かげはら史帆
じぶんで書いた本、同人誌をめぐって
プロフィールと、これまでやったことをめぐって
1912年3月。わたしは神”と出逢ってしまった──。 有名バレエ団「バレエ・リュス」の絶対的エース、ニジンスキーを推し過ぎて人生を狂わせた女性ロモラの、波乱と矛盾に満ちた物語。
読んだもの、見たもの、感じたものをめぐって
小さな思いつきをめぐって
略歴かげはら史帆 Shiho Kagehara 文筆家。 1982年、東京郊外生まれ。一橋大学大学院言語社会研究科修士課程修了。著書『ニジンスキーは銀橋で踊らない』(河出書房新社)、『ベートーヴェンの愛弟子 - フェルディナント・リースの数奇なる運命』(春秋社)、『ベートーヴェン捏造 - 名プロデューサーは嘘をつく』(柏書房/河出文庫)。ほか音楽雑誌、文芸誌、イベントプログラム、ウェブメディアにエッセイ、書評などを寄稿。 X(Twitter): @kage_mushi M
かげはら史帆の自作による同人誌『楽聖小説集 ベートーヴェン・フィクションズ』の収録作全作の試し読みページです。 『楽聖小説集 ベートーヴェン・フィクションズ』の概要はこちらをご覧ください。 『ベートーヴェン家の父』 『モーツァルトの再来──二つの掌編/一八二三年』 『モーツァルトの再来──二つの掌編/一七九三-九五年』 『大食漢ホルツの朝食』 『アントン・シンドラーと妹』 『ドクトア・ヴェーゲラーへ
かげはら史帆の自作による同人誌『楽聖小説集 ベートーヴェン・フィクションズ』を刊行いたしました。 頒布/販売は「BOOTH」「Passage bis!」「マルジナリア書店」「Kindle(電子書籍)」などで行っています。詳しくは下記をご覧ください。 小説『楽聖小説集 ベートーヴェン・フィクションズ』概要『楽聖小説集 ベートーヴェン・フィクションズ』 かげはら史帆 装画:緋田すだち 収録作: ・ベートーヴェン家の父 ・モーツァルトの再来──二つの掌編 一八二三年
「はじめての本を出版して1年が経った」 という記事を書いてはや4年…… その本がめでたく文庫になりました~!! 『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』 かげはら史帆 河出文庫 2023年11月7日刊行 11月中は店頭にしっかり並ぶと思いますので、河出文庫コーナーに足をお運びいただければうれしいです。 なんかものすごいポップで展開してくださってるお店もあるようです……。 男同士の嫉妬!憧れ!諦め!闘争心!てんこ盛り! というわけで、このたびの文庫版刊行を
2023年5月刊行の小説、かげはら史帆『ニジンスキーは銀橋で踊らない』(河出書房新社)の刊行記念イベントが東京・西荻窪の今野書店で開催されます。(配信もあり) 2023/07/08 (土) 15:00 - 16:30 『ニジンスキーは銀橋で踊らない』 刊行記念トークイベント かげはら史帆×渡辺祐真 「推す」ことの宿命について 企画してくださったのは今野書店の名物書店員、花本武さん。 花本さんには前職でお勤めの書店さんでも、私の選書による特集を企画してくださったり、ご著
2023年5月に刊行された小説『ニジンスキーは銀橋で踊らない』(河出書房新社)。 本作に登場する20世紀の革命的バレエ・カンパニー「バレエ・リュス」やその周辺をめぐって、舞踊史研究家の芳賀直子さんとTwitterスペースでオンライントークをいたしました。 芳賀直子さんには、本作の原稿チェックをお願いし、刊行にあたってもたいへんお世話になりました。 90分にわたるトークを一部抜粋・再構成し、以下に掲載しました。 トークをぜんぶ聴きたい方は、こちらからぜひどうぞ(2023年7
すっかりnoteでのご報告が遅くなりましたが……! 2021年に当noteでもACT1(第1部)を連載しておりました作品『わたしが推した神』が、大幅改稿を経て、『ニジンスキーは銀橋で踊らない』として5月末に刊行されました。 WEB連載を応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。 『ニジンスキーは銀橋で踊らない』 河出書房新社/かげはら史帆 1912年3月。「わたし」は「神」と出会った……「バレエ・リュス」のエース、ワツラフ・ニジンスキーに。中島京子さん、宇垣美
noteにて連載をしておりました『わたしが推した神』の掲載先を個人サイトに移行いたしました。 本日からACT2の連載がスタートしました。ぜひ下記サイトにてお読みください。 なおACT1はnoteにも当面残します。
