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【本要約】史上最強の哲学入門 〜 東洋の鉄人たち
2022/3/11
真理
刃牙で、最凶死刑囚たちは「 敗北を知りたい 」と言った。
東洋哲学者たちは「 我は真理を悟った 」と言った。
東洋哲学社会が、西洋哲学社会のソクラテスと出会ったら、
ソクラテスは「 無知を自覚しなさい 」( 無知の知 ) と言い、
東洋哲学者は「 無知を知りたい 」( 悟って真理がわかってしまった ) と言う。
釈迦は、史上最強の境地を求めて、出家した。
東洋哲学の真髄
西洋の哲学者たちが2500年以上もの間、真理を目指して苦闘を続け、それでも、まだなお「 真理に到達できない 」というのに、東洋の哲学者たちは、それをあっさりと「 真理に到達した 」と言い放つ。
東洋哲学を理解することは不可能である。
・西洋哲学は、難解ではあるが「 理解が難しい 」のであって不可能ではない。西洋哲学は基本的に論理によって作られた体系であるからだ。
・東洋哲学は、学ぶことでは、決して理解に達することができない。
西洋哲学
西洋哲学は、無知を前提とする。
・今生きているこの世界とはいったい何なのか?
・絶対的に正しいものは存在するのか?西洋哲学者は、無知を自覚することで、絶対にいつか真理に到達するために、考え尽くす。
その思索の結果、西洋哲学がある。西洋哲学は、真理に辿り付かないので、真理到達を後世に託す。
一方で、後世の人間は、先人の哲学を徹底的に破壊する。そうやって、より強い哲学を生み出していく。
階段式の積み上げていく方式である。
西洋哲学は無知を前提として、無知を自覚して、真理の到達を階段式に目指す。
東洋哲学
東洋哲学者は、無知を前提にしない。
「 我は真理を知りえたり。悟った。究極に達した。」と宣うのだ。東洋哲学は、真理というゴールを目指すのではなく、ゴールしたところからスタートするのである。
後世の人間は、自分たちの解釈の体系を発展させていく。
そうやって、学問としてまとめあげる。偉大な東洋哲学者は、言葉少なく、明確な根拠も、論理的な思考過程も示すことはない。
だから、後世の人々は、その少ない情報から個々人で、様々な解釈を与えていく、解釈は無限に増殖していく。
ピラミッドの頂点から始まる方式である。
東洋哲学は無知を前提とせず、「 真理を悟った 」というゴールから、ピラミッドの頂点から、真理を解釈していく。
ヤージュニャヴァルキヤ「 梵我一如 」
東洋哲学の源流は、インドから始まる。アーリア人が、インドを制圧して、インド人の祖先となる。あらゆる古代の民族が自然現象の中に神の姿を見たように、アーリア人も、雷の神様、水の神様といった神々を作り出した。その神々の神話が、ヴェーダという聖典である。
アーリア人は、人間を祭司・王族・庶民・奴隷の階級に分ける身分制度をつくり、自らを祭司 ( バラモン ) として、支配した。
アーリア人は、自分たちに都合の良い物語を、ヴェーダに追加し、自分たちの権力を強固なものにした。
バラモンを頂点とした権威体制は、後のバラモン教という宗教へと発展していった。
特権階級は、働かなくても裕福な生活ができるので、いろいろ考える、哲学の事始めである。この傾向は西洋でも同様であり、英語の『 school 』は、古代ギリシャ語での『 schole ( 暇 ) 』が、語源である。
西洋では、最初の哲学として「 世界の根源は何か?」「 絶対的に正しいことは何か?」といったことを考えた。西洋は「 人間の外側にある何か 」について考えた。
東洋では「 自己という人間の内側にある何か 」について考えた。
東洋と西洋では、関心のベクトルが全く反対であった。
人間の外側に関心が高かった西洋では、アリストテレスという万学の祖が現れ、科学をはじめとする世界 ( 外側 ) を把握して、制御するための知識や技術の体系が発達していった。
東洋では、ヤージュニャヴァルキアという哲学者が、梵我一如を唱えた。
梵我一如
世界を成り立たせている原理 ( 梵 = ブラフマン ) と個人を成り立たせている原理 ( 我 = アートマン )は同一のもの ( 一如 )
アートマン ( 我・自己・私 ) の正体が、ブラフマン ( 梵・世界の根本原理 ) と同一であることを知った人間は、すべての苦悩から解放され、究極の真理に到達する。
① アートマンは、捉えることができない。
② なぜなら、捉えようがないからである。
③ 認識するものを認識できない。
④ アートマンを認識できない、アートマンは捉えられない。
アートマン = 私とは、いったい何だろう?
私の本質を捉える手順として、
「 私が存在する 」ために絶対必要な条件とは何だろう。
という問いを考える。
社会的地位でもない、性質や個性でもない、肉体でもない。脳か?
