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労働の拒否と、怠惰の礼賛
20240416
この社会で生きていくのならば、
この社会のルールに則って生きていくのが定め
働かぬものは食うべからずは、
労働 or 餓死の選択の強制
私は望んでこの世界に来たわけではないけど、せっかくこの世界に来たんだから、
喜びも悲しみも全部背負って生きていく
出生というスタートは自分の意思じゃないのは仕方がないとしても
死没というゴールは自分の意思であってもいいような気がする
今は、スタートもゴールも、自分の意思ではない場合が、ほとんどである
自分の意思だとすれば自殺くらいだ
それがこの社会のルールだとしても、
ゴールくらい自分で決めていい気がしてならない
自殺じゃなくて安楽死のようなかたちで
なんかもう俺の人生やり切ったな感があるから
俺は俺のためにしか生きられない
誰かのために生きられないから
自分のためには充分生きたから
自分の意思でゴールを決めても、いいよな
でも、別に積極的に死にたいわけじゃないんだよな
ペシミズム ( 悲観主義 )の シオランが言葉をくれる
『怠惰な人間:個人・社会の維持及び再生産に対して気が乗らない人間』
今は、私は、怠惰な人間である
『労働の拒否と、怠惰の礼賛』
うん、そんな感じ、今は、ダラダラしたい
『人生が余生になるとは、それはいつ終わりを迎えても構わないものになる。まだ終わりは来ていないが、いつ来てもいい。』
たくさんがんばってきたし、
親孝行もたくさんしたし、
余生でよくないかなー
もう、がんばらなくて、過ごしたい
小さな頃から、一生懸命に勉強がんばってきたし、大学にも入ったし、結婚も離婚もしたし、子ども作ったし、仕事もがんばって金もたくさん稼いできたし、夢叶えたし、結婚も離婚もしたし
人の一生分くらいは、がんばった
できたこともできなかったこともあるけれど
自分でがんばったって誇れるくらいはがんばった
がんばれっていう圧力から、
がんばらなけれならないという意識から
もっとがんばらなければならないという洗脳から
解放されたい
がんばっても、がんばっても、がんばっても、ゴールなんてないじゃないか
いつまで、がんばり続ければいいか、わからない
がんばらないということ、
それが、労働の拒否で、怠惰の礼賛だ、そして、余生だ
余った人生くらいに、もうがんばらずに、ゆっくり生きたい
生き急いで生きてきたから、
もう、人の一生分くらいいろんな体験をしてきた
楽しいことも、
悲しいことも、
嬉しいことも、
辛いことも
もうお腹いっぱい、人生長すぎ
人生長すぎ問題
生物としての役割を次世代へ生命の伝達とすれば、生殖不能になれば、その役割を降ろす
そして、私は、その役割を降ろした
余生を穏やかに過ごしたい
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