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私が安倍晋三氏の国葬に賛成する理由 ~ 国葬反対派の7つの意見に反論してみた ~

結論から言います。

『安倍晋三氏は日本の憲政下で歴代最長の首相を勤めた後、選挙応援演説中に、暴漢に遭い暗殺された』

から「国葬に値する」と、私は判断しています。

①政治業績から判断すべき

優れた政治業績だったかは「歴史」の中で後世において判断されるものです。首相を退いてまだ数年しか経っていない中で評価できるものではありません。
政治家なので賛否があるのは、日本では普通のことです。政治家の言動を批判すると逮捕される国ではありません。日本は専制政治ではなく民主政治の国だからです。

②暗殺原因を考慮すべき

カルト宗教団体の広告塔と思わせるようなことをしていたので暗殺されました。しかし、これは裁判所(裁判員裁判)において暗殺犯の量刑で考慮すべきことです。
「原因」は何であれ、選挙応援演説中に銃殺されたという「結果」に変わりありません。

③神格化すべきではない

日本の憲政下において過去に国葬されて神格化された人を私は知りません。どこの国の話でしょうか。神社があるのなら参拝してみたいです。
そもそも日本では、死ねば誰もが「仏様」です。形は兎も角として、どの家庭でも祖先神を祀って手を合わせているのではないでしょうか。戒名とか、亡くなった人は神名をもらっていると思います。

現憲法下の国葬は、政教分離原則から無宗教の形式のため、厳かですが味気ないものです(音楽が流れるだけで、何のパフォーマンスもありません)。
天皇陛下や上皇陛下が崩御した際の「大喪の礼」(憲法上の儀式)は、「神社神道の祭祀王」に相応しい日本古来の格調高いものです。


④エリザベス女王ほど尊敬されていない

エリザベス女王陛下と安倍晋三氏を比べるのは、エリザベス女王陛下に失礼です。
安倍晋三氏は日本国の君主や「国家の象徴」ではありません。日本国の君主は天皇陛下です。
日本は長い歴史をかけて「為政者」と「国家の象徴」を分離した国です。両者が一致する大統領制の国ではありません。


⑤「民意」に沿わない

「民意」は報道機関の世論調査で示されるものではありません。選挙の結果で示されるものです。
報道機関の選挙予想と実際の選挙結果は、年々乖離しています。報道機関の世論調査は、どこまで「民意」を正確に把握しているのでしょうか。無批判に信じてよいものでしょうか。
なお、「民意」だけで考えた場合、現憲法下の議院内閣制の日本において歴代最長の首相を勤めた安倍晋三氏は、国葬に相応しいことになります。

⑥「弔意の強制」に当たる

「弔意の強制」の意味がよく分かりませんが、要は「内心の自由(思想良心の自由)」を侵害するという意味かと思います。
なぜ国葬の実施が、個人の「内心の自由」を侵害するのでしょうか。例えば「首相の靖国参拝」について、「内心の自由」が侵害されたとして損害賠償請求の訴えが提起されていますが、全て認められていません。「首相の靖国参拝」はその人に靖国神社への参拝や信仰を強要するものではないからです。
『あいつがやってることは気に入らない』といった感情論では「内心の自由」の侵害になりません。
公的な追悼式典で『それぞれいる場所で何時何分に黙祷しましょう』とか言われますが、全て任意です(わざわざ会場まで来て出席した場合は、悪目立ちしないために、素直に黙祷したらどうかと私は思います)。

⑦内閣が行うことに法的根拠が無い

「内閣府設置法」に「国の儀式並びに内閣が行う儀式及び行事に関する事務」が定められています。多数の犠牲者が出た際の追悼式典など、内閣の判断と責任で実施しています。
平成11年に、行政改革の一環で、総理府を廃止して内閣府を設置する際に、『内閣府はどういった仕事をするのか』を国会で審議して成立した法律です。
閣議決定で行う元首相の国葬(現憲法下では「吉田茂」が先例)が「国の儀式」に当たることは、その当時審議されていると思います。

立法府と行政府の役割分担は、詰まるところ、行政活動に対する「法律の留保」をどのように考えるかの問題です。「全部事項留保説」のような荒唐無稽な見解に立っているのでしょうか。
何でも国会で詳細に決めるわけではありません。「国権の最高機関」は単なる美称であり、万能の権限を意味するものではありません。
法的根拠が無いと言っている方は、どういった憲法観や行政法論を持っているのでしょうか。最高裁判例の傾向を見ても、「内閣府設置法」の定めで法的根拠は十分にあると私は考えます。

