本当の精神や発達・知的の障害者は何処へ行けば良いのか
過激なタイトルで恐縮ですが、今回は曲がりなりに私が長らく障害者雇用で働き続けた中で徐々に膨らんだ疑問を思い切って書いてみることにしました。
多様性やダイバーシティ、ニューロダイバーシティと"障害者の明るい可能性"や”特異な能力”に焦点が当たる中、それに該当しない、または該当しないお子さんをお持ちの方々の絶望感が確かに存在している以上、私自身は能力の凹凸の恩恵を微量ながら預かっている立場とは言え、同じ岸辺の人間として共感するところがあったので、書かずにはいられませんでした。
要は言いたがりです。
この世の中には声にはならない、発声や発語も困難な人々は、私達が思っている以上にきっといますから。
障害者雇用とは?
文字通り障害者に該当する方の雇用枠です。
身体から精神まで幅広いですが、一貫しているのは障害者手帳がいるということ。
この障害者雇用枠、昔よりもずっと法定雇用率が高くなり、今、企業は優良な障害者の獲得を一つのタスクとしているところもあります。
法定雇用率の推移の参考↓
精神・発達枠の障害者雇用で一番に求められること
まさかの勤怠の安定です。
それが出来ないから精神や発達の障害と言う人が多数を占める中、勤怠の安定です。
雇用側の観点から考えると当たり前ではあるのですが。
そういう訳で、企業や自治体によっては精神疾患より軽度知的を率先して取りたがるところもあります。
周囲を見ても明らかですが、軽度知的はむしろ健常より勤怠が安定していると言っても良いほど勤怠が安定している方々が多いからです。(※親との最低限の関係が構築されている場合は※)
あと彼らは素直な方々が多いです。
要は雇用・指導する側としてはコストがかからない。
とは言え、世の中には合理的配慮を怠ったが故に自ら命を絶つこととなった障害者雇用の軽度知的をお持ちの方もいる以上、軽度知的は楽で良いと断言することなど決して出来ません。
むしろ真っ直ぐな感性ゆえに腹黒い社内政治に巻き込まれたり、人に騙されたり、金銭管理が出来ないことに目を付けて詐欺の被害に遭ったり、自分を馬鹿だと卑下し続け周囲からも理解を得られなかった結果うつ病になったりと、人生の苦痛を濃縮して飲まされた様な人々を知っているので、そんなことは口が裂けても言えない。
彼らには彼らの苦しみや地獄があります。
年々増える精神疾患当事者たち
皆さんご存知の通り、近年は昔と比べると随分と心療内科や精神科の敷居も低くなり、それに伴い何らかの精神的な診断名を持つ人も増えました。
知人にも管理職になった途端、配属された部署は激務かつ対人関係は互いにヤスリで皮膚を削りあっているかのようにギスギスしているところで、ある日を境に突然休職した中間管理職の人がいました。
配属当初の彼は、実名と体型も相俟って周囲からその心の広さや優しさを喩えて「サンタさん」と渾名(あだな)されていましたが、会社を去る直前にはいつも眉間に皺が寄っており、もはや試合前のレスラーと化してました。
過剰なストレスは人を変える。
本人の許可を得て書いていますが、休職中はうつ病との診断で入院していたそうです。
そんな人生の大先輩は、入院中に命の洗濯をし、今はご自身に合った社風の会社で活躍されています。本当に良かった。
この様に健常な人間が病む機会が多すぎる日本。
今後も精神疾患を持つ患者数は増加の一途を辿ることでしょう。
それでも法定雇用率は上がる
前述した通り、厚生省のお達しで企業や自治体の障害者の法定雇用率は今後も上昇します。
そうなると必然的に社内に占める障害者の割合が増える。
となると、組織が期するものが勤怠の安定と言うのもビジネスの視点で考えれば致し方ない。
ただ、これは本来の障害者雇用の意義目的から大いに逸れている気がします。
能力が低いだけが障害者の゙内実ではなく、むしろ安定して健康に能力を発揮できない≒体調不良が多発するという障害特性は、特に精神や発達に多いものですから。
では組織はどうするか?