脳が破壊されれば、私は今ここから消え去りそうである。
しかし、哲学的に、私の存在条件下を考えると「 脳があれば、私は存在する 」とは導かれない。
脳とは、脳細胞 ( ニューロン ) の集まりであり、その脳細胞が信号のやりとりをして、情報処理を行う機械である。
この脳という情報処理機械が私の正体なのか?
① 脳がどうやって " 私 " という意識体験を生み出しているのか、その仕組みが未だ不明である。
" 私 " という意識現象を生み出しているのは、実は「 脳ではない 」という可能性を否定できない。「 魂みたいな未知の何か 」があって、それが脳に宿っているときだけ、意識現象が起きているかもしれない。
② 今、私たちが生きている現実世界は、実は、夢かもしれない。
もしかしたら、自分が、今、見ているこの世界は、実は別の世界で「 水槽の中に入れられている脳 」が、機械によって見せられている夢なのかもしれない。
③ 脳という存在が「 私の本質である 」とは断言できない。
私が存在するための絶対必要な条件は、痛みを感じたり、色を見たりするような意識現象があることである。
「 私が在る 」と言えるのは、「 私が何らかの知覚を伴う意識現象がある 」ときだけである。
身体が存続しようが、脳が存続しようが、それ以前に「 意識現象がない 」とするならば、もはや、 " 私 " という存在は成立しない。
意識現象さえあるならば、身体や脳の状態に関わらず、" 私 " という存在が成立する。
ヤージュニャヴァルキアの思想
① アートマン " 私 " とは、認識する者である。
② " 私 " という存在の本質を、脳でも、身体でも、思考などの精神的な活動でもなく、" 知覚して認識すること自体 " である。
③ そして、認識する者は認識できない。
サルトル『 存在と無 』
私たちは「 意識についての意識 」を受け入れられない。
① 意識を認識するためには、認識の特徴である、主観と客観の二元性が、意識の中になければならない。
② 私たちが [ 認識する者 ] と{ 認識される者 } という対立を受け入れるためには、第三者が必要になる。
③ どちらも矛盾を内包していて、無限遡行を避けられない。
自分が [ 認識すると言っている存在 ] において、自分が確認できるのは { 認識される存在 } である。
[ 認識する者 = 自分 ] は、存在するのではない。
[ 認識する者 = 自分 ] は、捉えられない。自分が認識できるのは他者であり、自分は自分を認識できない。
自分は、自分を認識し得ないのだから、[ 他者ではない ] としか表現できないのだ。
ヤージュニャヴァルキアとサルトルの意見は一致した。
「 哲学的には『 私は他者でない 』というのが真理なのに、日常的には『 私は自分である 』と考えている 」という間違った思い込みが、この世のあらゆる不幸を生み出す原因になっていると古代インドでは説く。
①「 身体を傷付けられて『 痛み 』という感覚を認識する 」ということはありうる。
② だが、私が傷付けられて痛むことはあり得ない。
③ その痛みを認識している者が、私だからだ。
どんなに破壊的な映画であっても、観客自体を破壊できないように、どんな痛みがあっても、それを認識するもの ( 私 ) 自体が、傷付くことはない。
自己とは、鑑賞者 ( 観客 ) であって、決して鑑賞物 ( 踊り子 ) と同一のモノではない。そして、どんな鑑賞物が現れようが、鑑賞者を破壊することはできない。
この事実に気付いた瞬間、この世のあらゆる不幸は消え去り、自己は無敵の存在となる。
釈迦 「 無我 」
私は存在しない。
釈迦が、老病死の苦と人生の儚さを思い知り、それを乗り越える方法を求めて出家した。
その当時のインドは史上空前の哲学ブームであり「 すべての不幸から解脱するための境地を会得しよう 」と出家して修行僧になるのが流行っていた。そして「 老病死の苦しみという不幸を克服したい 」というのは、出家する人の定番の動機だった
そして、実は、当時、死を克服する境地は存在していた。釈迦が突然、菩提樹の下で悟り、その境地を発明したわけではない。人類は既にその境地に達していた。そういう意味においては、釈迦は決してオリジナルの存在ではないし、突如インドに舞い降りて、すべての真理を悟った、神のような存在ではない。釈迦は、古代インドの伝統を踏まえた上で存在している、ひとりの人間であった。
あらゆる苦しみを克服する境地は論理的で合理的であった
① 私とは認識するもの ( 認識主体 ) である。
② 私は認識の対象物となることがない ( 認識する者を認識することはできないから )。
③ 私は決して害されることはない。
知識として知っただけでは、ホントウにわかったことにはならない。
「 ああ、そうか!そういうことか!わかったぞ!」という強烈な体験や実感が伴ってはじめて「 ホントウにわかった 」と考える。そして、この「 体験的にホントウにわかった 」を他と区別して「 悟った 」という。
知識としての知と、悟る知は、天地ほどの差がある。
