痩せへの執着 VS 自分の身体を好きになりたい心

こんにちは、百華です。
すっかり寒くなりました。

今日の朝ドラで、摂食障害の話が出ていたので、
少しだけ書かせてください。


振り返りの連載でもそのうち書くかもしれませんが、
私には摂食障害だと言われた時期がありました。

実質、躁鬱にともなう拒食・過食が症状として出ていただけだと思うので、
本当に摂食障害で苦しんでいる方々の目から見たら、
そんなの問題がない範囲だと思われるような可愛いものです。

ですが今でも、「太る」という現象に対して前向きな気持ちは抱いていません。




痩せていると褒められる

子どものころから、太ることへの嫌悪感がすごくありました。

なぜか。
痩せていることが正義の世界にいたから。


私は、食の細い子供でした。
何とか体力をつけさせたい両親は、負荷の大きすぎない運動をさせようと思ったのかもしれません。
(親の憧れだったかもしれませんがそこはわからない)


私は、母に連れられてバレエ教室に行きました。
3才か4才のころだったと思います。

運動ができない、身体の固い、見た目も可愛くない女の子でしたが、
美しいものは大好きでした。

教室でしなやかに踊るお姉さま方の姿は、素直に美しかった。
覚えていませんが、私もやりたい、と思ったのでしょう。


でも、実際に自分がやってみるとその差に愕然とするんです。
数年たっても、美しさのかけらもない踊りしかできず、
足の甲も出ず、筋肉もなかったので、
トゥシューズでまともに踊ることすらできませんでした。

もちろん、怒られてばかり。



ただ一つだけ褒められたことがあります。
「あなたは立ち姿がすごくきれいね」と。

スタイルだけはよかったんです。
手足だけは細くて長かったんです。
細くてしなやかな身体が求められるバレエの世界に適した、
身体的特徴だけは持っていました。

踊らずに、ポーズをとって立っていると、とても絵になったそうです。


あぁ、何も取り柄がなくても、細ければ褒めてもらえるんだ。
そう学びました。



向いていないことを悟ったので、
バレエは小学生のうちにやめてしまいましたが、
普段の生活でも、スタイルがいい人はうらやましがられます。

この小さな成功体験(?)が、
体重や見た目に執着する土台になりました。



バレエをやめても、毎日体重計に乗る生活は変わりませんでした。
思春期に入り、体重が増加してくると、その数値に一喜一憂しました。


高校で運動部に入り、食べる量が増え、筋肉がついていくと、
身長が変わらないのに体重だけが増え、焦りを感じました。

集合写真に写る自分の足が、誰よりも太く見えて、
それでも食欲を止められない自分に嫌悪感を抱いて。


高3で部活を引退して、受験勉強に力を入れるようになると、
ついた筋肉がどんどん脂肪に変わります。
ぶよぶよになっていく自分の身体を、すぐには受け入れられませんでした。


運動していないのに、同じようにご飯を食べているから太るんだ。

そう考え、学校から塾へ直接行くことで、夜ご飯を食べない生活をしていました。
でも、頭が回らなくなって。

諦めて、自分の身体から目をそらしました。
今は受験期。頭に糖分が必要だから仕方ない。
そう割り切ったのです。


そこから、食べる量はみるみる増えました。
糖分が必要だからとお菓子をジュースで流し込み、
朝・昼・夜の三食だけでは飽き足らず、
塾から帰って夜食を食べるようになりました。

