インフルエンサーから学ぶ「言い切る」大切さ
ホリエモンさんや西野亮廣さんなどの
超大型インフルエンサーは、
激しく偏ったことを言い切る。
「大学に行くのはお金と時間の無駄」
ホリエモン
「それ(炎上)が通常営業なので、
叩かれることに対して何も感じないんです」
西野亮廣
私は物事を言い切るのが嫌いだ。
いや、正確には怖い。
何故ならその事柄が100%合っている
保証はない。
またそれがすべての人に
当てはまる訳ではないから。
例えば、皆「人殺しはいけない」という
固定概念を持っている。
しかし、これは状況やその人によって異なる。
例えば自分の大切な人がある人に
よって殺されそうな時。
そして、
この瞬間あなたはピストルを持っており、
あなたが犯人を打つことでしか
大切な人を守れない時。
このような場合では「人を殺す」
ということは正義となる。
つまり、ほとんどの物事には確実な正解はないのだ。(数学や漢字のテストでは確実な答えはある)
しかし、インフルエンサー達は
あたかも自分が正しいように言い切る。
今回は我々より遥かに頭の良い
インフルエンサーがなぜ物事を言い切るのか。
また我々はどのような時に言い切るべきか、
また言い切るべきではないかを考察する。
インフルエンサーは賢い
先程紹介したように、
ホリエモンさんは「大学はムダ」
とおっしゃる。
しかし、
これはホリエモンさんの
すべての思いが込められた言葉ではない。
学歴も必要である。
今の日本社会では、
学歴がなかったら付けない職はたくさんあるし、その職に就きたい人は学歴を取得すべき。
しかし、自分は学歴はいらない。
何故なら個人で稼ぐ力があるから。
同じように個人でお金を稼ぐ力のある人は、
大学に行く必要はなく、それより実経験を積むべきだ。
しかし、それ以外の人 or
個人で稼ぐリスクが怖い人は学歴を取得するために、大学に行くべき
→「大学に行くのはお金と時間の無駄」
ホリエモンさんはもっと論理的かつ多角的に考えて発言しているだろう。
大学はムダと。
インフルエンサーが言い切る理由
「じゃあ、なんでホリエモンさんは自分の考えすべてを言葉にしないんだろう?」
インフルエンサーが言い切る理由
これは大きく2つある。
✔一貫した自分
1つ目は大型インフルエンサーは、
自分に一貫した自分を持たなくてはならないだ。
「ユーチューバークソ儲けれるわ!
みんなの動画視聴におかげで、
人生イージーモードっす!」
例えばユーチューバーのヒカキンさんはこんな公衆でこんな発言をすることは許されない。
こんなことを言った日には、
SNS上で叩かれて、
大炎上を起こすだろう。
これをメンタリスト・DaiGoさんや与沢翼さんが言ったのならば許される。
いや、むしろ「やっぱり、すげーな」と感心させられるだろう。
この両者の違いは何か?
それは知名度・信用を得た背景の違いだ。
ヒカキンさんはいい人 & 面白い人で認知度が上がった。
反対にDaiGoさんや与沢さんは、
みんなが言えないような鋭い発言を
することによって認知度が上がった。
これにより、ヒカキンさんは
いい人 & 面白い人を演じなくてはいけない。
反対にDaiGoさんなどは、
有名になった背景により、
このような過激な発言をしても許されるのだ。
しかしDaiGoさんや与沢さんが、
ヒカキンさんのようなユーチューブ動画を
アップしても叩かれるだろう。
「面白くない」
「こんなありきたりな人間だとは
思っていなかった」と。
ここで何が言いたかったか。
それはインフルエンサーは公衆の前では、
一貫した自分を演じなくてはならいことだ。
✔論理的は面白くない
以前この記事でも紹介した理論。
それは論理的なダラダラした言葉は面白くないだ。
海賊王に俺はなる!けど、海賊は名乗るだけで犯罪者だ。なぜなら時代は大海賊時代であり、海賊に対する印象が悪いからだ。俺は海軍に捕まりたくない。ガープじいちゃんに迷惑かけたくない。けど、俺はシャンクスみたいな海賊になりたい。これらのデメリットと俺の今の気持ちを考えると、海賊王になりたいが勝っている。だから、海賊王に俺はなる!
