退役軍人のメンタルサポートから見た日本
「軍人」や「軍隊」にあまり馴染みがない日本。兵役を終え、新たな一歩を踏みだす元軍人と知り合う機会は多分あまりない。まして退役後、次の職に就くまでのサポート現場で、彼らに直接インタビューする機会はもっと少ない。人格障害、発達障害、重度の神経症の人たちのサポートを経験し、英国の退役軍人のメンタルサポート現場を知ったからこそわかったことがある。
退役軍人のメンタル
英国退役軍人の、リアルなキャリア支援現場を訪問する機会をいただいたのは、もう7年も前のこと。
その当時、PKO(国連平和維持活動)で自衛隊が他国に派遣されることはあっても、それがどういうことか詳しく知ろうとしなかったのは、戦後、軍隊をもたない日本で生まれ育ち、自分には関係ない世界のことだと思っていたからだろう。
それでも、精神障害や発達障害の人たちのサポート事業を行っていたこともあり、精神医学や臨床心理学、社会保障などに関する知識もあった。重度の人格障害や神経症、統合失調、複合的な発達障害の人たちをサポートした経験からも、紛争地、戦地での経験が人の心にどれほど大きく影響するのか、わかっているつもりでいた。
でも現実は…
もっと深く静かに、波紋が広がるように影響を及ぼしていくものであることと、紛争地や戦地に限らず、組織への従属、誰かに従属せざるえない状況が人の心と思考に、どれほど大きく影響するかを知ることになる。
退役軍人の Work/Life サポート
春先のイングランドでは珍しいほど爽やかな空のもと訪れた、退役軍人の Work/Lif をサポートする団体では、適職マッチングのようなイベントが開催されていた。
退役後のサポートは、政府としてもやるべきこととして、民間団体とも連携をはかっている。そのためイングランドだけでなく、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドそれぞれに、いくつかのサポート団体があり、各関係機関と連携しながら、ロジカルなプログラムに基づいた様々なサポートが行われている。
適職マッチングのようなイベントも、サポートの一つ。
職に就きたい元軍人と、雇用したい企業の担当者がたくさん集まっていて、会場はとても賑やか。
日本でよくある経営者層が集うビジネス交流会を、もっとラフにしたような印象を受けるのは、日本と違いカジュアルな服装の人が多いからかもしれない。ただ年齢層が幅広い。
ロンドンから離れた小さな街では、ただでさえ珍しい日本人。まして退役軍人のサポート団体を訪れる日本人は、ほぼいない。どこからどう見てもオリエンタルな女性が珍しいようで、露骨に嫌な表情をしたり、日本人に対する複雑な心情を話にくる人もなかにはいたが、ほとんどの人は穏やかで友好的で紳士的。次の職に就けず、 ※Benefits で生活している元軍人も少なくないという現実を、まるきり感じさせない空気感。
広く知られているように、軍には「陸」「海」「空」とあり、兵士だけでなく、メカニック、ロジスティック、医療部隊や管理部門など様々な職種がある。全ての人が戦地を経験するわけではない。だから ※PTSD などの精神疾患や、よほど重い身体の障害を負っていなければ専門的なスキルがあって、それほど次の職に困らないのではと思っていたが、そうではなかった。
思考停止の常態化
退役軍人のなかには高いスキルをもっていて、身体的にも精神的にも問題のない人は多い。にも関わらず、次の職に就きにくい、就いても長く続かないのだそうだ。その大きな要因が「思考停止の常態化」だと言う。
思考停止の常態化とは、いったいどういうことか。
それは文字通り、思考が停止していることが日常的になっている状態で、入隊前にはできていた、以下のようなことができなくっている場合が多い。
・疑問を抱く
・疑問に思ったことを調べる
・物事を深く考える
・多角的な視点で事象をとらえ考える
・客観的な視点でとらえる
・自分の考え、意見をもつ
・自分で判断、決断する
・相手の考え、意見を尊重する
英国を含む欧米諸国の多くでは、個人の意思や考えはあるべきものとしてとらえられ、尊重される社会全体の基盤がある。そのため、学校の授業でもあたりまえのようにディスカッションが行われ、自分の考えや意見を述べること、相手のそれらを認めたり尊重することを学ぶ機会が多い。
ところが入隊すると、軍の統率をはかるために、考えない感じないことを求められる。上官の命令は絶対だ。いわば、これまでとは真逆の環境と言える。それでも人は環境に適応し、良くも悪くも慣れてしまうものなので、入隊からしばらくすると、指示、命令で動く、考えない感じない、自分の意見をもたないことがあたりまえになる。そして退役後も、その状態は変わらない。
自分の考えも意見も持っていなければディスカッションすらできず、それでは次の職に就くことは難しい。職の選択肢も広がらない。