「 ホントウに悟ったかどうか 」は「 苦行に耐えられるか 」で判断できるとされていた。
釈迦は苦行を続けても悟りに至らず、苦行を捨て、中道を歩む。
中道とは「 悟りと苦行には何の因果関係もない 」ということだ。
釈迦は苦行を否定し「 中道こそ悟りの道に通じる 」と主張して、インド哲学に革命を起こした。
そして、釈迦は菩提樹の下で、自己の本質を悟る。
四諦:4つの真理
・苦諦:人生は苦しみだらけだけど
・集諦:人生の苦しみには執着という原因があって
・滅諦:執着をなくせば、苦しみを消すことができる
・道諦:苦しみが消える境地に至るための道 ( 方法 ) がある
八正道
道諦の実践
釈迦の哲学の核心
「 私は存在しない 」という無我の境地である。
これは、古代インド哲学を崩壊させる革命であった。
ヤージュニャヴァルキヤのミスは「 大衆というものは必ず誤った理解をする 」ということを理解していなかった。
ヤージュニャヴァルキヤは、「 決して捉えることができない私の本質 」を「 アートマン 」という言葉で定義したが、大衆は「 私 = アートマン 」という言葉を意識するあまり「 私 = アートマン 」を概念化してしまった。対象にできないものが「 私 = アートマン 」の本質なのだから、概念として表現できない。概念として表現された「 私 」は、明らかに認識の対象物であり、認識そのものではない。
釈迦の偉業は「 私 = アートマン 」という概念の破壊である。
龍樹「 空の哲学 」
空
すべては空である。
釈迦が悟った縁起
あらゆるものは、必ず何らかの縁によって起こって生滅を続けており、永遠普遍のものとしては存在しない
龍樹は、縁起を発展させて、空の哲学を作り出した。
どのような物事や現象であろうと、それは、単独で存在できるものではなく、たくさんの「 縁 ( 間接的原因 ) 」の絡み合いによって起こり、浮かんでは消えていく、実体のないものである。
龍樹の空の哲学
あらゆる物事や現象は相互の関係性によって成り立っており、確固たる実体として、そこに存在している訳ではない。
物質:空間上の静的なもの
事象:時間軸上の動的なもの
この宇宙にある物質は、相互作用しかない。
「 あるものが別の物に、一方的に影響を与える 」という事象は決して起こり得ない。
私たちは事象を原因と結果に分けて捉え、[ 原因 → 結果 ] という関係性を絶対的なモノとして捉える。しかし、原因は見る側の主観で変えられるのだから、原因はただの思い込みの産物に過ぎない。私たちが日常的に使っている原因という言葉の正体は、個人の思い込みに過ぎず、原因という自明で確固たる何かが、そこに存在している訳ではない。
物質や事象は、私たち個人個人の思い込みによって、そう見えているだけである。
私たちが「 存在している 」と認識しているものはすべて、私たち自身が存在するように「 区別 」しているからこそ、そういうふうに存在しているのであり、決して「 そういうもの ( 実体 ) があるから存在している 」のではない。
逆に言い換えると、そういう実体のないもの ( 区別のための境界線を引いたことで現れただけのもの ) こそが、私たちにとって「 存在するもの 」なのだ。
実体があるから、存在しているのではなく、自分が区別しているから、存在している。
色即是空、空即是色
色これすなわち空であり、空これすなわち色である。
存在には実体はなく、その実体がないものこそが、存在の正体なのである。
物事は、みな空で、実体のない儚いものであるから、執着しても何の意味もない。
釈迦は、この真理を悟って執着から離れ、すべての苦しみを克服した。
人が何らかの価値基準 ( 人それぞれの勝手な区切り方 ) に照らし合わせてない限り、この世界に「 長いもの 」「 短いもの 」といったものは、存在し得ない。
絶対的に長いとか、短いとかいうことはあり得ない。この世界に、人間が自分しか存在しなかったら、自分が、イケメンなのか、かわいいのか、身長が高いのか低いのか、太っているのか痩せているのか、わからない。比較することでしか、わからない。というか、人間が自分しかいなかったら、自分と犬や猫を同じ生き物として認識するだろう、木や水と違うとして。いろんな人間がいるから、いろんな人間と比較して、自分のことがわかるだけだ。人間がいなかったら、自分が人間ということすらわからない、動物の仲間でしかない。
BY 湯浅
この空 ( 実体がない ) の世界においては、色はなく、感じること、想うこと、判断すること、意識すること、これらの精神作用もない。
空だ = 実体がない
空 → だから、ない ( 存在しない )
龍樹は、般若心経ですべてをないものとして、否定した。
目も、耳も、鼻も、舌も、身体も、意識もない
それらが感知する色も、音も、匂いも、味も、感触も、意識の対象もない
目で見た世界から、意識で想われた世界まで、そのすべてがない。
「『 人生は苦である 』という真理 ( 苦諦 ) も無い
『 苦の原因は煩悩である 』という真理 ( 集諦 ) も無い