←ACT1-8にもどる ←最初から読む おそらくディアギレフは、南米に行くかどうかぎりぎりまで迷っていたのだろう。彼は自分の名前で1等船室をおさえていた。 部屋は「Aデッキ 60番」──ニジンスキーの部屋の隣である。 やはり行くべきだった。 彼が休暇先のヴェネツィアで激しい後悔に襲われるのは、エイヴォン号が南米大陸にぶじ到着した後のことだ。 船は沈没しなかった。 バレエ・リュスの一行はぶじ、巡業先にたどりついた。しかし、彼のかけがえのない薔薇の花は、無残
←ACT1-7にもどる ←最初から読む ディアギレフとニジンスキーの仲がかんばしくないという噂は、どうやら本当らしかった。 ロンドン公演のあと、8月から予定されている南米大陸へのツアーに、ディアギレフは行かないという判断をした。 とき1913年。かの有名な「タイタニック号」沈没の悲劇が起きた翌年だ。かつ、ディアギレフはもともと船が大の苦手だった。乗らずに済むなら、それに越したことはない。 とはいえ少し前ならば、ディアギレフが自分の同行なしにニジンスキーを長旅にやる
←ACT1-6にもどる ←最初から読む フランス・カレー行きの列車に乗り込みながら、ロモラははしゃぎまくっていた。 「ねえアンナ、あなたスパイになれるんじゃない?」 肩をすくめて、使用人(シャペロン)のアンナは隣の座席に身を沈めた。ロンドンまでの道のりは長いというのに、すでに疲れている。ニジンスキーが乗る列車を調べてこいという命を受けて、先ほどまであちこち奔走していたのだ。そのかいあってか、真昼のパリ北駅のプラットホームにぶじ彼の姿を見つけ、ロモラは勝利の悲鳴をあげた。
←ACT1-5にもどる ←最初から読む それから間もなく。 ロモラは音楽評論家ルートヴィヒ・カルパートのあとについて、ホテル・ブリストルのレセプション・ルームに足を踏み入れた。 ディアギレフは構想のメモがぎっしり書き込まれた黒い手帳を閉じ、椅子から立ち上がると、にこやかにふたりを迎え入れた。 もちろんきょうの本題は、カルパートとの芸術談義だ。しかしディアギレフの興味は、むしろ「口実」として現れた若い娘の方に向いていた。 彼は女性ファンと交友するのが好きだった。
←ACT1-4にもどる ←最初から読む 「わたし、やっぱりバレエ・リュスに入団したいの!」 1912年の暮れ。半年ぶりに再会したロモラの前で、バレエ・リュスのダンサー、アドルフ・ボルムは小さなためいきをついた。 ロモラとはすでに気安く口をきく仲だ。パリでもオフの日にいっしょに遊んだし、この2度目のブダペスト巡業でもしょっちゅう顔を合わせている。楽屋口から出てくると、まっさきに自分の姿を見つけ、手を振りながら駆け寄ってくる。パティスリーのホット・チョコレートを飲みなが
←ACT1-3にもどる ←最初から読む ロモラがなんとしてでもパリ公演に行きたかった理由。 それは、ニジンスキー自身の振付作品の初お披露目だった。 自分で自分の出演作品を振り付ける。 運営サイドが用意した曲を歌っていたアイドルが、はじめて自分で作詞や作曲をして、ギターを抱えて弾き語りをするようなものだ。 観ずには、死ねない。 美しい彩色とデザインの大判のプログラムには、こんなタイトルが記されている。 「牧神の午後」 音楽は、クロード・ドビュッシーの「
←ACT1-2にもどる ←最初から読む 実際、この“ご新規さん”──ロモラ・ド・プルスキーの情熱は凄まじかった。 ウィーン巡業にまでくっついてきて、客席で目をらんらんと輝かせている。そこまではまだわかる。わずか1ヶ月後に、はるばるパリのシャトレ座にも姿を現したときには、さすがにボルムやほかの団員も仰天した。20歳そこそこのハンガリー娘が、パリの貫禄と気品に満ちた紳士淑女たちに混ざって、一等の席に座っているのだ。 ファッションもずいぶん垢抜けた。Vネックが際立つポール
←ACT1-1にもどる ←最初から読む 「いない……」 「赤のサロン」の片隅で、ロモラは失意をかみしめていた。 母エミリアの社交好きな性格のおかげで、プルスキー家は、昔からブダペストの文化人たちの溜まり場になっていた。国外からやってきたアーティストも、人脈を求めて彼女のもとを訪ねる。 バレエ・リュスのダンサーたちは、この新居に招かれた最初の外国人アーティストとして、サロンで終演後のひとときを満喫していた。 バレエ・リュス。 彼らは、旅するバレエ団だ。 1909