海賊王を目指すルフィは
こんなことを思うながら、
「海賊王に俺はなる!」と言ったのかもしれない。
もし仮にこのように言っていたら、
ワンピースという漫画は
ここまで有名になっていなかっただろう。
ここで言いたいのは、すべてを言語化したら面白くなくなるということだ。
またキャッチコピー力が無くなる。
人に自分の感動を与える or
強いキャッチコピーを作る時には、
すべてを言葉にしたらいけない。
すべてを言葉にすると、
本当に伝えたい部分が薄れてしまうし、
人に影響を与えられなくなる。
インフルエンサーは
更に有名になることを求められている。
そのためには自分の考え・価値観を広め、
みなの脳裏に刻まれるような
キャッチコピーを作らなくてはならない。
よって彼らは言い切るのだ。
言い切るべき場合とは
我々一般人はインフルエンサーとは異なり、
一貫した自分もキャッチコピー力のある言葉も
必要とされない。
だからといって、
常に言い切る必要はない?
それは断じて異なる。
やはり状況により、
自分の言いたいこと・論理的思考力を隠し、
言い切る方が正解の場合がある。
ここからは、
我々一般人が言い切るべき場合 or
言い切るべきではない場合を考える。
✔尺の長さ
この言い切るか言い切らないかの場合分けは
大きく2つあると考える。
1つ目は尺の長さだ。
例えば1分間しか自分の持ち時間しかないのに、
ダラダラとすべてを語っていてはダメだ。
何故なら時間が足りないなら。
反対に今日は酒を飲みながらオールナイトで語れるのに、すべての物事を言い切るのも良くない。
何故ならせっかくたくさん話せるのに、
話に深みが無くなるから。
尺が短い時→言い切る
尺が長い時→言い切らない
自分が発言できる時間によって、
言い切るか言い切らないでいいかを決めることが出来る。
✔話す目的
2つ目は話す目的である。
■言い切るべき場合
・人のモチベーションを上げる
・自分の価値・知名度を上げる
・相手を論破したい
・自分の主張を通したい
…
人のモチベーションを上げる場合で考えてみよう。
今からテニスの団体戦のインターハイ予選・決勝戦に出る。今まで団体でインターハイを出ることを目標に厳しい練習を積み重ねてきた。
そして決勝戦前の最後の円陣で先生は生徒に向い語った。
◆言い切る場合
「俺はお前たちが努力してきた姿を
この目で見てきた。
そして俺は確信している。
お前たちは必ず優勝できると。
胸を張って堂々と戦って来い!」
◆言い切らない場合
「俺はお前たちが大体の日は
努力してきた姿を見てきた。
たまに仮病を使ったり、
手を抜いて諦めてたが。
そして俺は確信している。
お前たちが8割くらいの確率で勝てると。
いくらお前たちの先生だからといって、
神様ではないから断言はできない。
とりあえず胸を張って堂々と戦って来い!」
間違いなく「言い切る場合」の方が生徒はやる気になるだろう。
反対に、言い切らずに正論を並べられたら、
モチベーションは超絶下がるだろう。
■言い切るべきではない場合
・人から相談を受ける
・客観的な判断が求められる
・抜け目がない、完璧なものが求められる
…
上記の場合では、
あなたの多角的な視点が求められている。
そして言い切るのではなく、
いくらかの場合を考え、
論理的に発言をする方が好ましい。
このように発言する目的によって、
言い切るべきか、そうではないかは決まる。
まとめ
言い切るべきか、言い切らないべきか。
これは各個人が決めなくてはいけない。
常に言い切る or 常に言い切れない人は、
人生で何かしらの損をするだろう。
尺の長さ・その目的を考え、
その場合に応じた話し方をしなくてはならないのだ。
今回の記事はここで終わります。
では、また。