いのちより大切なもの ~吊り橋の向こうへ~
以前友人に、「大切なものを教えて」と聞かれました。
みなさまだったら、何と答えられますか…?
わたしは、すかさず家族や大切な人のいのちで。
なんの迷いもなく、答えていました。
でも、この質問って「二番目」が大事なのかなって…
なぜから、最初に出てくる答えはきっと皆んないっしょだから。
だから、二番目にその人の価値観のようなものが出てくる気がして
いかが、でしょうか…?
***
ちなみに、わたしはコレでした。
アップしきれないでいる、紙におさめた言の葉たち…
「これは、誰にも、他のなににも取り替えがきかないから…」
迷いなく、出てきました。
ずっと、存在すら忘れていたのに…
いざとなったら、必死で守ろうとするもの。
そこに、自分の大切な価値観があらわれてくるのかもしれません。
でも、正確にいうと「ことば」ではないんですね…
感性、の方が近いかな?
誰しもが、唯一無二にもつ、その人だけの財産だから。
そしてもっというと、一度どこかに放った(アップした)ことばたちは
比較的もう大丈夫で。
必ず、どこかで誰かに、目にふれてもらえる場所に出せていたなら
ひとまずいのちの役目は完了するから…
でも、アップされずに、閉じ込めたままだと
「ほんとうは、そのことばを必要としてくださる」方たちに届く可能性は
絶対的に0になる。
それを、避けたくて…
もしかしたら、誰かの人生が変わるひと言になれるかもしれない
と思うと、そのファイルやnoteにたくさんある下書きも、いのちと同様
大切にしたいことの一つです。
***
ではあらためて、皆さまの場合はいかがですか…?
そして最後に、ひとつだけ書き加えるなら
わたしは、自分だけでなくみんながもって眠らせている「本音」こそを
おなじように大切にしたいんだなぁって…
わたしの場合は、ある程度かたち(ファイル)になっているけれど
もし、出しきれない本音や、いのちの言葉があられるなら
どうか出し(吐き)きって、書いても生かれてほしいなとも願っています。
「本音」って、そのひと自身のいのちや愛にも直結する部分だから…
わたしは、おなじように大切に受け止めます。
でも、もしお一人では大切な奥の本音とお話しするのがむつかしければ、
こちらもご活用くださいね。
“すくって(掬って)”もらえるのを、待っている言葉やいのちたちがあります。
あなたから、どうぞお迎えにいかれてくださいね。
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書く軸を定める文薬-ふみぐすり-(読むセッション)
書く軸を定めていきたい時の「読むセッション」です。 読むと、自然と「真ん中」に還っていける… 日々のプロセスから生まれる、飾らないことば…
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