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『成功』したら絶対『失敗』する。しかしそれが必要。

生き方研究家のカイジマです。
今回の話はラジオでも聴けます。

今回は、人生と成功ということについてお話ししたいと思います。僕自身まだ全然成功もちろんしてないんですが、ある程度語れる部分があるのと、僕の起業家をしている友人の話も含めて語ります。


結論から言うと、

人生において『成功』ってマジで意味がないし、維持ができないものだ。

というお話をします。


成功=危険?


みんなそれぞれ自分の中での成功というものがある程度はフワッとしたイメージがあると思うんですけれども、いくら自分が求める基準に達しても実はそれは意味がないのです。


今僕には師匠がいるんですけど、師匠も

「成功とかマジで意味ないよ。成功より成長を求めた方がいい」


とかかなり強く言ってまして。



実は成功することを目指すという観点だと、これめちゃくちゃ危ないことに陥る可能性があるんですね。


ですから今回の話は絶対覚えておいてほしいと思います。


お金が手に入ったら成功だと思ってた

まず僕の話をさせていただくとですね、もともと僕はすごくお金が欲しかったんですよ。あと時間が欲しかったんですね。もともと1日16時間ぐらい働くブラック会社の社員だったわけです、僕。


訪問販売をやってまして、2012年から2年間ぐらいやったんですね。新卒で入った会社で。



せっかく良い大学出たのに、就職失敗して、東京のベンチャー企業って言ったら聞こえはいいんですけども、ただの営業代理店でした。


就職失敗した分見返してやろう、取り返してやろうという気持ちで頑張って、そこの会社でちょっと稼ぐことはできたんですね。


23歳ぐらいのときに月給40万から50万とかある月もあったし、固定給で28万円とかもあったので、ほんの少しだけ頑張ったら普通に給料30万は余裕で超えるみたいな感じで生活してたんですが、 その代償が1日16時間ぐらい働くというものでした。


今考えれば、そんなに時間使って働くならもっと本気のブラック企業か外資系でバリバリ働ければよかったですが、中地半端な忙しさと中途半端な給料で、そんな生活にも頑張ってる感だけはあって、ある程度満足してしまうという。やっぱ中途半端はダメですよ。最高を求めないとね。

ぶつぶつ・・・


月に家に帰れるのが3日とか4日とかの時も何度もありました。
1週間まるまる地方に出張行って、会社がマンスリーで借りてる2LDKの家具なし電気なしのレオパレスに5人ぐらいでタコ部屋状態で寝泊まりしてました。プライバシーは毎日0。常に部活の合宿みたいな。



1週間まるまる出張行ってるわけですから、 4週間連続出張とかの時はも月に4回しか家に帰れないわけですから。 、そうすると俺の家賃って一泊いくらなんだみたいなね。 家賃払ってる分に対して、4日しかいないんだったら、 1日いくら払ってんねんみたいな感じでした。


そこからどうしても抜け出したくて、 ネットビジネスをゆくゆく始めていくっていう流れになります。それでなんとなく、月に200万とか300万とかぐらいを目標にしてたんですね。


結論から言うと割とすぐに達成しました。
月収100万とかいきなり超え始めたし、 低い月でも30、50万とか普通にあったし、月に700万とか稼いだこともあったし、「あ、俺これいけたな」って思ったんですよ。


稼ぎ方もわかったし、まあまあ面白かったし、以前よりも当然自由な時間も増えるし。 成功した感じがちょっとあったんですね。


でもまだそのときも「ずーっと続くわけじゃないしな、この収入は」という不安はあったんですけど、一旦はそれを無視することにしました。


でもこの時無視したこの感覚は、今後数年、僕にとって重要な教えを与えてくれ続けました。


今までずっと時間も自由じゃない、お金も自由じゃないっていう状態だったので、その反動がかなりデカくて。


例え訪問販売でそこそこ稼いでいようが、その収入自体も毎月同じ給料が安定してもらえる普通のサラリーマンの感覚ではないわけですから、ちょっと変なんですよ。バグってるわけですよ。 不安定だし。



安心感がずっとないんですよね。
毎月安定した給料がもらえるという経験は、それまで一度もしたことがありません。(今もありません)