『 煩悩を無くせば苦が消滅する 』という真理 ( 滅諦 ) も無い
『 煩悩を無くす道 ( 修行法 = 八正道 ) がある 』という真理 ( 道諦 ) も無い 」
知ることもなく、得るものもない、もともと得るということがない。
物質、世界、感覚、意識、仏教、釈迦の悟り、そのすべてを破壊し、否定し尽くした。
何もないという「 智慧の修行 」を実践することで、悟りの境地に達することができる。
理解
「 物事を学び、理解する 」というやり方には、2つの方法がある。
・分別智
・無分別智
分別智
既存の知識を組み合わせて、どんどん新しい知識を増やしていくというやり方である。
足し算と繰り返しという知識から、掛け算 ( 足し算の繰り返し ) という新しい知識を理解することができる。
掛け算と逆転という知識から、割り算 ( 掛け算の逆 ) という新しい知識を理解することができる。
そして、足す、掛けるといった演算の知識の組み合わせることで、方程式という新しい知識を理解することができる。
こんな風に、新しく得た知識を使って、さらなる知識を得ていくという方法、これが私たちが日常的に行っている理解のやり方である。この理解の仕方を 分別智 という。
知識の組み合わせという表現にあるように、知識とは言葉の集合である。
どんな知識であろうと、それは必ず、何らかの言葉が言語表現によって結び付いた文として表現することができる。
「 知識を組み合わせて、新しい知識を得る 」とは「 言葉を組み合わせて、新しい言葉を作り出す 」という行為である。
行くことから離れて行く者はありえない。
もし、行くものが行くとしたら、ふたつの行くがあることになる。
「 行く者の行く 」と「 行くことの行く 」である。
中論
行くを歩くに変換する。
実際には「 歩く者 」がそこにいる ( 実体 ) のであって、決して「 歩く 」という何かが、実体を持ってそこに存在しているわけではない。私たちは「 歩く者 」から「 歩く 」を言葉として切り離し「 歩く 」という普遍的な事象があるように語る。
「 歩く者 」は、実体であって、「 歩く 」は、実体がない、概念である。
すべての言葉は、世界にあるモノ ( 実体 ) を指し示しているのではなく、ホントウは、何らかの価値基準に従って世界に引いた区別のための境界線を指し示している。
言葉とは、「 区別 」「 境界線 」そのものである。
「 言葉を組み合わせて、新しい言葉を得る 」とは「 区別を組み合わせて、新しい区別を作り出す 」という行為である。
区別の体系によって物事を把握することが分別智である。
科学も数学も哲学も、言葉 ( 区別のために付けられた記号 ) の組合せとして記述されるので、分別智というカテゴリに属する。
「 考える 」という行為も、言葉の組み合わせの範囲でしかできないのだから、分別智である。
人間の知的活動は、分別智である。
無分別智
人間には、分別智以外の理解の仕方があるはずだ。
最初の言葉はどこからきたのか?
赤ちゃんは、一切、言葉を持たずに、この世界にやってきた。
考えることで ( 言葉を組み合わせた知的活動を行うことで )、物事を理解するわけにはいかない。
赤ちゃんは、言葉を持たないゼロの状態から、言葉や物事を理解しなければならない。
何ひとつ言葉を用いずとも、世界を理解できる別のやり方がある。
別のやり方が、般若心経において、般若 ( 智慧 ) と呼ばれるものである。
言葉を用いない理解のやり方なので 無分別智 という。
無分別智は、言語化しないで物事を直感的に理解することである。
釈迦が悟った真理とは、無分別智でしか理解できない。
無分別智の境地に到達するには、分別をやめる。無分別智は、赤ちゃんのときは持っていたのだから、分別をやめて、分別智を放棄して、究極の無知に戻りさえすれば、必ず、原初の理解力である無分別智が、再び現れるはずだ。
分別をやめるためには、今まで分別してきたことの否定という方法が効果的だ。
だからこそ、般若心経は「 すべてをない 」と否定する。
すべてのものを否定しても、私と他者の区別に行き着く。
・私と他者
・自己と世界
・私と私でないもの
私たち人類が最初に行った最も原始的な、はじまりの分別である。
①「 私 」という分別は「 ない 」という方法では、到達できない。
② すべてのものを「 ない 」と否定したとしても、 その「 ない 」を否定している「 私はある 」となるからだ。
③ 自己の存在を疑っても、疑っている自己の存在は、決して疑うことはできない。
④ 私が、私として存在するための区別、私と私でないモノの境界線である。
この先に、悟りがある。
区別をやめ、思考を停止し、ただ、黙って純粋な意識 ( 観客 ) としてあり続けていると、いつしか、何もかもが溶け合って、他者も自己もなく、すべてがひとつに感じられる瞬間がやってくる。それは、決して「 素晴らしい恍惚とした体験として起こる 」とは限らない。
「 すべての分別が壊れ、全てが溶け合う 」というのは、即ち、自我の崩壊である。
