シェア
穂東なごみ
2021年2月9日 16:52
noteを始めてから早いもので4ヶ月。やっっっとマガジンを1つ書き終えることができました。noteを始めるにあたってまず書きたいと思っていたテーマが「大学中退」についてでした。自分と同じように中退を考えている人、悩んでいる人にとって小さなスイッチになれたらという思いで書いていました。同時に、これまでのことをもう1度振り返って整理するという意味も込めていて。本当はもっとコンパクトに、文
2021年2月7日 15:51
大学を辞めてから2年半。私の歩みはまだまだ亀のようにゆっくりだ。大学に通っている同世代の人の方が何倍も知識や経験が多いと思う。辞めたことで劣等感が芽生える時もある。例えば街で大学生の集団を見た時、友人からサークルの愚痴を聞いた時、スクールバスを見かけた時。私も大学を辞めなかったら、あの人達みたいに色んな経験ができていたかもしれない。「私は何をやっているんだろう」と悲しくなって下を向
2021年1月25日 12:41
大学を辞めて「無職」となった私。自由になれたという気持ちと、もう誰も守ってくれないという不安な気持ち。休学した時より気分は晴れやかになったとはいえ、働くという行動にはまだ足を踏み出せなかった。気持ちは前を向いてるはずなのに。それを行動に移すには時間がかかるんだなぁと客観的に見ている自分がいた。*それは11月のことだった。母が癌になった。幸いにも母の病気は翌年の春には完治し
2021年1月13日 16:03
「大学を辞めます」2度目の休学も終わりに差し掛かった頃、私は1つの決断をした。前と違うのは今度は自分から伝えられたこと。「その先はどうするのか」父は私の目の奥深くを見つめるように問う。「今はまだわからない。だからこれから探していこうと思う。」私の中で大学に通い直すという気持ちはなかった。持てなかった。もちろんそれまでお金を払ってくれた両親には申し訳ない気持ちしかないし、そ
2021年1月12日 17:51
「あなたの新しい一面が見てみたい」10代最後、そして休学生活最後の舞台。演出家の彼は大きな課題を私に与えた。今思えばこの作品が、それまでの私を変える小さなスイッチとなった。私に与えられた役柄はこうだ。バス整備士として真面目に働いていた彼女は、ある日、バス会社が起こした事故の罪を擦り付けられてしまう。会社に、人に裏切られ何も信じられなくなった彼女は復讐のためにバスジャックを起こす。
2020年12月30日 16:12
こうして休学延長戦がやってきたわけだが、実をいうと、私はこの期間の記憶が薄い。最初の休学期間のことは鮮明に覚えているのに。何をしていたのか思い出せないのだ。いや、違うな。何をしていたかというより、何もしていなかった。「何かが変わるかもしれない」というほんの少しの期待すらもこの時には消えてしまっていた。つまるところ、誰かに助けてほしかったのだと思う。カウンセリングを受けるだとか、家族に優し
2020年12月16日 11:33
「退学か復学、どちらか決めなさい」半年間の休学期間も終わりに差し掛かった2019年の3月。鋭いまなざしで父は言った。テーブルの上には「復学についてのお知らせ」と書かれた少しよれた封筒が1枚。それは2週間前に大学から届き、私が隠しておいたものだった。なぜ隠していたのか。冒頭の言葉が放たれる日を恐れていたからだ。逃げたって選択しなければいけない日が必ずやってくるのに、私は目を背けていた。前に進むど
2020年12月9日 15:02
2018年9月。私は学校という場所から逃げて休学を選んだわけだが、「さあ!やってみよう!!」というような気持ちはなかった。家族にはゆっくいでいいよ。と言われていたが内心、誰の言葉も響かなかった。「どうせ、みんな私を裏切って嫌うんだ」何もできなくなったわけじゃなかった。今まで続けてきた劇団の活動は普通にできていたし、買い物にも行けた。でもこの時の私はすでにおかしくなっていたのだと思う。ア
2020年12月8日 16:34
「そういう活動はここでは色眼鏡で見られるよ」大学に入学して最初の面談で教授はそう言った。私が高校時代から取り組んできた活動を全て否定されたような気持ちだった。最初にパズルのピースが外れたのは授業中だった。グループワークができなくなったのだ。自分の意見を述べること、相手の意見を聞いてチームでまとめて発表すること。今まで得意だと思っていたものが突然自分の中から消えた。次にマスクが外せなく
2020年11月26日 12:29
19歳、夏。学生達で賑わうキャンパス内を抜けて、私は大学の応接室にいた。隣には両親、向かいには名前も知らない教授が3人。学校に行けなくなって1ヶ月。教授から何を言われたのか、本人の話と確認を取るために私は呼び出された。学校には行けていなかった。でも正直、この時の私はまだ、「後期から頑張ってみようかな」と思っていた。踏み出す勇気は私の中にちゃんとあった。まだ。「教授はとても