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現象 = 状態の変化


2022/4/7

世界は、神が創った。
→ 始まりと終わりがある。
キリスト教の世界観

世界は、ずっと究極の法則に従って運動している。
→ 始まりと終わりがない。
仏教の世界観

  • キリスト教の世界観は、西洋的価値観に基づくので、始まりと終わりがある。

  • 仏教の世界観は、東洋的価値観に基づくので、始まりと終わりがない。

東洋的価値観は、状態にある。

例えば、瞑想に代表されるように、今、自分の状態に、フォーカスする。状態には、始まりや終わりという概念はない、今、しかない。今には、思考 = 言葉もいらない。自分の体を知覚することで、今の状態がある。

究極の法則は変化しない。
変化していくモノはすべて現象である。

世界も、社会も、人も、物も、愛も、生命も、自分も、変化していく。
だから、現象に過ぎない。

現象とは、何か?

例えば
「 水筒の蛇口を捻ったら、水が出る 」ということだ。
「 空から雨が降る 」ということだ。
「 雨が傘から落ちて地面に落ちる 」ということだ。

私たちが、日常で経験している当たり前のようなことだ。

  • 状態が変化しているに過ぎない。

  • 状態の変化が現象である。

世界も社会も人も自分も、ただの状態が変化している、現象ということだ。

水が落ちるのと変わらない。

水自身が落ちる時に「 下に落ちることは何だろうか?」と考えても、仕方がない。
水は、落ちるだけの現象なのだ。

人生も意味はない、ただの現象である。

水自身が落ちる時に「 下に落ちるまでに、浮遊物をできるだけ取り込んで、ゆっくり落ちよう 」と考えても、仕方がない。いくら浮遊物を取り込んでも、落ちる速度が遅くなることはない。

金やモノなど自分の外に価値を求めても、意味はない、現象でしかない。

水Aが落ちる時に、水Aが「 隣の水Bより落ちるのが早い 」と言っている。それは、水Aの気のせいだ。すべての水は、同じ速度で落ちている。

人と比べても、競っても、見栄を張っても、水Aと何ら変わらない。

仏教のテーマは、無常である。
常に無い。
そもそも無い。
そのものが、そのまま、あるだけだ。
ただの状態だ。
水が落ちている瞬間の、ただの状態に過ぎない。
水が落ちるような、ただの現象に過ぎない。

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