一滴の雫が、大海に落ち、溶けて消えて行くような体験である。死の体験である。
・私と世界を分割していたモノが消滅したとき
・自己と他者の区切りが消え失せたとき
・世界が私となったとき
すべての境界線がなくなったとき
私が境界線を認識できなくなったとき
私が私を認識できなくなったとき
BY 湯浅
そんな境地とは、私にとっては、死という概念以外の何ものでもない。
世界がひとつになり、他者との区別において切り出された私というモノは、存在しない。
私は存在しない。
仏教とは、釈迦の哲学を知識として伝えるための教団なのではない。仏教とは、釈迦、そして、古代インドの哲人たちが到達した「 あの境地 」を、みんなにも体験させようと、その方法を何千年も研鑽し続けた学徒の集団なのである。
中国の歴史
封建制度
・「 国土を分割し、それぞれの土地を有力な貴族たちに管理させる 」という支配のやり方のことだ。
・地方は地方で自治をさせて、王は中央政権として、各地方を支配する。
・封建制度は、ピラミッド構造であるから、明確な上下関係・身分制度が必要になる。
・人間一人一人に、身分を設定し、階級社会によって秩序を維持した。
当時の人々は、天という名の神様を信仰していたので、王は、自らを天の使いとし、「 天から命を受けて地上を支配している 」とした。
王は、ただの王様ではなく、天の意思を代弁する天からの使い = 天子である、という権威付けを行ったのである。
地方貴族たちの先祖の霊を祀る儀式は、王しかできない。
「 王が儀式をしないと先祖が安らかに眠れない 」とした。
これらの政策によって、王を敬わないと「 天が怒り、先祖の霊が祟られる」という迷信が普及した。
地方貴族たちは、王には逆らえないが、地位と名誉と権力の欲望は消えない。
地方貴族たちは互いに争い始める、群雄割拠の戦国時代、春秋戦国時代が始まった。
貴族たちは、戦国時代に国を強くするために、自分たちの国の頭脳となる優秀な人材を求めはじめる。貴族の血筋ではない平民が、自分の能力次第で、貴族から先生と崇められる存在になれるチャンスが訪れた。空前の学問ブームが巻き起こり、孔子・墨子・孟子といった先生が爆誕する。( 子は先生の意 )
子の学問を中心とした「 家 」と呼ばれる思想の派閥ができあがっていく、諸子百家である。
孔子「 仁・礼 」
世界四大聖人のひとりとして、イエス・釈迦・ソクラテスと並び称される。
祈祷や葬儀などの祭祀儀礼を職業として行う集団のことを儒と言っていた。孔子はこの儒の中で育ったため、祭祀儀礼に精通するようになった。
当時は「 天という超自然的な存在によって王が選ばれる 」とされていた時代だったので、国家においても、祭祀や儀式が重要になる。祭祀儀礼に精通する人材が重宝された。
孔子の思想
仁・礼
思いやりの気持ちを大切にして、礼儀正しく生きましょう。
孔子の述べることは「 そういう考えもあったのか!」「 うわぁ、深いなあ!」といった類ではない。「 そりゃそうだけど、現実には、なかなか、実践できないでしょ 」というような、単純な道徳や正論である。
孔子は歴史を紐解き、治水工事に精を尽くした「 堯・舜・禹 」の三王の時代が、国家の理想と定義して「 そこに立ち戻るべきだ 」という強い信念を持っていた。国家の歴史は、仁を持った人間が自然と王となり、そういった人を中心に国家が運営されてきた。
地位・名声・権力を求めて、血で血で争う戦国時代に、いくら、孔子が、自分の信じる仁の精神を説いても、聞き入れられなかった。孔子は高い役職について「 自らの思想を王に実践させる 」という野望を達成することはできなかった。孔子の理想国家は幻に終わり、その生涯をほとんど不遇のまま過ごした。
【 孔子の存在や死についての思想 】
いまだ人に仕えることも満足にできないのに、どうして鬼神に仕えることができるだろうか?
まだ「 生きるということ 」がどういうことかもわかっていないのに、どうして「 死ぬということ 」がわかるだろうか?
墨子「 兼愛 」
自身を愛するように他人を愛しなさい。
墨子は、中国戦国時代の思想家であり、当時の思想界を儒家と二分した墨家の始祖である。
墨子は、儒学を学んでいた。
「 仁は、親子の情であり、身内だけを大事にする。それは『 身内以外はどうなってもいい 』ということの裏返しである。愛すべき対象を選別している。その偏愛こそが、戦争の原因である。」という考えに至った。
墨子
・自己と他者を区別せずに愛しなさい。自分を愛するかのように、他者を愛しなさい。
・自国と他国を同一視すれば、戦争はなくなる。だから、他者を愛しなさい。
兼 ( ひろ ) く愛する = 兼愛という思想が誕生した。
墨家は兼愛の思想を掲げているだけではなかった。侵略されて攻められている国があれば、そこへ行って傭兵となって戦った。墨家は、国家・民族・思想・宗教のために戦うのではなく、弱き者を守るために戦った。
儒学の命の選別を否定する思想から生まれたのが、墨子の兼愛である。
孟子「 性善説 」
人間が本来「 善 」であるならば、なぜ、戦乱の世の中になっているのだろうか?
