周恩来が田中角栄に渡した「無礼な色紙」の内容とは? 日中国交正常化
逸話に見る安岡正篤師 田中角栄と周恩来
引用した記事は下記リンク先です。
安岡正篤|人間学に関する偉人|致知出版社 (chichi.co.jp)
いま教科書問題などで中国との関係がギクシャクしていますが、もしいま安岡先生がいらっしゃれば、中国の日本に対する態度というのはずいぶん違っていたでしょうね。
思い出すのは、田中角栄さんが周恩来から「言必信行必果(げんかならずしん・ぎょうかならずか)」という色紙を贈られて得意満面の姿が新聞紙上をにぎわしたときの話です。
一見、素晴らしい人物評価に見えるんですね。
しかし安岡先生がすぐに、それは『論語』の人物評の一片で、三流の人物を表わすことを見抜かれて、周恩来の非礼を指摘されました。
「言必信行必果(げんかならずしん・ぎょうかならずか)」
原文:
孟子曰、
大人者元不必信、
行不必果、
惟義所在。
書き下し文:
孟子曰もうしいわく、
大人たいじんは言げん必かならずしも信しんならず、
行こう必かならずしも果かならず、
惟ただ義ぎの在ある所ところのままにす。
*大人たいじん:おとな、成人
*義ぎ:利害をすてて条理に従う。公共のために尽くす気持。
下記が原文になります。2行目に「硜硜然小人哉」と書かれています。
「大平君がそばにおりながら、そういうことがわからないというのは、恥ずかしい話だ」とおっしゃったんです。
大平さんのことは先生も非常に買っておられたんですね。 それで、私はすぐ大平さんのところへ行ってそのことを伝えたら、大平さんは「いや、参りました。言われてみれば、まったくその通りだ」とおっしゃったんです。
よく私は、安岡先生に言われました。
「伊藤博文なんかが三十代で中国に行ったときに、彼の持っている教養と見識に、当時の中国の幹部が驚愕した」と。
そのくらい明治維新の若者っていうのは、単なる革命の意欲だけではなくて、本当に学を積んでいたんですね。
「治朗さん、そういうことをあなたたちは忘れちゃ駄目ですよ。明治維新というのはね、あの人たちの教養と見識による賜物なんです」と言われていたんです。
ウシオ電機会長・牛尾治朗(『致知』2001年10月号より)
プロフィール
安岡 正篤 やすおか まさひろ
明治31年大阪市生まれ
大正11年東京帝国大学法学部政治学科卒業
昭和2年(財)金鶏学院、6年日本農士学校を設立、東洋思想の研究と後進の育成に努める。
戦後、24年師友会を設立、政財界のリーダーの啓発・教化に努め、その精神的支柱となる。中でも、昭和の名宰相とされる佐藤栄作首相から、中曽根康弘首相に至るまで、昭和歴代首相の指南役を務め、さらには三菱グループ、東京電力、住友グループ、近鉄グループ等々、昭和を代表する多くの財界人に師と仰がれた。その教えは人物学を中心として、今日なお日本の進むべき方向を示している。58年12月逝去。
意解:
田中角栄元首相が北京に乗りこんで、当時の周恩来総理と
国交回復の交渉をしたときのこと。
周恩来から角栄氏に一枚のメモが渡された。
見ると、「言必信、行必果」と書かれてあったという。
「言必ず信、行必ず果」約束したことは必ず守ってくださいよ、
やりかけた仕事は必ず最後までやり通してくださいよ、と読める言葉だ。
この言葉の出典は「論語」であるが、必ずしも褒め言葉とは言い難い。
なぜなら、この程度のことができなかったら、
そのへんのカスみたいな政治家と同じにみなしますぞという意味が、
言外に込められている言葉であるからだ。
それを間接的に語っているのが、「孟子」のこの言葉である。
大人は、必ずしも「言必信、行必果」にこだわらないのだという。
では、大人にとって第一義的に重要な事は何か。
「ただ義ぎの在あるところ」と「孟子もうし」は断言している。
「義」のまえには、前言を取り消しても、
いっこうにさしつかえないのだという。
子路:子貢問曰:「何如斯可謂之士矣?」子曰:「行己有恥,使於四方,不辱君命,可謂士矣。」曰:「敢問其次。」曰:「宗族稱孝焉,鄉黨稱弟焉。」曰:「敢問其次。」曰:「言必信,行必果,硜硜然小人哉!抑亦可以為次矣。」曰:「今之從政者何如?」子曰:「噫!斗筲之人,何足算也。」
*義ぎ:儒教における五常の一(仁・義・礼・智・信)。
人として守るべき正しい道。道義。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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