受験のストレス。
そんな言葉で片づけることもできますが、過食気味であったことは確かです。


受験が終わったとき。
体重計に乗って驚きました。

見たことのない数字がそこに示されていたからです。


受験後に撮った大学の学生証の写真には、まん丸な顔の私が残されています。


それを見るたびに、痩せろと脅迫されるような気がして。
大学生になると、ダイエット生活が始まりました。



妹の存在と母の言葉


私が辞めてしまったバレエを、
妹は就職するまでずっと続けていました。

コンクールや舞台の前には、食事制限をして体重をコントロール。
母と妹の二人三脚を、私は蚊帳の外から見守っていました。


私が大学に慣れてきたころ。
夏休みで実家にいたときだったと思います。

当時高校生だった妹は、隠れてお菓子を食べていました。
私も知っていましたが、特に口を出したことはありません。
多少は食べたいだろうな、と思うから。

でもそのことに気づいた母は、ものすごく怒りました。

「そんなことしているから、あなたは痩せられない。
 痩せられないならやめてしまいなさい。
 私は付き合いきれない」


正しくはどんな言葉だったか、はっきりと覚えていません。
マウントだらけの世界で、母も娘を何とか守ろうと一生懸命だったのでしょう。

ただ、泣きじゃくる妹に向けられた言葉は、私に深く突き刺さりました。


痩せていなければ、母からはいらない子として見られてしまう。


ダイエットをしていた当時の私は、そう受け取りました。
自分の身体を見下ろすと、いつにも増して太く見えて。
これじゃ、ダメだ。



自分の中で体重の上限を決めて、
その数値を達成すべく行動に移しました。


お昼の時間に一人で勉強すると言って、友人とのランチを断り、
夜は友達と食べて帰ると言って、家での夕飯を断り。

摂取するカロリーをどんどん減らしていきました。


体重が減ってくると、大学に入って始めた化粧の効果も相まって、
「痩せて可愛くなった」「スタイルよくて羨ましい」と
友人に褒められることが増えました。

あぁ、この感覚。
どこかで昔の自分を思い出しながら、
やっぱり痩せていない自分に価値はないんだと心に刻み込んだのです。


自分が許せる体重の上限値はどんどん下がっていきました。
制御すればするほど、その反動が大きいことには気づかずに。



止まらない食欲


大学3年。
成人してお酒を飲めるようになったころ、体重が一気に減りました。

授業を受けて、実験レポートを書き、
友達や先輩と飲みに行って、カラオケでオール。
一度家に帰って身だしなみを整え、寝ることなく授業に出席する。

そんな生活を続けていたため、摂取カロリーより、消費カロリーのほうが多かったのでしょう。


まだ双極の診断を受ける前。
もしかするとこのとき、躁状態だったのかもしれません。



ただ、体重が大きく減ったことで自分の中のリミッターが外れました。

誰とも約束のない夜は、スーパーやコンビニで何袋もお菓子やパンを買い込んで、動画を眺めながら無心で食べていました。
今考えると、食べなかった反動というより、一人の寂しさを紛らわすためだったかもしれません。


食べている間、満腹感なんて感じることはありませんでした。
空になった残骸が部屋中に転がっているのを見て、
初めて食べた量に気づきます。


太ってしまう。
学生証の中の自分が、この状況を責めているような気がしました。

でも、後悔しても、もう遅い。


衝動的に、トイレに駆け込みました。

何とか吐いて出そうとしても出ません。
吐けないんです。
お酒を飲み過ぎたときでも吐けない人でした。


じゃあ、上からさらに食べ物を詰め込んで押し出してやればいい。
そんなバカな思考で、深夜の街に出て、
24時間営業のファミレスで朝まで食べ物を詰め込んで。

下剤を飲んでなんとか出すことで、体重を維持していました。
この時期はすごくおなかが張って、本当に苦しかったです。


この生活は研究室に入ると一旦収まりましたが、
今でも躁の時期には過食をしてしまう傾向にあります。



現在の心境


細い身体は正義。
その感覚は今でも変わりません。
体重計には毎日乗りますし、太ったと思えば節制もします。

ただ私は骨格がしっかりしているので、
痩せたところでそんなにきれいに見えるわけでもない。
骨が目立つ、その程度だということもわかってきました。


やせている子じゃないとダメ。
母がそんなことを思っていないということも、今では理解しています。
バレエをやめた妹が体重を増やしていっても、怒ったり貶したりしなかったのを、この目で見ていたから。


うつに伴って入院したときに、栄養指導もされました。
その後、体重の目標には上限値だけでなく下限値が追加されています。

〇〇kg~〇〇kgであれば問題ない。
何ならもう少し太ってもいいくらい。

自分も家族も病院も納得できる数値が決まるまでに、
少し悶着がありましたが、現在はその範囲で落ち着いているかなと。


体重への執着って、結構根深いものです。
ときどき襲ってくる拒食・過食の欲望とうまく付き合って、
いつか自分の身体を好きになれるときがくれば最高に嬉しいな。


百華


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