簡単です。
キャリアのある障害者を採用する。
つまり、前述の知人のように元は健常な社員として社会にデビューし、その後何らかのアクシデントで後遺症を背負った人々です。
彼らを障害者雇用にスライドさせる。
もしくは勤怠の安定した障害者を採用する。
あるいは見込みのありそうな社員をどんどん採用していく。
それも契約社員というその気になれば容易く切れる雇用形態で。
つまりはパイを増やして、勤怠が安定せず一ヶ月超仕事に来れない人々はさっさと契約を解除していき、また新たな見込みのある応募者を採用していくのです。
そうして回転率を上げ、厳選した人のみを会社に残し、最低賃金に毛が生えたような給与で仕事をしてもらう。
転職?しても良いでしょう。
ただ現行の精神・発達枠の障害者雇用はどこも似たりよったりです。(都会を除く)
相応のキャリアの付随が必須となるような専門的な資格を持っていない限りは。
これらを踏まえて今後、予測されること
前項と重複しますが、ストレートに言うと、健常者から不運にスリップした人々の障害者雇用へのスライドです。
今ですら、既に精神・発達の障害者雇用枠は激戦区となっています。
生活保護費に毛が生えたような賃金なのに。
それくらいに本来的な”障害者"は働ける場所がないのです。
私も曲がりなりに障害者雇用勤めを長らく出来たのは、偶然にも能力の凹凸の凸が仕事とマッチングしてるからに他なりません。
そう、私は偶然にも幸運だっただけなのです。
個人的な戯言と願い〜不登校も引きこもりも経験し、児童保護施設で育った子達の予後をたくさん見た立場から〜
確かに私は幸運でした。
けれど、引きこもりをしていた時期に「自立援助ホーム」という、児童保護施設で保護されたものの本人のたっての希望や保護対象の上限年齢を過ぎて住むところがなくなった人達と共に暮らしていたから知っています。
彼らの大半がはっきり言って障害者でした。
実際に、軽度知的の手帳を持っている人もいました。
精神科に見せれば愛着障害の脱抑制型が成長した典型例、もしくはADHDと診断されるであろう人もいました。
恐らくはASDと思われる特定のメーカーの特定のものしか食べず、延々と特定のアニメの画集を眺めている人もいました。
性依存のリストカッターで何度も手首を切り妊娠する度に墮胎をし、洗面所に血がこびりついていた人もいました。
恐らくは社交不安障害で、過剰に人に気を使っては疲れ切って、人との関わりを必要最小限に留める人もいました。
ゲーム依存症で、とんでもない額をソーシャルゲームのガチャに課金をして、スマホ自体を取り上げる必要がある人もいました。
物心ついた時には実父から暴力を受けていたため、気持ちの表現を暴力でしか知らない保護観察下の少年もいました。
虐待がその子の予後に与える参考文献はこちら↓
本当に彼らは、誰にも正しく愛されたことがなく、理解を得られたこともなく、私と同じくどうしようもなく社会での居場所が無い人達でした。
それは紛れもなく障害者の姿でした。
手があり脚が動き、内臓も大体健全でフィジカル上の行動の制限がない、けれど精神の形は明らかに、健常者の様な整った、普通に暮らし社会に馴染めるそれをしていない障害者たちでした。
正直、あの時、あの場にいた誰もが精神科の門戸を叩き正確に状態を伝えれば、直に障害者手帳が発行されたでしょう。
けれど悲しいかな、彼らは病院さえ拒む、いわば「本当に助けが必要な人は助けたくない姿をしていたり助けを拒む」人の典型でした。
彼らの中にはアルバイトを始めた人もいましたが、もって一ヶ月でした。
他には会社を去っていった沢山の人達を知っています。彼らもまた、そもそも障害者雇用なので言わずもがな障害者でしたが、その中でも特に障害者でした。
朝起きられず時間管理が苦手なため、遅刻を繰り返すADHD、持論を頑として譲らず周囲との軋轢を頻発させるASD、親との折り合いが悪い事を引きずり上司の指示に反抗的だった軽度知的障害者、繁忙期に決まって体調を崩し長期療養が2回以上続いたため契約を打ち切られたうつ病者、常に過緊張の状態で業務時に手が震えており、半月もすると体調不良による休みが目立ち出し、そのまま休職→退職のルートに入った社会不安障害者、、、。
挙げたらキリがありませんが、彼らこそ本来は福祉で包括され、適切な労働の機会を提供されるべき障害者でした。
今も連絡を取っている一人は、もはや望まずしてジョブホッパーとなり職を転々とし、ビルのビルと隙間を漂流しています。私から見ても、彼を受け入れてくれる場所はそうないように見えます。
しかし、本来の障害者雇用はこうした人々に提供されるべきなのです。
彼らは配慮や指導のコツさえ掴めば、きちんと参加できる人達です。
同じ様な、いやもっと酷かった(入社して1ヶ月は、吃音への恐怖から殆ど会話が出来ませんでした)私がいま勤められているんだから。
だから傲慢とは思いつつも、願うのです。
働いても働いていなくても、彼等のための場所が現在に未来に用意されていますように、と。
そうでなければ、何を以てしてダイバーシティと言うのか分かりません。
動物としての本能的な淘汰を越えて包括できるから、ダイバーシティじゃないのか。
昔なら座敷牢だった人も、明るい陽の下で暮らせるから進歩と言えるのではないか。
そうしたサステナビリティを繋いでこその社会の成熟ではないのか。
今の日本がハッキリ言って、最早健常者にすら辛い追い込まれた状況と暗い見通しであることは、経済や社会に恥ずかしくなるほど疎い私にも分かります。
けれど、いつ誰がどうなるか分からないからこそ思うのです。
彼等に居場所を与えて欲しいと。
そうして与えた・作った場所はいつか自分が行く場所・属する場所かもしれないから。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。