それだけでなく、人とのコミュニケーションにおいても影響を与えやすい。周りの感情を敏感に察知したり、顔色をうかがうことが習慣になっていることが多く、常に糸を張ったような緊張状態にあり精神的に疲れやすい。自分の感情を押し込めてしまうので、気づかないうちにストレスを抱え、些細なことでも怒りやすくなることも少なくない。そのため職に就いても長く続かない、家族や周りの人と上手くいかなくなるなど、生きづらさを感じるようなことが起こりやすい。
そして思考停止状態であるがゆえ、自分の状態に気づくことができず、整理しきれない思考と感情に不安とジレンマを覚え、自信を失い生きる希望さえなくしていく。思考停止の常態化は、そんな危険性を秘めている。
思考停止状態からの解放
訪問したサポート団体では、思考停止状態を解き自己を再確立するサポートプログラムが、元軍人のスペシャリストたちによって行われている。
心理学(特に応用心理学の分野であるコーチング心理学と、認知心理学)をベースにしたそのプログラムは、4つの段階を経て自己を再確立するというもの。自らの意思で退役後の人生を歩めるようにサポートするのだが、※ピアカウンセリング効果が期待できるグループセッション形式で進められる。セッションをまわすのは、このプログラムを卒業した元軍人。アルコール、ドラッグなどの、アディクション(依存症)回復プロセスとよく似ている。
※ピアカウンセリング
インドの編集者サニヤ・カーン氏の記事が、ピアカウンセリングについてわかりやすくまとめているので、詳しく知りたい方はリンクをクリック。
勘のいい人なら、この段階でピンとくる。
「思考停止」はアディクションと同じように、無意識のうちに、考える、決断するを他者に依存している状態に近いということ。
心の根を張るメンタルサポート
彼らを解放し自己を再確立する、退役軍人のサポートプラグラムには、必要不可欠な大事なことが二つある。
一つが思考停止状態からの解放
もう一つは心の根を張るということ
思考停止から解放され、目標を見つけたとしても、自分らしく生きようと思ったとしても、社会はそれほど甘くはない。葛藤も失敗も、何度となく繰り返し襲ってくる。そういった人生の波を乗り越えるには、心の根をしっかり張り、嵐がきても根こそぎ倒れることがないようにしなければいけない。だからこのプログラムでは、思考停止状態からの解放と、心の傷の回復、心の根を張ることに重きを置き、長い時間をかける。
もしかすると、日本人は心の根をしっかり張れていないのではないかと思うことが多い。その考えかたとノウハウは公開できないが、心の根とはどういうことかをいずれ別の記事にまとめようと思う。
2023年1月の外務省のサイトによると、イギリスの兵士の数は、陸軍約8.6万人、海軍・海兵隊約34万人、空軍約3.3万人、陸海空予備役約7.5万人。そのうちの多くは、前線で戦闘に加わる兵士なのかもしれない。従事する期間もそれぞれ異なり、どのくらいの軍人がこのサポートプログラムを必要とすることになるかはわからない。7年前に訪問した団体は、今も変わらずプログラムを行っているのだろうか。機会を見つけて渡英し、その後の彼ら、団体とサポートプログラムの今を追ってみたい。
※訪問先ではない支援団体のサイト
※ veterans 日本では熟練した人を指すことが多いベテランも、英米ともに退役軍人を指す
思考停止は無意識の従属
この数年、日本でも「思考停止」はよく耳にする。
それほどその状態にあると思われる人が増えているということだろう。
その状態にある人の多くは、恐らく自分では気づいていない。これまでの様々なことは、自分で考えた、自分で選んだ、自分で決めたと思っているだろうが、果たして本当にそうなのだろうかと疑問を抱かずにはいられない。
多かれ少なかれ、人は他者の影響を受けて生きている。
今受けている影響は、自分にとって社会にとって本当にいいのだろうか。溢れ続ける情報のなかから、聞こえてくること目にすることは真実なのだろうか。思いこんでいるだけなのではないだろうか。
周囲と合わせる、空気を読む、和を乱さないことが美徳であるかのように教えられてきたが、いつしかそれに縛られすぎて、おかしい、変だ、何かが違うと思っても、言わないことがあたりまえになっていないだろうか。
それは無意識の従属とも言える。
無意識の従属は、実はとても楽。
なにしろ全て他人のせい、社会のせいにできるから。
時代が大きく動き始めた今
どんな時代も、どんな状況も、自分で考え行動し強く生きるには、従属から解放され、心の根を張る必要がある。ただ残念ながら、多くの日本人は心の根を張るための大事なことを忘れてしまっている。少なくとも、イングランドで出会った人たちは、その大事なものを強くもっていた。
どうすれば思い出すのだろう。
どうすれば、その大事なものを次に繋いでいけるのか。
まだまだ考えなければいけないことがたくさんある。