書くヒント ~think/try/do/continuedを越えていけ~
ことばの大切さ以上に
「意思」の大切さ。
これは、多くの方が痛感していることだと思います。
わたし自身も
「何を書くか?」以上に
「どうあるか?」「どう生きたいか?」は日々問いかけているところ。
でも、意思がハッキリしてくると
ことばや文章には逆に頼らなくなって。
多少乱筆でも、不出来に感じるときにでさえ、
その「意思」にさえ正直にしたがって書けたなら、
all OKでそれがイチバンなのではないかなと感じています。
さて、その「意思」…
でもここは、文章上では見えないところ、ですよね。
本人しかわからない部分で、また
本人さえわかっていない/気づけていない所もたくさんあるはず。
そんな中、わたし自身が記事で大切にしているのは
それは、「思う(think)」だけなのか
「やってみたい(try)」なのか
「やる(do)」なのか
「やり続ける(continued)」ことなのかという違い。
個人的には、その意思が
なほどその未来に確信がおびてくると感じています。
なぜなら、強さ=パワーが圧倒的に違うから…
もちろん、私自身にも
これは「思う」こと、
これは「やってみたい」こと、
これは「やる(やるべき)」こと、とがあって
その日によって、また同じ記事内でもいろんな
think/try/do/continuedが入り混じっていることも、あります。
でも、わたしには変わらないcontinuedがある。
これは、自分にしか知らない、continuedですが
それがあるから、わたしは強くなれるし、させてもらえるし、
前を向いて輝きを感じながら生きていくこともできる。
それくらい、やわらかな確かな
continuedが見つかると、人は早いです。
「なにを書くか?」じゃなくなって、
「どう生きるか?」「(なら)どんな自分でありたいか?」に
どんどんスポットが当たっていくから
そこから外れなくなってくる、感があります。
究極、「自分」にスポットがあたる書き方/生き方を。
余儀なくされる、このthink<try<do<continuedのあり方バランス。
「いったい自分は、いまどこの段階にいるのか?」
それを感じてみることも、まず一つ。
段階を知る、ということも「自分を知る」ことの一部で
そこがわからないと、やはり
「いったい、何を書けばいいの?」の問いから抜けられなくなるから…
大切なのは「何を」書くか以上に
上記のそれぞれも。
実際に書き続け、成長もし続けられている方々は
間違いなく、必ずブレないcontinuedを持っているんだと感じます。
なら、そこを見つける(=自分が時にいのちをかけてさえ続けていこうと思えるもの/ことは何か?)ことの方が
なにより「早い」気がするのです。
そして、そのcontinuedはなんだっていい。
大きくても、大きくなくても、人によって全然違っていいのだと。
公言しても、しなくても、ただ
「自分を生きる」という道に繋がっていればなんだっていいと思うのです。
***
わたしは、わたしの道を生きて。
あなたは、あなたの道を生きる。
その道すがらに、交わるものがあれば人は人と出逢い、ご縁をひろげなら
しかるべき方向にひらかれ導かれていくのだと。
《記事は、自分に正直にあるだけ。》
ぶっちゃけ、それだけではないでしょうか……?
その自分で、繋がっていけない人やものはそれまでだし、
素直な自分を生きて、生きたうえでつながっていける世界ならきっと本物。
だから、わたしは今日も「自分に素直」に生きることをあきらめない。
たとえ笑われても、いつか
「自分に正直に生きた」道はやがてぜんぶ財産になるから…
敬意を込めて、あなたにとってのcontinuedは何ですか?
時には変わってもいい、人と変わっていてもいい。
自分さえそれを愛し抜いたなら、やがて多くの方から愛される道がひらかれるのだろう。
そこを、生きていくのだ。
とにかく、道はまっすぐだ。
ときに曲がっても、すべてを花道に変えるチカラがあるおまえなら
なにもこわいものはない。
continuedの魔法、しっかり読者にもお届けし、すべてを花に光にかえ
その道をただまっすぐ生きていくのだ。
think<try<do<continuedの秘儀こそ、しっかり共に生きていけ。
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