それは、人を使う側の問題だ。支配する側が仁の政治を行わないからだ。
孟子は、性善説によって、支配者たちを非難した。
国家の中で、人民が最も重要であり、土地と穀物の神が、これに次ぎ、君主は軽い。
紀元前300年頃の思想である。
孟子は、孔子の仁の教えを受け継ぎ、仁を完成させた。
荀子「 性悪説 」
荀子は、孔子の礼の教えを受け継ぎ、礼を完成させた。
天と政治は何も関係がない、王がきちんと政治をしないと不幸になるだけだ。
当時は「 天が人間の行為に感応して禍福をもたらす 」と信じられていた。
荀子は「 そんなものは迷信で自然現象である 」と主張したのだ。
孟子は仁の政治を王に求める理想主義者であったが、荀子は現実主義者であった。
人間の本性は悪である。人間は生まれつき利益を好む心がある。だから、奪い合いが生じ、譲り合いがなくなる。人間が本性に従って思いのままに行動すると、必ず争い事が起こり、秩序が崩壊してしまう。だから、教育によって、礼儀の指導を受ける必要がある。礼儀によって、他人と譲り合うようになり、世の中が平和に治まる。
人の本性は悪であり、人の善とは、人為的な努力によって後から身に付けたものである。
人間は欲望の塊だから、そのままにしておくと、争いを始める。
人間を仲良くさせるためには、規範が必要である。みんなで規範を守ることで、平和が訪れる。
礼は何から起こったか?
人は生まれながらに欲望があり、その欲望に基準がなければ、争いが生まれる。そこで古の聖王は、礼儀を定めて「 分 」を与え、欲望に制限をかけた。これが礼の起こりである。
「 分 」とは、身分の「 分 」である。農民は農民らしい服装をして、農民らしい生活を営む。王が、身分に応じた生活を指示する。「 分をわきまえた 」生き方が「 礼 」である。
現実主義者の荀子にとって、自由で平等な社会は、理想でしかない。
土地の状態を調べ、作物を順序よく植えることでは、君子は農民にはおよばない。
商品を流通させ、価値を見定めることでは、君子は商人にはおよばない。
さしがねを使い、器具類を便利に作り出すことでは、君子は職人にはおよばない 。もろもろの技術が作り出したものが、一人一人を養うものとなる。
しかも、人の能力は多くの技術を兼ねることはできないし、人は多くの任務を兼ねることはできない。
だから、バラバラで依存しあわなければゆきづまる。
分業した方が効率的であるから、万人が平等で同じであってはいけない。
荀子の礼を法律に置き換えた集団が法家であり、荀子亡き後、法家が躍進していくこととなる。
韓非子「 形名参同 」
国家を強くすることが、政治である。
中国戦国時代には、儒家・墨家・法家・名家・兵家といった様々な学派を生み出した。
法家を完成させた韓非子によって、法家が諸子百家の頂点に立つ。
韓非子は、荀子の弟子であった。
韓非子は「 仁というあやふやな情に頼らず、法という確たるものを国家の基盤とする 」ことを主張した。
韓非子は「 法も礼も、元は同じであるが、法は刑罰によって強制する特徴がある 」と定義付ける。
韓非子は、儒家や法家と違って「 民衆とは、正義ではなく権威に従う 」と考えていた。国家を強くすることを至上命題とした。
国家を強くするためには、刑名賛同である。
※刑名賛同
やると明言したこと ( 約束 ) と実際にやったこと ( 実績 ) を比較して評価する。
秦の政王は、韓非子の書を読んで実践し、秦の国力を増大させ、中国統一を成し遂げる。政王は、王よりも上の位である皇帝という新しい地位を発明し、人類初の皇帝として、自らを始皇帝とした。始皇帝の力によって、法家以外の儒家や墨家などの諸子百家が撲滅する。
法家を重宝した始皇帝が急死した。皇帝が二代目に引き継がれるも、皇帝は無能であったので、秦王朝は崩壊し、法家の時代も終わりを迎える。その後、漢王朝が興り、漢王朝は、儒学を国学として取り入れた。
老子「 無為自然 」
万物は道からはじまる。
学を為せば日々に益し、道を為せば日々に損ず。これを損じて又た損じ、もって無為に至る。無為にして為さざるはなし。
-
学問をやると日に日に得をするが、道 ( タオ ) をやると日に日に損する。損して損して無為に至る。無為に至ると、すべてはひとりで起こる。
老子の哲学から道家という学派が生まれる。
道家によって仏教は再評価される。
道 ( タオ )
天地よりも先に存在した混沌としたものが " 道 ( タオ ) " である。
万物は " 道 ( タオ ) " から生まれた。
名がない状態は、天地のはじめ ( 万物が生み出されていない状態 ) である。
名がある状態は、万物の母 ( 万物が生み出された状態 ) である。
名前がない状態
= まだ万物が生み出されていない状態
= 混沌
= 道 ( タオ )
最初に言っておくが、言葉で「 これ 」と示したものは、全然真理ではない。
そういう前提ではじめる。
万物の存在というのは、名称を付けることによって生じている。
何の価値観も持たず無欲になれば
「 万物が存在する前の混沌とした世界 」
