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【自己紹介】生きる実感を何よりくれたのは読書でした。

青春は辛く苦く、私は読書に逃げました。
時代は1980年から90年代の東京。
私がまだ大学生だった頃。
周りには、頭でっかちの才人がいっぱいで、
田舎もんにはカルチャーショックでした。
遊ぶ人はとことん遊び、
勉強する人はとことん勉強し、
作家や俳優を目指す人は
ひたすら自分の夢を目指してました。
現代フランス思想を学んだり、
柄谷行人や蓮實重彦や中沢新一ら
スターみたいな学者の本の話をしたり、
(まだ蓮實重彦も若手だったんです、笑)
ニューエイジ?ニューサイエンス?
不思議なスピリチュアル思想も
流行っていました。
新しい宗教に向かう人もいました。

それから、80年代に台頭し始めた
オタクの人々の熱量は半端なく、
アニメ映画やミステリーや漫画が
花開いていていました。

みんな、どれも眩しかったです。
みんな、我よりも偉く見えました。
ただ、私はどれにも居場所感を
持てなかったんです。
みんな理論武装が凄くて、
私には付け入る隙はありません。
どこへ行っても借りてきた猫でした。

私は悩みました。
生きている実感がいちばん
高まるのは、どんな時だろう?
アニメ映画に耽る時?
フランス思想を語る時?
新しい宗教を語る時?
うーん、なんだか、どれも
専門用語がいっぱいで、
今、私が生きていることに
直接ダイレクトにビビッドには
響いては来なかった…。
どれもそのジャンルの「専門家」に
ならなければならないような
内輪感を感じていたからでしょう。

さあ、そこでいちばん私を
心の底からフィットしたのが、
文学、小説の読書でした。
本を読んでる時は居場所を
見つけられた安心感がありました。

読書には、専門用語は要りません。
今生きている私と同じように
未成熟で悩み、歩き、夢見ている
そんな人間がずっと書いてある。
なんて、ダイレクトに心に届くんだろう?

どこへ行っても、どこかに必ず
ズレや違和感を感じてきた私が
やっと見つけた居場所でした。

大江健三郎『個人的な体験』『飼育』
開高健『輝ける闇』『見た揺れた笑われた』
宮本輝『海岸列車』『錦繍』
高野悦子『二十歳の原点』
小林秀雄『近代絵画』
沢木耕太郎『バーボンストリート』
リチャードバック『イリュージョン』
村上春樹『ノルウェイの森』
『ダンスダンスダンス』などなど。

小説はリアルに生きている実感を
私にくれたんですね。

もちろん、それは人によって、
音楽だったり、演劇だったり、
ボランティアだったり、
カメラだったり、
人はみんな、自分がいちばん
落ち着ける何かがあるんですよね。

そんな「文学青年」も
今や、51歳の文学中年?いや文学老人か。
でも、心のあり様は昔と何ら変わってない。
だから、文学と親しんでる時は、
年齢さえ忘れてしまいます(笑)。

文学はもう終わってるとか、
色褪せた分野だと言われますが、
一生涯、私を助けてくれる
ジャンルなら、ずっとこの道を
まっすぐ歩いて行こうと思います。



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