そんな感じで、でもいきなりガツンと入ってくる経験が何回もあると、 ちょっとした成功体験というか、達成感みたいなのがあるわけじゃないですか。


最上の欲求を手に入れたら人生勝ちだという勘違い


マズローの五段階欲求って聞いたことありませんか?
一番下の段階から順に欲求をクリアしていくと、自己実現を達成できる、とされる人間の心理学のモデルです。


これ見たことあるよね


人類が求める欲求を5段階に分けて説明した有名なモデルです。
これに照らし合わせて、自分の人生レベルがわかると言われてます。


生理的欲求

一番下の生理的欲求(生存欲求)は、生命を維持するための欲求で生きる上で最低限の欲求です。 睡眠欲とか食欲とか。これは日本では無条件で全員満たされてる。

安全欲求

次に安全欲求があって、安全に生きるために家とか最低限のお金とかの欲求。これも日本ではみんな満たされてる。

社会欲求

次の社会欲求からがみんながいわゆる『悩み』と呼んでるものに関わってくる。

家族とか役職・役割とか、友人・人間関係とか、社会における自分の居場所とか立ち位置みたいなものを欲するわけですね。

承認欲求

で、ここが満たされてクリアされると、次は承認欲求です。

私の価値を認めて」「俺すごいだろ」と言わんばかりにSNSでギラギラしている人たちというのはここです。

そうやって分析して見てみると、欲求丸出しで生きてる人たちの浅はかさが分かって「ああ、まだみんなに認めてもらわないと安心できない人たちなんだな」と、可愛く思えてくるものです。

自己実現欲求

そしてそれすら飽きてくると、自己実現欲求に至ります。
他人に認められなくてもいいから、自分の好きなこと、やりたいことを実現するために生きるようになります。

都会で有名だったシェフが突然山奥で古民家を購入して自家栽培のレストランをするとかもたまに見かけますが、これもそうでしょう。

とんでもない罠がある


これがマズローの五大欲求と言われるもので、簡単に説明しましたが、これ実はものすごい罠があるんです。それを僕も含め、人生にチャレンジしてる僕の周りの友人たちも全員知らなかったんです。


この五段階欲求というものを知ったのは何年も前なんですが、第一印象として「じゃあ一番上まで辿り着いたら成功だな」と感じてしまったんです。
皆さんもそう感じませんか?


よくある、一番上を目指す、トップを掴み取る、ピラミッドの一番上、みたいな印象をこれ受けませんか?


五段階欲求というわけですから、一番上の自己実現欲求が最大のものだと思って、そこに到達することが人生の目的だと思って、僕は一応そこにたどり着いたわけですね。



お金と時間、余裕があるから、もっと自分がしたいことしたいなと思ってたわけですよ。 自己実現みたいなね。


でも、やりたいことなんて定まってなかったんですよ、まったく。
なんとなく自由になるみたいなところだけを目標にしてやってたので、そこが僕の中でゴールだったわけですから、 それを手にしたってことは、一種の成功なわけじゃないですか。


でも、僕は成功を手に入れた後に何をするか全く決めていなかった。
だから、ただの暇な生活が始まったわけです。
そうなると、いわゆるQOL(クオリティーオブライフ)人生の充実度が死ぬほど下がっていく。


驚いたけど、人生って何かを達したらもう無条件でクリア!じゃなかった。


上がろうと思ってる時は楽しいけど、基準が曖昧なものを手にしたらもうそれ以上上がっているとは感じない。あるいは、仮に上がらなかったとしても、なんとなく勝手に維持はできると思ってた。


普通に考えたら当たり前だけど、もちろんそんなわけない。
上がったら下がる。
それは当たり前だけど、そのときは気づかなかった。


だから、五段階欲求の一番上までいったと思った瞬間から、どんどん下に下がっていきました。


驚いたけど、お金も時間もあったのに、ついには生存欲求の底まで下がっていった。要するに、お金の不安が徐々に出てくる。


でも、一度手に入れたと思っているから、もう一度頑張ろうとは思わない。それで、一番下に近づいていく感じがあった。最初の一歩からまた始めるみたいな。


これ、はっきり言うと、ネットビジネス、コンテンツビジネス、コンサルをやってる人は全員こうなる。


なぜなら社会的欲求と承認欲求の悩みを抱え続けるビジネスだから。
常にこの2つが満たされきれないビジネスなんですよね。


いくらコンテンツ売ってゴリ稼いでいようが、社会的に認められてポジションにはいけなくて、かなりうまいこと自分をコントロールして自己実現の領域にいく、つまりお金と時間だけ持ち去って、別の事業の世界にいくかなんかしないと、社会的欲求と承認欲求が常に邪魔をしてくる。


だからそれを満たそうとするから、〇〇社長みたいなブランディングとかして、社会的に成功している自分像を見せようとするインフルエンサーの路線に走る奴らが多いんですね。


実際、彼らをめくったらただの情報商材屋だし、中身は薄っぺらいただの普通の人たちです。でもそれがバレたくないから、ブランディングにはめっちゃこだわってるというわけ。


僕はそれをするのがしんどいな、向いてないなと思ったから、路線を変えました。まあこれはまた別の話です。


友人も全く同じ状況になった


話をマズローの五段階欲求に戻します。


僕の大学時代の友達の話を聞いたときも同じように最大の欲求を手にしてから人生が下がっていっていました。


以前にnote【何者かになりたくて3000万円借金した友人の話】という記事のテーマになった友人です。


彼は何者かになりたかったから、個人投資家から30万円借りて、東京の表参道でベンチャー企業を立ち上げました。その業界的にはかなり新しい、革新的なビジネスをやってます。