「 万物の境界線がハッキリとした世界 」
を見ることができる。
老子は、悟りの境地を「 無為自然である 」と言う。
学を為せば日々に益し、道を為せば日々に損ず。これを損じて又た損じ、もって無為に至る。無為にして為さざるはなし。
-
学問をすれば知識が増えていく、分別 ( 言葉 ) を増やしていく。分別を放棄して知識を減らしていく。その分別を減らしていった先に、無為の境地がある。無為とは「 何もしない 」ということである。何もしないが、何も起こらないということもない。つまり、自分自身が何もしなくても物事は自然に起こる。
学を捨て、分別を捨て「 私がいる、私がやっている、私が見ている、私が触れている 」といった思い込み ( 分別 ) を捨て、行動や思考が「 自然に湧き出るままに任せる 」という境地に到達しなさい。この境地が、無為自然である。
荘子「 万物斉同 」
言葉によって境界が生まれる。
老子の道 ( タオ ) の哲学を受け継ぐ人物が荘子である。
荘子は創作家であり、描くことが趣味だった。様々な物語や寓話を創作し、それらによって老子の哲学を表現した。
【 悟りの境地の段階 】
① 物と物の境界があるが、善悪などの価値判断による是非がない。
② 物はあるが、そこに境界は設けない。
③ 物はない。
価値判断による是非を行うことが、道 ( タオ ) が失われる原因なのだ。
道 ( タオ ) には本来境界などなく、言葉にも本来一定の意味などない。
ところが、言葉で道を表現しようとすると、そこに境界や秩序が生まれる。
天地と私は共に生じ、万物と私は一つである。
既に一つであるのだから「 万物と私は一つである 」という言葉は、本来不要である。しかし「 一つである 」と言ってしまった以上「 言葉 」が必要となる。こうして「 一 」と「 それを表す言葉 」で二つになってしまった。すると、さらに「 二 」という新しい概念ができたので、全部合わせると三つになってしまった。ここから先は、次々と分別が連鎖していき、世界は果てしなく分断されていく。これが老子のいう「 万物 」の正体である。
「 あれとこれ 」「 生と死 」「 可と不可 」「 是と非 」これらは元々あるものではなく、人間がそういう関係性の対比を自分の都合 ( 価値観 ) で見出すことによって「 そういうものがあるように見えている 」だけに過ぎない。どう見なすかは、立場や価値観次第であり「 是と非 」という事象が、世界に最初からあるのではない。
朝三暮四
本来一つであり、境目のない世界 ( 道 ) に引かれた境界線 ( 分別・言葉 ) によって、一喜一憂してしまう人間の性質を表現した。
胡蝶の夢
私が「 荘子であるか蝶であるか 」は決定不可能である。荘子と蝶の間に本質的な区別を付けられない。しかし、私たちは区別を付ける。本来「 区別がないのに、区別がある 」としてしまう行為、これこそが、私たちが日常的に捉えている物質世界を生み出す根源となっている。
東洋哲学はウソである
東洋では「 そうか、わかったぞ!」という体験が伴わない限り「 知った 」ということにはならない。「 体験的に理解する 」というのが、東洋哲学の基盤である。しかし、その基盤がゆえに、東洋哲学は致命的な問題を抱える。体験というものは、原理的に言って「 他人に伝達不可能である 」という問題だ。
生まれたときから目が見えない人に、空の青さを伝えるときなんて言えばいいんだ?
こんな簡単なことさえ言葉にできない。
だから、俺、もっと頑張るよ。
21世紀を代表する偉大な哲学者である江頭2:50
江頭2:50のこの言葉は、釈迦たち、東洋哲学者の気持ちを代弁している。
言葉では、意識の上に起こる体験自体を表現できない。
「 赤い 」「 痛い 」「 楽しい 」などの体験は、言葉では、どうやっても説明できず、他人への伝達が不可能であることを意味する。
体験そのものが言語化できない以上、相手が「 ホントウはどんな体験をしているのか 」は原理的に知りようがない。
東洋哲学には、体験の伝達不可能性の問題を内包する。
西洋哲学は、体験ではなく論理を基盤とするから、そういった問題は起こらない。
論理は伝達可能を前提とする。
体験 = 意識現象は、論理で説明できない、言語化できない。
白黒の世界の住人が、赤について学び、どれほどの知識を積み重ねても、それが「 赤いという体験自体 」を引き起こすことはない。どんなに赤について詳細に語ることができても、実際に赤いものを見て「 ああ、これが『 赤 』なのか 」という体験を味わわない限り、ホントウのところ「 赤とはどんなものなのか 」について何ひとつ知らないのである。その意味では、赤についての知識を持っていない同じ境遇の他の人たちと比較しても、何の違いもない。近付いてもない。むしろ、遠ざかっている。
赤についての知識を持っていない人、もしくは「 自分は知らない 」と思っている人ならば可能性がある。そういう人に「 白黒の世界を出て外の景色を見なさい 」と言えば「 よくわからないけど、やってみる 」と素直にしたがって、あっさりと『 赤 』の体験をしてしまう可能性がある。