例えば、警察が行う「自動車の一斉検問」の法的根拠は「警察法」です。「警察法」も「内閣府設置法」と同じく行政組織法です。
警察法2条1項に「交通の取締」と定められています。このたった5文字が「自動車の一斉検問」の法的根拠です(ただし、停車した運転手への個別聴取になると、警察官職務執行法の「職務質問」になります)。
刑事訴訟法の分野における有名な最高裁判例であり、法律家にとっては常識だと思います。

「司法警察」の仕事は、権利保護の観点から、刑事訴訟法等で細かく厳格な規制がされています。「司法警察」は、逮捕や勾留、捜索差押、通信傍受など、『刑事さん』のイメージです。
一方、「自動車の一斉検問」は、交通ルール遵守のための「行政警察」の仕事です。「行政警察」は、ストーカー相談、非行少年の補導、落とし物など、『おまわりさん』のイメージです。

行政活動は臨機応変に行うものなので、国民の権利義務に直接的な影響を与える事項でなければ、法律で細かく定めるべきではありません。
また、法律に特別の定めがある場合や追加予算を必要とする場合でもない限り、個々の行政活動に国会の事前承認は不要です。
なお、プロセス云々を言う人がいますが、閣議決定そのものが省庁の役人(行政活動の最前線)にとって意思決定のための重要な手続です。内閣は選挙で選ばれた国会議員によって構成されています。国葬の実施決定の手続も法的問題は無いと私は考えています。

ただし、行政活動や行政判断について国会から説明を求められた場合は、内閣や省庁は説明責任を果たすことが求められます(責任内閣制説)。
今回の国葬の実施決定について、国会への丁寧な事前説明を優先しなかったことに、内閣の落ち度があると思います。
「聞く力」をアピールしてボトムアップによるコンセンサス型だと期待させておきながら、実際はサプライズ狙いのトップダウンだと、裏切られた気持ちになって内閣の支持率が落ちるのは当然だと思います(「言行不一致」は簡単に他人の怒りや不信感を買うことができます)。

どちらかと言うと、急に開催が決まった約20億円かかる式典を補正予算なしに開催できる、どんぶり勘定な当初予算編成のほうに、私は呆れています。
国葬よりもコロナ対策のほうがもっと酷いとは思いますが、税金の無駄が多いように見えます。きちんと国会で予算の検証がされているのか疑問です。会計検査院を上手く使って検証してほしいです。

国葬実施のルール化とかどうでもいいので、国会(特に野党)は「税金の無駄の洗い出し」に取り組んでもらいたいです。『必要なところに必要なお金が投入されているか』『お金に限りがある中で優先順位をどうつけていくか』『この事業には本当にこれほどのお金は必要なのか』を日々考えるのが「予算」であり、国会の最も重要な仕事だと私は捉えています。


最後に

以上のとおり、反対派の7つの意見に対して、簡単に自分の言葉で反論してみました。
「法的根拠」が長くなりましたが、自分自身の憲法観や行政法論を示す必要があるからです。単なる個人的な印象論ではなく、法的な理論として「法的根拠」が有るか無いかは語られるべきだと思います。

レッテル貼りしてスローガンを叫ぶだけの情緒的な抗議活動にはウンザリします(ダダをこねる子供を見ているかのようです)。想像力や思慮が足りず、各所でヘイトを撒き散らしているように思います。
憲法観や国家観に基づいた「骨太な意見」を言ってもらいたいです。


最後に、日本の憲政史の中で、大衆への演説中に暴漢に刺された政治家の名言を紹介して終わりにします。

『板垣死すとも、自由は死せず』


実際のところは、自由党の党首だった「板垣退助」はこの事件では死なずに、「帝国議会」の開設に影響力を発揮し、「大隈重信」とともに日本初の政党内閣を組閣し、日本の政党政治による議会制民主主義の黎明期を担いました。

冒頭で書いたとおり、安倍晋三氏は、明治時代から続く議会制民主主義の日本で歴代最長の首相を勤めた上で、現役の国会議員として所属政党の立候補者への選挙応援活動中に、暴漢に銃撃されて亡くなりました。

日本の政党政治による議会制民主主義の『自由は死せず』の精神で、安倍晋三氏の国葬を実施したらよいと考えています。私の賛成理由はこの一点のみです。

長い文章になりましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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