電通に勤めていたこともあって、かなりやり手でした。
電通時代の人脈を駆使して、投資家を見つけて、交渉して、大きな取引を成立させることができました。


ずっとやりたかったビジネスがあって、資金調達のために一人の投資家を捕まえてビジネスを立ち上げることができた時は、もう彼は自信に満ち溢れていた。そんなことできる人はあまりいないと思います。


これもある種の成功体験だと思うし、彼は今は事業を4年くらい継続させています。



が、彼の人生は今はもう底まで落ちています(笑)


投資家とお金のトラブルが発生して、会社のお金の管理もクレジットカードも銀行口座も全部投資家の手に握られています。



自分の給料を上げることもできないし、何かを振り込む必要があるときは、投資家にどれだけ使うか話さないといけない。そうしないとお金が動かない。


彼は病院によく行くそうなんですが、ある日、保険の未払いの通知が来たそうで「あなた保険に加入してないので、30%の負担の残りの70%を払ってください」となって何十万円もかかったというとんでもないことも起こりました。


なんで保険すら払われてないんだ・・・?!」となって投資家に詰め寄ったら、「こっちはもう3000万円も払ってるのに、数十万円程度のことでごちゃごちゃ言うな」的な感じで返されたらしく。やばいですね。


投資家はその時、他のビジネスの投資で4000万円ぐらい損してたらしく機嫌が悪かったそうですが、友人は、そんな自分に関係のない他のビジネスの動向で自分の生殺与奪に関わることが左右されるのはかなりヤバいと思ったそうなんですね。


投資家との関係悪化はずっと続いてて、おそらく修復は難しそうなのですが彼の現在の一番のストレスの原因がその投資家との人間関係悪化と保険についてです。


僕は思わず笑ってしまって、「お前、日本国憲法で保障されてる『すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』すらないやん。日本人ちゃうやん。」とか言って励ましてました(?)。


数年前までは、電通の社員だったし、うまくいってたから次はビジネスだ!自己実現だ!というの状態にあったのに、今は底です。


言いたいのは、何かしらの成功を得ても長続きしないってことです。
絶対に。


五段階欲求より上がある


五段階欲求は実は未完成で、さらに次のフェーズがあってですね。


僕の師匠も言ってたんですけど、「いやマズローの五段階欲求。実は七段階欲求やで。」とのこと。


これ師匠に言わせればですけれども、自己実現欲求の上が無欲という状態。で、無欲にも2種類があって、消極的無欲積極的無欲っていうのがあって、積極的な無欲の方が上に来るということをね教わったんですね。


難しそうですが超簡単に説明しますね。


消極的無欲


消極的無欲とは、ご飯とかに例えると、

お腹空いてて、目の前にめちゃくちゃご飯美味しそうなやついっぱいあるけど、「ちょっと今ダイエットしてるから食べないでおくわ。」


みたいな状態です。


要は満たされていないのに拒絶するとか食べようとしないとかっていうこと。


だから、お金に満たされていないのにお金稼ぐのってもういいやみたいな、お金いっぱいあるわけじゃないけど、ちょっとお金稼ぐのもいいやっていう状態。


これはそもそも無欲というもの自体は良しとされてる前提です。


「お金なくても幸せ」を地でいってる人たちって、欲も少なそうでストレスも少なそうだと思いませんか?


ヒッピーじゃないけど、ちょっと貧乏臭い生活してる人とか、西成のおっさんとか、田舎でスローライフしてる人たちとか。


その対極に港区六本木、ギラギラ、金、金、金、ロレックス、フェラーリ、タワマンみたいな人たちですが、あれはマズローの五段階欲求で説明すると承認欲求の段階ですよね。


そういう俗世間的な欲求を凌駕している人、超えてる人っているわけじゃないですか。


西成とかのおっさんとかでもですね、金ないけど楽しそうに幸せそうに生きてる人とかいますが、そういうのは貧乏だけれども欲をガツガツ出してない、消極的な無欲ということですね。


なんかちょっと仙人っぽいですよね。知らんけど。


積極的無欲


対して積極的無欲っていうのは、もう十分満たされてるわけですよ。

ご飯の例で言うと、お腹いっぱいだから、自分はもういっぱい食べれてるから、十分だから周りの人に与えよう、お前食べろよ、これあげるよ、みたいな。周りの人に与えれる状態。


これが積極的な無欲ですね。


お金に関して言えば十分稼いでお金もあるから、みんなに分け与えるというか、育てるとか人を助けてあげるというような状態。


これは承認欲求バリバリのときはあんまできないですよ。できるけど、打算的に「お前俺についてこいよ、ここまでしてやったんだから、今後恩を俺に返せよ」みたいな、僕の前の師匠みたいな感じ。