しかし「 知っている 」と思っている人、「 知識を得ることが大事だ 」と思っている人は、その可能性が低くなる。そういう人は「 外に出ればいいんだよ 」と言っても、おそらく、実行することはない。座したまま動こうとしない。知識を持っているがゆえの弊害である。
「 物事は、言葉や論理でしか理解できない 」と思い込んでいる。
「 知識を得ることが、知るための唯一の方法なのだ 」と思い込んでいる。
結果、座したまま、ひたすら、勉学し思索を続ける。生涯をかけて『 赤 』という未知の体験を得ることを決めていた。そのために、人生という一度しかない貴重な時間をすべて「 赤とは何か 」を知るためだけに費やしてきた。
知識や説明を与えることが必ずしも良い結果を生むわけではない。
東洋哲学では、
真理は「 あ、そうか、わかったぞ!」という体験として得られるものであり、そして、体験とは決して言葉では表現できない。そのため、「 思考を磨き続ければいつか真理に到達できる。言語の構造物で真理を表現できる 」といった幻想を持っていなかった。
戒律の存在は、欲望という心の動きをくっきりと浮かび上がらせるためにある。戒律は、欲望を止めるためではなく、欲望を自覚させるために存在している。欲望の対象物に、特別な価値を見出していた自分自身の心の動き ( 分別 ) にホントウの問題はある。
価値を作り出していたのは自分自身であったし、そういう価値によって苦しんでいたのも自分自身であった。
自分で障害物を置いておきながら、そこに突撃して、ぶつかって「痛い痛い」と泣き叫んでいるような状況だ。ただの自作自演である。他者の視点からしたら、馬鹿げた話である。しかし、その馬鹿げた話しこそが、この世に存在するあらゆる不幸の正体であり、本質であるのだ。
日本仏教の歴史
聖徳太子が、十七条憲法を制定し、その中に、仏教を盛り込むことで、日本の仏教は、広がっていった。
親鸞「 他力本願 」
東洋哲学では、自力などありえない。自力よりも他力 ( 無為自然になり、起こるに任せる ) を評価する。「 自分の意志で物事は引き起こせる 」という考えは間違いである。物事は自分で起こすものではなく、自然に起こるものなのだ。
自分で起こしていると考えても、いつかは自力では解決できないことが起こる。他力には解決できない問題はない。というより、解決する問題自体が存在しない。どうなろうと、起こるに任せるのだから、その境地においては「 問題を解決する 」という概念自体が成立しない。
栄西「 公案 」
思考を通さずに物事を理解する。
公案とは、なぞなぞである。
師匠が弟子に、なぞなぞを出し、弟子は、そのなぞなぞを解くことで、悟りの境地に至ろうとする。
一休さんは、一休宗純という名の実在の人物で、臨済宗の僧侶であった。
【 私たちの2つの思い込み 】
・私たちは、あらゆる問題について、思考を基準に解決可能、解決不能を判定している。「 思考以外の解決方法はない 」と思い込んでいる。
・「 思考こそが私自身である 」という思い込みである。思考とは肉体が持っている機能の一つに過ぎない。私たちはその機能を重要視し「 それこそが私なのだ 」と、同化している。「 思考を自分自身だ 」と思い込んでいる。
思い込み ( 固定化された分別 ) は、無分別智の境地を阻害するから、その思い込みを何とかしなければならない。
人は理解できない現実が目の前に現れたとき、その一瞬だけ、理解不能なパニックに陥って思考機能が停止する瞬間がある。既存の知識や論理では把握できない状況に出合ったため「 何が起こったのか 」を全身全霊で感じ取る。それが、無分別智を呼び起こす鍵となる。
道元「 只管打坐 」
問題を破壊し飛び越える。
只管打坐によって悟りの境地を得ようとする。
只管打坐:ひたすら坐禅に打ち込むこと
「 他力 ( 無為自然 ) になろう 」としてはいけない。なぜなら、「 なろう 」という行為は自力 ( 人為 ) だからだ。しかし「 なろうとしてはいけない 」となろうとしてもいけない。なぜなら、それも自力 ( 人為 ) だからだ。
ただ座って自分の脳裏に浮かび上がる思考をただただ見守る。
どんなものでも問題にしてしまう問題視という日常的な癖に気付き、それを減らしていくことだ。
そもそも思考とは「 問題を解決すること 」において優れた効力を発揮する。
生きるための道具である。それゆえに、思考は問題を与えられれば、すぐに飛びかかって働きはじめる。
問題は思考の餌であり、次の思考を生み出す原動力となる。逆にいうと、考えるべき問題がなければ、思考は道具としての存在価値をなくし、働きようがなくなる。
思考を止めたければ、今、自分の身に起きている思考や感覚を問題視せずに、ただ眺めてスルーし、思考を生み出す元となっている考えるべき問題を減らしていく。
そうして、次の思考が生み出されるキッカケを減らしていくことがポイントである。
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