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【創作】上手さより、人間の総合力が大事!?

「上手い」より「感動」が勝つ。

これは文芸評論家・豊崎由美の
言葉らしい。
今日、あるライターさんから
教えてもらいました。

作品の魅力として、
上手い作品はままあります。
その時は良く感じるけれど、
上手いだけの作品は、
小説であれ、エッセイであれ、
すぐに忘れていってしまう。
右から左へ流してしまう。

もちろん、下手な作品よりは
ずっっっと良い。

ただ、世の中に発売される
クオリティーの本や記事なら
下手なことはない。
大抵は、上手く書けてある。

でも、上手いだけの作品を
そもそも私たちは求めているだろうか。
いや、やはりせっかくなら
感動したい。胸を打たれたい。

そんな文章を書けるためには、 
ただ誰かから学べる類いの話ではない。
結局は、書く人が一人一人、
自分のやり方で身に付けるしかない。

最近、よくそんな風に感じるんです。
万民に共通する秘訣なんてない。

メンタルのスタイル、 
慎ましさの度合い、
自己アピールの度合い、
などなどの積み重ねであるから。
それは誰かに、
教えられるシロモノではない。

たとえば、
近年、人気が上昇中の男性作家で、
燃え殻さんと  
カツセマサヒコさんがいます。
サブカルチャーの気配もあり、
SNSでの人気からデビューに至った
という意味ではよく似ている2人だ。
傍から見てるだけでは。

でも、燃え殻さんは
どこか自分をそんなに
立派に捉えていない気配がする。
テレビの裏方で働きながら、
うまく生きられない自分や他人の
可笑しくも悲しい洞察力が絶妙な人。
どこか燃え殻流のダンディズムを
感じてしまう。
そこがいい。

一方で、
カツセマサヒコさんは
確か、最近4冊目の小説を書いて
絶賛発売中だ。今、まさに有望の
作家の一人なのは間違いない。
カツセさんは超イケメンだ。
そうして、ツイッター王子の頃から
文章も上手かった。
ただ、まだ上手いだけに見える。 
そして「僕の本、うまいでしょ?」と
みずからを立派なものと  
捉えている気配がする。

あくまで私の主観ですよ。

そういえば、向田邦子さんも、
上手かった。
上手くて、でも、底は浅かった。
そうした人を、今は
あざとい、といいますね。

それなら、三浦しをんの
エッセイはどうか?
上手い。で、あざとくはない。

自分はどれくらいの人物か?
どれくらいのウツワか?を
どれだけ深く自覚しているか?の
微妙にして絶妙な差が
それを決めるらしい。
どんな人であるかは、
作家養成講座では絶対に習わない
ことだから、これだけは
自分自身でよく考えるしかない。

それにしても、
人のメンタルの微妙なちがいで、
ちょっと嫌味な感じが漂うか? 
あまり漂わないか?の差を
生んでしまう。
こればかりは、誰かから
学ぶものではない。

だけど、今わたしが書いたことも、
しょせんは、ある一つの観点から見た 
差異に過ぎません。

結局は、その書き手の
ウツワの大きさや
あざとさ、アピール力、
自己認識の慎ましさの総合力であり、
読者がまたどんな作品を読みたいのか?
にもよるんですよね。

それに、上手いだけ、
今風にいえば、あざとさは、
今や悪いものではないんですよね。
あざとさは人懐っこさの裏返しであり、 
むしろ、あざとい小説に
感動することだってある。

なんなら、森鴎外の短編作品には  
いくらか、あざとさを感じるのは
事実ですし、
戦前や戦中の私小説もまた、
狙って自己憐憫を書いてるのだから、
あざといと言えばあざとい。

というような話をすれば
きりがなくなってきました。

この世には、
上手い作品、上手いだけの作品もあれば、
上手さを超えて読んだ人を感動させる
作品もある。

どんな風に書いていたら
立派な作家になれるのか?
という要諦は、いくら他人から
指南を受けても、実にはならない。
ただ、それだけは確からしい。

ああ、今日は久しぶりに(笑)
書いてみたいことを書けた気がする。
ちょっぴり満足です(笑)。

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