そういう裏がある前提条件だったら周りに与えるとかできると思うんですけど、 積極的無欲の状態ってそういうのすら何もないんですよ。だって無欲だから。


ただ単純に自分がやりたいという欲は置いておいて、自分がやってあげたいという善意のある気持ちでできるというのが積極的無欲の状態なんですね。


人生はこの極地を目指せ、と大昔から人類は言われております。


確かに言って思いますよね。 要はそこまで行くと、お金どうこうにももはや縛られないわけですよ、無欲というところになると。


実はさらにその上があるらしく無欲の上に『無我』があると。
これちょっとまだ僕分かってないんですけど、とりあえず無我というのがあるらしいんですね。 それが最強の状態。


人生っていうのは、要するにみんなそこに到達するまでのゲームであるから、 成功っていうのはただただそこの通過点にしか過ぎないということなんですね。


だから人生、みんな生きてたら、1回は絶対誰でも成功すると。


もちろんビジネスでも何でもそうなんですけど、1回は誰でも成功すると。 それは当たり前だと。そっからまたスタートやぞということなんですね。


僕はそこがゴールだと思ったから落ちたんですよ。 友人の方もある種ゴールだと思ったわけですね。 友人の場合はその事業のほうはある程度一旦うまくいってですね、 自分がやりたいと思ったことは達成できたんですよ。


そこから無欲に上がるという段階で、ちょっとトラブルがあったから、 今一番下の状況が悪くなって、環境が悪くなって、 保険料払って病院行けないみたいな状態にいろいろなってたりするわけですけども。


要は友人の場合でいうと、自分の生殺与奪を投資家に握られてるってわけですよね。 要は他人の金でやるから結局こんなことになるということです。


だから僕は自分の実力をつけて、 成長していって自分で自分の人生を完全にコントロールできるようになる。そこまでの過程を楽しむ。
そこまで考えられると他人と比較して苦しむこともなくなる。



必要ないものを必要だと思わせる社会だから



よく考えたら別にお金ってそこまでたくさんは必要ありませんから。
やっぱり本当にタワマンなんか必要もないし、高級車も必要ないし、 欲しいんだったら借りることもできる。


ホリエモンも言ってたんですけど、 みんなが思う贅沢って全部レンタルができるって言ってたんですよね。 別にビジネスクラスの飛行機なんかちょっと広いぐらいだから乗る必要もないし、と。


僕は別にホリエモン尊敬も全くしてないですけど、 たまに共感できること言うなとは思います。


ホリエモン自体も、僕の人生からしたらモブキャラですから、 なんかそういうこと言ってるおっさんがいるなぐらいのもんですけど。 確かにそうだと思うんですね。


僕も一回高級車買いましたが、乗りたいという面で見たら別に借りようと思ったら別に借りるなと。 レンタカー屋さんあるわけですからね。本当に乗りたければね。


たとえば、贅沢品を維持するために無駄にお金払い続けるみたいなことを、ひとつのテクニックとしてモチベーションにできる人はそうするべきだけど、成功の過程として高級なものを必須で手に入れないといけないことはない。


人生長い尺で考えたらそんなこと一生続けることはできないしね。


正直、そんないらないもののために人生振り回されてる「近頃の若いやつども・・・」と思えるくらい、達観はすることはできるようになったかなと。 一応僕も少しは手にしたわけですからね。ある種成功体験積んだわけなので、そこは理解できるようになったかなと思います。


だから僕は人生に対するあらゆるハードルが下がったっていう感じで今は考えています。 無理に手に入れる必要がないものが多すぎるので。


だからといって、まだ手に入れていないのに、稼いでもいないのに、無欲になろうとするのはそれと僕は違うのかなと思うから、 一旦みんなそれぞれの自分なりのある種成功みたいなものを定義をちゃんとして、そこに到達する必要は絶対あるかなと思っていますが、 それが全てではないというか、むしろそれが始まりだというところですよね。


つまり、成功は総じて言えばあまり意味がないということになりますね。
人生で手に入れるゴールではないということなんですよね。


めちゃくちゃ大企業で経営者として働いている人とか起業家の人たちとかって、 ある一定のラインを超えるとお金の話を一切しなくなるらしく、どんだけ稼げる儲かるとかではなくて、「 男として生まれたからには自分がやる使命がある」とか生き様とか生きがいで頑張るということなんですけれども、 本当にそれが人生のある意味極地なのかなと感じます。


お金をどう稼ぐ、いくら残るっていうのは、まだまだ下の世界の人たちの話なんだなというふうに思いました。 ということでですね、今回成功と人生についてのお話でした。以上です。 ありがとうございました。



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カイジマ@生き方研究家
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