぐし、(その手で目を触らないように気をつけて)ニンニクはガーリックプレスで潰す。
5・2、3、4を混ぜたものに絞ったレモンを加え、オリーブオイル適量を混ぜる。
6・茹で上がった熱いパスタに混ぜ、食卓に運ぶ。
<オーガナイズの秘訣>
来客で他にも色々作らなければいけない時は半日以上前に用意をしておくことも可能です。その場合レモンだけはパスタを混ぜる15ー30分前くらいに混ぜます。それ以上前にレモンを加えるとバジリコとイタリアン パセリがしんなりし過ぎてしまうので。
<食材説明:本物パルメザンチーズと似ているチーズ>
イタリアのパルメザンチーズは正式名称をパルミジャーノ・レッジャーノと呼びます。つまりはエミリア地方のパルマとレッジョ・エミリアで作られるチーズという意味。
このタイプのチーズは他に若干価格の安いグラナ・パダーノも日本で見つかるはず十分代用可能です。
パルミジャーノ・レッジャーノに関しては書くことがたくさんあるので、また別の機会に詳細を書きたいと思っています。
グラナ・パダーノはイタリア最大の平野、パダーノ平野で作られるグラノチーズ。
パルミジャーノ・レッジャーノはその一部の限られた地域で作られるチーズで、地域以外に最も大きな違いは、パルミジャーノ・レッジャーノの乳牛は生の牧草だけで飼育されているのに対して、グラナ・パダーノは干し草でもOKとされています。